吉田拓郎『イメージの歌』

古い船には新しい水夫が乗り込んで行くだろう
新しい船をいま動かすのは古い水夫じゃないだろう…


果たしてデビュー当時の若き吉田拓郎は、自分の立ち位置をどう俯瞰していただろう。
自分に「新しい水夫」の立像を求める観衆や企画者の思惑を他所に、彼は実は自分が紛れもなき古い水夫である事を眺望し、その内面は実年齢の数倍も疲弊し年老いていた事を私は確信する。

漢字の「削ぐ」は「殺ぐ」とも表記される。
若さという苛酷は、文字通りときにその者の心身をまるで鐫や小刀を振るうように削ぐ(殺ぐ)。

年齢通り順当に老いることの幸不幸はさておき、それでも若さのうちに得た自分の内面が年齢に順当でないことの微かな自負は、おそらくその者の人生の根幹となって貫通する。

吉田拓郎が病を得てなお、老いさらばえる事と乖離して生きながらえているのは、彼が若者のカリスマ等では決してなく、逆に若くして既に老人の特性である闊達や諦観を会得していたことの、それは自然な行く末であったような気がする。

若気の至りとは、主に後に起こる赤面や忸怩たる心境に対して寄せる言葉であるが、個々人に宿る自らのかつての「若気」のうちに臭い立つ無垢や、心身を切り刻む苛酷の記憶に一抹の愛惜を否定出来ないのが、凡庸なる身の上の常である。
そしてそうした感傷は、若くして年老いた水夫であった吉田拓郎にはおそらく無縁のものである。

さて、イメージの歌がエレックレコードからリリースされた1970年、私の日々はまさに若気の坩堝に撹拌され惨憺たるものであった。

幼さや無知や秩序の重圧が今より数倍も痛烈で如実であったあの頃、『イメージの歌』は「これこそはと信じれるものが…」という出だしによって、私の分別の網に一たまりもなく聴くに値せずと除外された。
話し言葉以外での「信じれる」は、私には不快な誤謬でしかなかったのである。

おそらく、ら抜き言葉への潔癖な嫌悪は数多の嫌悪の些末な一端でありながら、私の少女時代の最も分かりやすい断面であった。
孤立を厭わず寂しさを容易く甘受するキャパシティは、その頃既に私の中で臨界に達していたかも知れない。

イメージの歌に耽溺した少年らも冷めた感触で眺めた少女も共に老いた今、それでも吉田拓郎に対する私の感触はやはり往事に不変であり、私という人間の分かり安い断面の一つのようであるφ(.. )


たとえば驟雨の夜に盛り場をふらつく…

人類のいくばくかが賃金労働者として都市に集中して爾来、疲れた心身に盛り場の灯りや人いきれや時に立ち昇る純心が、人の本源的な労働循環にどれほど寄与してきたことだろう。

健全なる労働循環の一端に、最も不適合な自分が長くその時空を提供するほうの側であった不思議…
私の所作は、おそらくぎこちなく拙く提供者としての品質は低劣であったように思う。

今や無職となった老婆は盛り場の近郊に今も住まい、変わらぬ昼間の腐敗臭の中を闊歩し、夜は眠れぬ枕を正しながら朝を迎える。
そして、我が身の「無為無策」という時間における長き不在に、そのあまりに長き不在に親しき寝具の上で独り戦(おのの)くのであるφ(.. )

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