日本選手権県代表選考会に臨むことを想定した新チーム。ポアンテの昭男・ティルールの松男・ミリューの鉄平の三人は、3月に入って、関東ブロックベテラン大会に参加のために早起きをして、道に迷いながらも、山梨・昭和町へ。

 

反省点は三人それぞれにあるものの、はるばる山梨まで来た甲斐もあってか、なんとか勝ち上がっての決勝戦。

 

対戦相手は同じ埼玉同士・喜利位の富士をリーダーとする強力無比なチーム。

 

なんとこの戦いは地元のテレビカメラが入って、一球一球解説付きのなかでのプレーとなる。

 

最初のメーヌは鉄平のプセットアウトを狙った投球により、ファースト及びセカンドボールを確保したものの、チームとしては投げ切り。

残り2球を持っていた富士の狙いはビュットアウト、一球目から見事に決まって、このメーヌは富士チームの1点先取となった。

 

その後しばらくは一進一退のプレーが続くなか、この大会絶好調の松男のティールが対象球ならぬその横のビュットをわずかにこすってしまい、ビュットが大きく移動。

 

その結果投球済で瀕死状態となっていた相手チームボール群を一挙大量に復活させてしまったあたりから、流れは富士チームペースとなってしまい、最後は力尽きての、準優勝。

 

そんななか、個人的には(多分うまくいかないから)との思考が先立ち、ついつい守り優先のミリュープレーとなりがちな鉄平が、プセットアウト、奥抜きダイレクトなど思い切った勝負投球をできたことは大きな収穫だったかもしれない。

ベスト4に勝ち残ったやはり同じ埼玉の仲間である山本勢のエールを受けつつの状況であったことも、心強かった。

 

 

5月の日本選手権予選会については・・・記憶も記録もない状態。

いや、記憶はあるが・・・ムニャムニャムニャ。

県ブログを確認すれば、最終ステージに進めなかったのは確かなこと。

個人ブログには、直接触れた記録一切なし・・・全て夢の彼方。

 

鉄平メモ 予選会前の最西オープンにおける、ある出来事。

一言でいえばフェアプレー精神を巡っての某選手の言動に関して、鉄平自身のココロはブチ切れ寸前だった。

ほぼ「ペタンクやめてしまおう」という状況であったことは、当時のブログを読み返してみればそれなりにわかる。いや、いや、人生いろいろあるもんです。

少し長くなるが、予選会直前の当時のブログでこんな呟きを鉄平はしている・・・

 

「三津の渡し」等の写真を送付してもらい、改めて「坊ちゃん」を読んでみました。

子どものころに読んだ方は多いと思いますが、よくよく読んでみれば、この小説は決して「青春痛快物語」ではありません。

母親とのエピソード、赴任先での校長とのエピソード、例のバッタを巡る生徒たちとのエピソード、そして、赤シャツ・野だいこ、うらなり、マドンナ、山嵐たちとのエピソード等々。

 

いつもそこにあるのは、「そういうことなら、いつでもおれには未練がないから、消えてしまおう」という、彼の哀しいまでの決意です。

子供のころに読んだ印象では赤シャツ・野だいこの不正に対する怒りとこれに対する痛快な行動だけはわかりましたが、よくよく読めば、そんな単純なものではないんですね。漱石は・・深い 

 

私自身も・・・あることから「そういうことならば、もうすっぱりペタンクやめて消えてしまい、屋外ではゴルフ、屋内では将棋を楽しもう」と思った数日でしたが、非は非と認めてもらい、ようやく睡眠不足から解放されました。例の日大アメフット部問題にも共通しますが、お互いがフェアプレー精神で戦うことが、スポーツの大前提のはず。それがなければ、なんの意味もありません。