今年は例年になく日本列島を寒気団が襲っています。
‘近江の館’本社から見える日本百名山「伊吹山」も
真っ白に雪綿をかぶり、晴天の日は見事な雄姿を見せて
くれています。その「伊吹山」より左に目を移すと、針葉樹
や落葉樹の枝に雪を冠る「小谷山」に‘日本5大山城’の一つ
“小谷城址”が有ります。
今年のNHK大河ドラマ『‘江’姫たちの戦国』で‘浅井三姉妹’
の生誕したお城です。
標高495mの「小谷山」南尾根に大永3年頃(1523年頃)に
初代浅井亮政により築城されたとされており。
その後二代目浅井久政・三代目浅井長政の居城となる。
堅牢な山城として知られたが、元亀元年(1570年)小谷城から
南一里の地に有る「姉川」で浅井・朝倉連合軍と織田・徳川連合
軍が激突、織田連合軍が勝利したが、信長は“小谷城”が難航
不落の城として承知、”小谷城”南5kの「横山」に‘横山城’を
築城、信頼のおける木下藤吉郎を配置し、長期戦を構えた。
4年近い長期戦で浅井氏の援軍朝倉氏を木の本北「刀根」の
地で壊滅的な打撃を与え後退させた後に、「小谷山」の目と鼻
の先に有る「虎御前山」本陣を設け天正元年(1537年)本丸を
守る長政と小丸を守る父久政を分断、その日の内に小丸を落城
次に日に本丸を落城。久政は自害、長政は本丸曲輪に有る赤尾
屋敷で自刃し、難攻不落の山城を有する浅井氏は三代で滅亡。
‘浅井三姉妹’は母市共々木下藤吉郎により助けられ、織田信長に
下り、悲劇の城と伝えられる。
小谷城下に有る、‘小谷・江のふるさと館’‘浅井・江のドラマ館’
で弊社‘浅井三姉妹’商品も数多く展示販売しております。
是非小谷城址探訪の折にはお立ち寄りください。
プチ歴史勉強家欄太郎