関わってきたスポーツを挙げてみると、ソフトボール、ゴルフ、ペタンクと続き、今は散歩てへぺろ

その散歩ももう少し以前であるならば自転車に乗って!!なんていう時もありましたが、ヘルメット着用義務の方向へという状況に、巨大なる頭の持ち主としていうならば、「めんどくせー」という気分。

低山登山なんてのもいいけれど、いつまで出来ることやら・・・笑い泣き

地元であったり、東京等の都会であったりの散歩、歴史散歩を中心に、最近は川沿いを歩く散歩を「埼玉の川を歩く」という本を参考に挑戦中。

 

秩父に限らないことでしょうけれど、人の生活を考えれば、川沿いに住むことから始まり、そこに道ができてくるんだなぁということを実感します。

秩父、特に荒川沿いを考えれば、まずできたのが秩父古往還のもとになるもので、更にその東に秩父往還ができ、さらに昭和40年代前半の埼玉国体時に完成した現在の

国道140号・・・私の感覚では市内を走る秩父往還が140号であり、その東を走るのは140号バイパスということになります。

 

さてもっとも西を南北に走る、秩父古往還。

ざっくりいえば、熊谷方面から秩父に向かい、黒谷六地蔵のところを斜めに右折して進み、横瀬川を渡って、諏訪神社→蓼沼西公会堂→馬坂→宮崎城跡→滑沢にかかる大宮橋→阿保→金室→中村→近戸→影森ということになるかと。

その途中、西小学校裏手にあるのが、宇賀神碑。

近づいてみると・・・

宇賀神とは、「宇賀の神、食糧のことを掌る神」。

確か、私のゴルフの唯一の師である坂田プロ原作の「風の大地」に、主人公である若きゴルファーを元気づけるゴルフ場のコックとして宇賀神さんという人物が登場していたことを思い出します。

そう考えれば、さすがです・・・貧しく腹ペコな青年に食糧を無償で提供していたわけですから、宇賀神さん。

「寛政五」とありますから、1793年。

江戸時代だけでなく、それ以前からここいらあたりは一面の水田地帯であったんでしょうね、また江戸時代以前にはメインルートでもあったかと。

宇賀神碑の脇には、こんな道標も。

ちょっと読みにくくなっていますが、「中村、近戸を経て影森村」でしょうか?

大正13年建立とありますので、近代になってもまだまだ秩父の重要な要地であったことがうかがえます。

 

南へ向かえば・・・

「ブラタモリ」でも登場した秩父公園橋が画面右端にみえます。

古往還はといえば、この先は急激に道幅が細くなっています。

こんな感じですね。

車で行くのは・・・すり替えは無理グラサン

地元の人しか、それもごく限定的な地元の人しか知らない道でしょう。

 

この先、中村方面に進めば、秩父事件でも登場した、丹党中村氏墓所。

 

秩父に住んでいても、なかなか秩父古往還に興味のある人なんて、いないんでしょうね。

このあたり、西小学校から10分歩くかどうかの場所なんですが、現代建築が立ち並ぶなか、3つ、4つ、5つとお墓を見つけることができます。

いかにこのあたりに歴史が残っているかの証左でしょう。