最近、余裕がない。

人間で一番大事なのは余裕だと思う。
1月から毎日勉強して、時事問題にも敏感になって、そして名も知らない人に評価される毎日を送っている。

見えない不安は自分の心にまるで小さな石となって、否定される度に大きくなる。
石の重みは私の余裕を押しつぶして行く。
何をしていても落ち着かない。

思い切って何もしないことをしても落ち着かない。

だから考え方を変えてみた。
友だちがうまく行くことを祈ってみた。
私を落選させた人の人生がうまく行く事とこを想像してみた。
家族が良い時間を過ごせるよう実行してみた。
すると、なんだか、軽くなった。

うん、私の人生それでいい。

もう内定くださいと求めない。
逆に面接官に与えて行こうと思う。

うん、それでいい。










金城一紀さんの『GO』は私のストレス発散本。

見ず知らずの訳分からずの人に否定される。
別にその人に受け入れて欲しい訳でもないけど、多くの否定によって前へ進めない。
すごく後にひくあの否定された感をこの本は吹っ飛ばしてくれる。

たった今読み終わった。この本もう5度目。



_______________________________________
今回のアップはGOが良いということを言いたいだけです。
ここからGOの余韻の勢いで書いた私の影響を受けた人の話です。
縁があったら読んで下さい。


GOは私が本を読むきっかけにもなっている。
私は大学に入って、本を年間100冊ぐらい読む様になった。
大学に入ってすぐに歳があまり変わらない本が好きな人に会ったのがきっかけだった。
その人がGOを薦めてくれた。そしてその人の影響は随分受けた。

GOの余韻で、私の価値観を影響した一人であるその人の事を書き残したい。

その人は私の行きたかった大学に楽勝でAOで入って、高校生のうちに小説の賞も貰ってて、
出会ったとき、大学受験で苦い思いをした私はその人の経歴で嫌みを感じていた。
そんな人の書いた賞をもらった小説を読んで、正直やっぱりまったく面白くなかった。

でも、羨ましかった。
自分を表現することが出来て、自分の言いたいことを吐き出すことが出来て、しかもそれを形にすることができて、形にする術も見つけてて、、、、
その事実が羨ましくって、当時私は自分が情けなくって悔しくって泣いたのを覚えている。
それから、しばらくその人にくっついた。
その人の考える将来のビジョン、世の中の捉え方、選択基準に興味があった。
知れば知るほどどれを取っても、私には正直合わなかった。
でもその人のモノを掴もうとする姿勢に尊敬を抱けた。

その人の薦める音楽も、映画も、時間の過ごし方も結局私の波長には合わなかった。
でも、その人の薦める本にハマらなかったことがなかった。
舞城王太郎、森博嗣、乙一、青の炎、雪国、、、、どれも血を沸かすものだった。

そしてわたしは、その人の高校からの進化した現在の視点で書く小説を読みたかった。
その人の書く新しい小説を読みたかった。
きっとやがてその人は初めて芥川賞、直木賞の二つとも受賞する小説家になるのかなと思っていた。

しかし、その人のビジョンはそこにはなかったので、現在違う分野で活躍していると思う。

何を言いたいのかと言うと、ビジョンに向かってることが人にとって楽しいのだと思う。
そしてビジョンって才能から考えるのじゃなくって何でもいいのだと思う!


君のPRポイントは何?
将来なにしたいの??

とかいう質問はまるで己の野心を問われているみたいだけど、
別に人を笑顔にしたいです!とか、環境破壊を止めたい!とかそんなんじゃなくっても、

できれば格好いい亭主と結婚して、出来れば子ども二人産んで、出来れば年に3回家族旅行行けて、出来れば夫と一生のパートナーとして思い合えて、出来れば老後家族に囲まれて老衰したい。
とかそんな贅沢な感じでもいいのだと思う。

私は自分の才能がなんなのか、よく分からない。
むしろ能力があるのかも分からない。
結局、何でもいいからビジョンを持ってそれを歩んでいる姿が一番輝かしいのだと思う。

ま、現時点の私のビジョンは贅沢ではなく、野心むき出しです!!!

気合いが入っていればいるほど、緊張。
失敗したくないと想えばほど想うほど緊張する。

失敗なんか考えるな!
成功図を思い描け!

と言われても、たった一度のチャンス!
説明べたの意識があるわたしは心配です、うまく伝わるかなって。
どんなに練習しても、練習通りの流れにならない訳。

はっきりしている像を描いているのに
就職という作業は掴めないものを掴む作業。


また、なんやかんや言って、実らせようと想います。





お祈りメールのあの文面が凄くいや。

落とされただけでもう嫌なのに、
それを、外国人が読んだらどこに落ちたかって書いてるのか絶対分からないような遠回しな言い方で、
しかも、私たちは悪い人たちじゃないの、縁がないの、だからあなたのために祈ります。
みたいな言い方。
すごいいい人じゃん!
やっぱこの会社行きたかったよ!ってなるよ!

逆に二次試験へ行ける時は凄く圧力なメールが来る。
二次へ進んで頂く事になったから、予約してください。みたいな感じで。
あ、はい。ありがとうございます。
と思わず画面に返事してしまいます。

あーだこーだ言いながらとにかく頑張ります。
母の友人の女性の話です。

年齢はたぶん40代です。
超大手広告代理店に勤めて、辞職した後、銀座のママになっている女性です。

その方が先日うちに来てお母さんと茶をしていました。
10分ぐらい私とお話してくれました。さり気ない会話の一幕です。

私が先日広告代理店にOB訪問した話をしました。
今の採用の仕方とかOBの方々のコメントを聞いて、その方がこんなことを言いました。
「ん~結局私はアルバイトしてたから採ってくれたようなもんだからね。今はそういうのないもんね。」

私からすると
いやいや、バイト枠でも入るのは本当に難しいです、謙虚にならないでと思いました。
でもその方は本当に謙虚とかじゃなくって、
「時代が違うから」とか「運がよかった」とか「本当良い会社で色々経験させてもらえた」とかおっしゃっていました。

その時、なんとなく違和感を感じたんです。
その違和感というのは、大手広告代理店なんて、数千人が応募します。
そんなところに入れたら良い時間が創れる可能性は広がると思う。
何でその人辞めたくなったのかな。
合う、合わないとかそんなんじゃなくってもっと何かないのかな。

それから私なりに色々その人の言う事や今までの色んな話を考え直し、今の私の答えを出しました。

もし結局は大手だから可能性いっぱいありそうの理由で
ポテンシャルの高い人で多くの情報とラッキーを兼ね備えいて、その企業に入れたら、
どんなに一般的に見て、いやいやいや、もっと進んでみようよ!と思っても、
その人からしたら、凄く未来が見えなかったり、どうしたらいいのかよく分からなくなったりするかもしれないな。と思いました。

何故ならその人は本当の意味で当時、選んでいないから。

母の友人は、その方には多くの外的要因や、内的要因の理由があって辞められていましたが、
結局は、
よく考えて選んだ今の職業のほうが続いています。

その方は私にこう言いました。
「向き、不向きとかそんなの分からないから、結局は決意だと私思うけどね。」

その方にはその方の世界が写っていました。

私は転職がいいと言っている訳ではありません。
曖昧な選択しても、結局また選択を求められる時が来ると思うんです。
私の母の友人は辞職という形を取りましたが、
他の視点を持ってその会社で新たに始めることも考えられたと思います。


選ぶって本当大変、
就活って確かに自分の人生を大きく左右するから、ちゃんと選ばなきゃって思う。
でも、自分が本当に決意出来ているのかなって疑問が残っていることは認めざるをえない。
就活ってみんな同じ時期にやるけど、みんな同じ時期に決意出来る訳ないじゃいと思うのはひねくれか。

でも、これだけは決めています。
今回の選択が例え後々からしたら
「あの時、まだ子どもな考えだったな」という自分に新しい選択を求められる未来に繋がっても、
この就活という機会を本気で本気で、選択したいと思います。

そんな出来事でした。