私の母方の祖母は、90歳を超える高齢まで、元気に生きてくれました。

 

おばあちゃんの子は、5人兄弟で、その下の私達いとこが、11人います。

 

その下のはとこ達まで、親族が全員集まると50人くらいになります。

 

うちの親戚は、皆、とても仲が良くて、お盆などには、おばあちゃんの家へ皆が集まっていました。

 

それというのも、皆がおばあちゃんが大好きだったのです。

 

おばあちゃんが亡くなってからは、だんだんと集まる人数が減り、それも小さかったはとこも大きくなり、集まりにくくなったのでしょうね。

 

寂しいけれど、それでもたまに集まって、皆が仲良しです。

 

そんなおばあちゃんが亡くなる頃、私は結婚7年目くらいでした。

 

しかし私達夫婦に子供が出来ず、出来ても空子で、流産をしていました。

 

おばあちゃんは、早く子供を産めとも言わず、遠回しに「ひろみ、旦那とチューする時は、部屋を暗くしてするんやで~」と高齢のおばあさんが言う事ではありませんね。

 

そんな冗談も大好きで、入院している最中でも、ケンタッキーのチキンをお見舞いに、ほしがった人です。

 

最後まで、おばあちゃんには、ひ孫の顔を見せる事が出来ませんでした。

 

おばあちゃんのお葬式は、田舎なので自宅であげるのが恒例となっており、親戚やご近所の方から、たくさんの人が集まり、ご近所の方は、お手伝いをしてくれます。

 

おばあちゃんに亡くなる前日に、私達はお見舞いへ行っており、自宅へ帰宅した瞬間に、息を引き取ったと連絡が来ました。

 

また車で京都まで1時間30分の道のりを引き返しました。

 

それからお通夜から、お葬式が終わるまで、私は一睡も出来ませんでした。

 

その間私は、身を粉にしてお接待をしました。

 

いとこやはとこ、親戚達は、出された食事をよばれ、夜には雑魚寝をしているのを横目に、私は何をしているんだろうと思いながら、食事も取らず、寝る事もせず、一度も座る事も出来ない程、忙しく走り回りました。

 

最後、おばあちゃんがお骨となり家へ帰ってきて、やっと私は、おばあちゃんにお焼香を上げる事が出来ました。

 

お葬式が終わり、主人の運転する車で家へ帰って来た時、母が「ひろみ、忘れ物やで」と荷物を私の膝の上へポンと置いた瞬間、疲労で足に激痛が走りました。

 

あまりの痛さと、疲れと、悔しさと寂しさが一気に私の中に押し寄せました。

 

そこで私はやっと大声を上げて泣きました。

 

最後におばあちゃんの顔が見たかったなと、今でもそれだけは後悔しています。

 

それから何度が夢の中で、おばあちゃんが出てきますが、私の心配より、ひ孫の心配ばかりしているのです。

 

もう、子供のやきもちですね。

 

でも大好きだったおばあちゃんは、私に最後の置き土産をしていってくれていたのです。

 

おばあちゃんが亡くなって、一か月後、私のお腹に子供が宿っているのが分かりました。

 

いとこ達の中で、ウチだけが子供いないのを気にしてくれて、神様にお願いをしてくれていたのかもしれません。

 

そしてお葬式の日、私の頑張っている姿を、おばあちゃんは見てくれていたのかなと都合の良い解釈をしています。

 

後日、ご近所の人達が、「あのよく働いてた子は、誰の子やったん?」と聞いてくれていたそうです。

 

見てくれている人がいる嬉しさと、おばあちゃんが授けれてくれた新しい命に、とても感謝しました。

 

見返りがほしいわけでは無いのに、私は何をあれだけ無気になって動きまわっていたのか?

 

今でも分かりません。

 

おばあちゃんにひ孫の顔は見せれなかったけど、それでも私はおばあちゃんの孫だと、胸を張って言えます。

 

おばあちゃん、ありがとう!