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戦争画を描いた画家は何人もいたが、本書で槍玉(やりだま)に挙げられるのはその代表格藤田嗣治と横山大観だ。藤田の「国際派」に対して大観の「国粋派」。大同小異だが対比の分析が実に痛快(小同大異)。
  藤田と大観だけでなくオレだって戦争画描いているぞと言いたいが残念ながら当局からの要請ではない(笑い)。子供時代の戦争の死の妄想と記憶の恐怖を吐き 出すためだ(私事)。藤田といえば「乳白色の肌」で、エコール・ド・パリの寵児(ちょうじ)がよりによって「乳白色の肌」を描いた同じ筆で「アッツ島玉 砕」の戦争画を描いたからサァ大変。
 一方国粋主義者の横山大観は、民族精神を描く「彩管報国」の画家として日本画壇の頂点を極めた人。その彼の絵には戦闘風景は一枚もない。だけれど国家戦略の象徴に富士山を選んだ(頭いい)。そして「富士山」を売って戦闘機4機を国に贈った。
 さてパリでの藤田の成功の反動は、西洋への媚(こび)や嫉妬となって日本に逆輸入(あゝ怖)。祖国に対する憧憬(しょうけい)とコンプレックスの藤田は国内の評価の回復を視野に入れて、帰国と同時に次なる手は愛国画家として再登場を計り、打って出た(私見)。
 同じ日本人画家でもアメリカに骨を埋める覚悟の国吉康雄とはエライ違う。日本を追われるようにパリに帰る途中アメリカに立ち寄った藤田は国吉からも相手にされず、「寵児」を待つはずのパリでも冷水を浴びせられる。スイス・チューリヒで81歳で死去。
  ともに「戦犯」の汚名を着せられながらも、藤田の低迷に比べて大観は日和見的政治手腕によりこの難関を突破、戦後再び画壇に返り咲き、「彩管報国 」の富士 山はそのまま日本美の象徴として新たな光彩を放ち始めた。日本を舞台に展開した2人の戦争画家 の二つの人生だ。藤田がアメリカへ発つ日、しみじみ述懐。 「画家は絵さえ描いていればいい」(涙)。