小鹿坂峠はいずこ? | 埼玉ウエスタンペタンク徒然日記

埼玉ウエスタンペタンク徒然日記

埼玉ウエスタンはマカロニウエスタンから。
C.イーストウッドならば二丁拳銃ですがペタンクなのでブールが2個という
ダジャレからのタイトル。
埼玉県最西部在住。

11月と言えば、秩父事件。

椋神社に集結した人々の総数については諸説あり、多くて3千と言われることが多いようですが、はたして実態は?

行動する中で動員をかけ、徐々に数が増していったのは確かなようですが、それとても「お付き合い」で参加しながらも隙をみて逃げ帰った人たちもおり、難しい部分があることも確か。

秩父新道を通過し、小鹿野町へ侵入。当時の小鹿野町の中心は町の東側、確かに現在でも警察署や小中学校、役場が集結している場所です。西側はせいぜい十輪寺まであたり。

11月2日、早朝(7時頃?)、大宮郷(秩父市)に向けて侵攻。赤平川にはまだ橋は架かっておらず(大正時代初めに初代赤平橋、現在の赤平橋は2代目であり、初代橋跡より200mほど川下)、初代橋の川上にあった「人足の渡し」付近を渡河した集団が大部分のようですが、現在の赤平橋より下を渡った集団もあったようです。

 

千足峠を越えて、田村郷に至ったのが、午前10時頃。

ここからいよいよ、「小鹿坂峠を越えて音楽寺へ」となるわけですが諏訪テランのペタンク仲間21人に確かめてみて、驚きの結果がでました。「小鹿坂峠という言葉はきいたことがあるが、どこにあるかは知らない、むろん上り下りしたことはない」が全員でした。

なかには志賀坂峠と混同するケースも・・・

 

問題は・・・

グーグル検索してみても・・・登り口・降り口が、なかなか具体的にわからないこと。

グーグル検索にひっかかりやすいのは、この十三仏。ただしこれは長尾根道・江戸巡礼古道(22番~23番)沿いにあるもの。

 

音楽寺近くの道標には・・・

このように案内されていますが、小鹿坂峠への入口(下り口)案内板はなく、ましては「歴史の道」としての説明板はありません。

しかもこれより先には一切「小鹿坂峠」の道標はありません。

 

ここが、音楽寺近くの、降り口。

昔はこのあたりに茶店もあったようです。

ここから音楽寺側に戻る道を辿れば、すぐに

ここに出ます。ここから・・・

右に行けば、音楽寺裏。

左にいけば、十三仏。

言い方を変えれば、十三仏の方向に進んでしまうと、そこは小鹿坂峠ではなく、長尾根みち。

 

(登り口側)はここ。

やはり「車両侵入禁止」看板があります。

ここについでに「小鹿坂峠入り口」とあれば・・・

困民党の人々が田村郷から登っていった小鹿坂峠の入り口は、まさに、ここ。

 

登り始めると、すぐに馬頭尊碑が見えます。

虫の眼カメラ視点でとらえると、こんな感じの坂道。

ここがまぎれもなく、歴史の道。

 

 

やがて音楽寺に至ります。時間にして15分ほど。

ここに立てば、二階建ての郡役所や裁判所の屋根も見えたはず。

 

 

かくいう自分自身も・・・千束峠と小鹿坂峠を同じものと考えていた時期があり、地元の人間が必ずしも地元のことに詳しいかといえば「なかなか」というのも確かなようで。

なにしろ、少なくとも諏訪ぺタンククラブ21名全員が、「知らない」と答えてくれているのですから(苦笑)

是非、市のしかるべき機関において、「歴史の道・小鹿坂峠」の説明板設置を考えていただければと・・・