もうやめてくれ!

アホ頭、バカらしいにもほどがある。

官僚、政治家、ジャーナリスト、インテリ、専門家、文化人等に

ちょろちょろと出てくる。

もちろん、すべてではないが。

一般の人が消費できるように金を回せ。

一般の人から金を奪うな。

税収は所詮、GDPによるものだ。

GDPが大きくなるように景気を良くしろ!

いつまでもデフレが~とか言っているのはもうやめな。

緊縮財政とか、度間抜けなことをやっているんじゃない!

財政破綻云々はもうやめな!

アホもいい加減にしなさい!

いまだに国の借金が~では全く話にならない。

財界の代表とか言って、経団連等の意向をくんでいるんじゃない。

国の経済がどう回るのか、回すべきなのか、

理解していない、もしくはじぶんたちのご都合ばかりの連中を

徹底的に論破していかないとね。

テレビを見ていても、新聞を読んでいても、

ほとんど見当外れという現実。

緊縮財政という度間抜けな考えの下、財政出動させないアホぶり。

国の経済なんて、本当は分からないんじゃないか。

一般の人のフトコロガ暖まらないと話にならないんだよ。

そこら中に、

これを買いたい、買ってみたい、買えたらいいな、みたいなことってあるよね。

物が余っていて、成熟した社会だからみたいな説明も要らない。

実際は、もっとお金があったら、これ買いたいという物がそれぞれの人にある。

すべては、物を買うとかの消費行動から始まる。

じわじわと富の分配が起こり出す。

国民が豊かになる方向に動き出す。

 

消費税増税なんてやってはいけない、やってはならない。

緊縮財政という度間抜けな考えを捨てよう。

ぼけ~っと社会保障を口にするのはやめた方がいいよね。

直に政治家に文句を言おう。

官僚たちの嘘に騙されるな。

政治家の事務所でもいから文句言いに行くなりして、阻止しよう。

 

消費税増税はやってはいけない、やってはならない。

自己都合で考えているにもかかわらず、

自分に都合の良い正義感で自己主張をし出す連中が世の中蔓延中だ。

お互い様という日本古来からの物の考え方がある。

何故にそんなに人を追求したがるのか。

行列ができる法律何たらがある。テレビ番組も結構だが、

そんなに争い事にしたいのか。

お互い様よりも自己の正しさに依拠しているからだろう。

しかし住みにくい。

言い分があってもここでおさめておこう、今後のために仲良くしよう。

というのがあった。かつて。

それが日本人のレベルの高さでもあった。

自分の正しさに溺れるあまり、人の非を追求する。

それで何か良いことが今後起きるのか。

決定的なことでもなければ、やたら責めなくてもやっていける。

政治家レベルでも

うるさくてしょうが無い。

どうしてそんなに知恵の無い、自己主張に溺れた猿みたいな存在でいたいのだろうか。

ああ、息苦しい。余計にストレスだ。

そうは思えないのだろうか。

 

これが今の世の中に蔓延しているようだ。

高偏差値の大学出ようが、この有様だ。

頭がいいのは、嘘だって分かるね。

この連中は息苦しい世の中の作り手に他ならない。

戦後教育の賜でもあるかもしれない。

事実とされることを検証し、疑いではなく、

はっきりしている事から

道理に基づいて考えていく力が必要だね。

もともと日本が進んできた道には

やたら責め合わずに協力していくことがあるんじゃないのかな。

正義面して相手を悪者にしていくやり方は

本来の日本のものではないよね。

もう、一般の日本人・庶民が賢くなっていくしかないね。

 

さあ、メディア、インテリなんぞ信じるのはやめよう!

自衛隊を軍国主義と考えるのは、確かに自由だ。

そう言う奴って、チンピラ、ごろつき、くずの域を出ない世界に

住んでいるようだ。

笑えるレベルの頭の持ち主とも言えそうだ。

日本には平和憲法がある。

信じ切って、生きていけばいいのかな。

どこの国もうらやましがらない平和憲法。

70年も経っているのに、

どこの国も取り入れないほど、素晴らしい!のかな。

戦争ができる国と戦争をする国の意味は違うのに!

戦争のできない国と戦争をしない国の意味は全然違うのに!

 

反撃もまともにできない国にできること。

 

平和憲法を唱えて、お祈りをすること。

一億総玉砕する時まで平和に生きること。

うるさいな!Jアラートは!なんて言いながら。

嘘も百編言えば本当になるのか知らないが、

旧日本軍が強制連行したそうだ。

その慰安婦狩りみたいな感じで

一人また一人とやられていく中で

指をくわえて見ているか、逃げ惑うかして、

反撃せずに捕まるその時まで自分たちの平和を楽しむこと。

末路を迎えるその時までは平和でいられるかも。

 

将来の子供たちが生まれる限り、

この精神で行こう。

将来の子供たちのために。

 

平和憲法がある限り、平和のはずだ。

 

泣いている子がどこかにいても、

気がつかないでいられたら、泣いている子はあり得ないのかも。

もしかして、そっぽを向いていたりでも。

説明できないことは、

スルーするか、誤魔化すかをすればいいだけだ。

そうすれば無いことになる!

自分たちファースト、自分たちファースト、しめしめ。

 

反撃しなければ、戦争にならないはずだ。

 

鼻で笑われて笑顔にさせる平和憲法。

どの国も笑顔でいたい平和憲法。

 

さあ守るぞ、平和憲法。

 

こんな道理に反した考えは、私は遠慮する。

日本に平和憲法を守らせる、そんな目的を持っていないし。

ごり押ししたい連中の話だし。

こんな道理に反したことは、私は遠慮する。

自分ファースト、自己主張にまみれた光景が日常的になってきた。

そういう時代に入ったのかもしれない。

グローバル化されてきたということかもしれない。

自分の正義、主張こそが正しい!と。

人権が~、平和が~、民主主義が~!

相手よりも自分の主張が大事みたいに。

 

ひょっとしたら、

猿か何かに近づいて行っているのかもしれない。

 

 

消費税は税率を上げるか、下げるか、だけの話。

景気を調節するためのものでしかない。決めてしまうものではない。

上げなくてはいけないというのはバカたちの理論。

景気が加熱していたら上げて、冷えていたら下げる、ただそれだけのこと。

財務官僚たちは税率を上げて、支配したいだけの話。

それが分からない政治家は、ただのバカに他ならない。

賢くなるしかないよね、国民は。

なんせ、官僚や政治家がアホだから。経済なんちゃらものね。

たぶん、裏があるとは思いますが。

どれだけの人が気づいているだろうか。

高偏差値は自分の保身や利益には有効だが、

それ以外にはたいして役に立っていない。

このくだらない教育システムはやめた方がいいね。

 

さあ、諸国民のために日本国憲法を守ろう。

 

相手の意見よりも民主主義を守ろう。

気にくわない意見は言わせてはいけないのです。

 

さあ、平和と人権のために酒を飲み交わそう。

 

 

私はちょっと遠慮しておきます。

ジョン ラーベが~!

 

ちょっと遠慮しておきます。

 

それでは

人間には思考回路がある。
しかしインプットが同じでもアウトプットは同じとは限らない。
人それぞれによって答えはまちまちだ。

ひと時、メディアが小保方論文でやたらと賑わった。
不正だ!ねつ造だ!
それ以来、小保方さんはすっかり悪者扱いされた。
科学論文としては不適切だったというだけのことなのに。
科学とイデオロギーをさまよい歩く科学者たちや
メディアの言うことをすっかり信じ込んでしまう人がいるということだ。
「あの日」でまた注目され出した。

小保方論文は科学論文としては不適切だったということに過ぎないのに、
やたらと個人に悪意を見出したがる。
お隣の国では「溺れる犬は棒で叩く」らしいが、
日本でもそう変わりがないということか。
知的レベルの低いメディアは正にその典型だ。

STAP細胞はあります!は、現段階では否定もできない。
信念は個人の自由で、むきになって否定するものではない。
一般的に言えば、STAP細胞なるものはあり得るということだ。
特別な専門的知識がなくても、発生学の世界を覗けば否定はできないだろう。
いつも母体の中で起きている発生学を考えて見ればいいだけのことだ。
一体、何が万能細胞にするのかと。

お粗末すぎる思考回路は思い込みを打破できず、
偏差値の高さを皮肉ってしまうのかもしれない。
どうやら高い偏差値も余計な存在に成り得ることを物語っているのかも。

思考回路は感情に合うように働き出す。
人間はイメージ化して理解する。
自らイメージ操作して理解しやすくする。
イメージから外れたものは理解せず、否定的に捉えがちだ。


「南京大虐殺」が起きていた頃、何と南京市民は笑顔だった。
変わり者ばかりだったのかもしれないが、とにかく笑顔だった。
子供たちも笑顔で、日本兵と遊んでいた。
変態の役者揃いだったのかもしれない。
軍国主義の殺人鬼たちは薬でも使ったのだろうか。
その当時の南京市民は恐怖のあまり、ごく自然な笑顔になったのだろうか。
当時の写真が物語っているものは何だろう。

人のうわさや表現方法は話す人間のイメージで決まる。
それを受けた側はそれをイメージ化して理解する。
経験や環境の違う者同志でもより一層怖いものに、あるいはより一層楽しいものに
変化していくことは十分起こりうる。
自分たちが理解しやすいようにイメージ化する。
あり得ないとイメージするか、十分あり得るとイメージするかは
話し手から始まる問題だ。

まさにその時、科学的論理性が問われる分岐点となる。

気に食わない時に感情に走ってしまうと、
科学的論理の入口に入り損なうことにもなる。
人間は常に付きまとう感情に合うように考え出し、
真実、実態とかけ離れた理解をしてしまうからだ。

正義が叫ばれることが多いが、正義はイデオロギーに他ならない。
排他的になればなるほど純化する。
揺るぎない正義は科学的論理を寄せ付けない。
正しいと信じて、思い込み、その正しさを確定させる。
そこにあるものは科学的論理によって導き出されたものではなく、イデオロギーである。

子供の時に身に着けた想像力。
大人になるにつれ、現実を認識し、想像の世界とのギャップを埋め始める。
事実に基づいて論理的に考え始めることになる。
ファンタジーからの卒業だ。

しかし思考回路は自分の感情に合うように作動する。


生き方は人それぞれで、価値観も違う。
その価値観に適った正しさ、正義が生まれる。

正義だとか幸せだとか、心地良い言葉だが、
とてもいい加減な言葉でもある。
幸せ・幸福は結局、慾を満たすことに他ならない。
長生きしたい、お金持ちになりたい、いい暮らしがしたい等々。
生き方や立場が違えば、価値観や正義も違ってくるわけだ。


学校で教わったことやテレビや新聞で扱われたニュースをなぞるように繰り返し考えてみたところで、真実に到達するとは限らない。
何故なら、真実と思い込んだ事柄と合致しないことに対して嘘だ、ねつ造だと判断したり、
理解不能な都合の悪いこと・矛盾に対してスルーしたりしているのが
実情だからだ。
自分に都合よく解釈したり、手っ取り早く勘違いしたりしていることも少なくない。
事実に基づいて合理的に科学的に論理立てて理解することを放棄している訳だ。
その思考回路では理解不能に陥り、使えない代物にさえなってしまうということだ。
結局、あとはイデオロギーで押し切って自己満足的な理解に収まってしまう
というのが実情だ。

人は兎角、見てくれや思い込みで判断する。
その際の思考回路は本当に使えるものなのだろうか。
とっさの時のような原始的対応が必要な時は有効かもしれないが。

自然は生物を創り、人間という生物に思考回路をもたらした。
その人間は生きるために食べ、食べるために働き、そして生きている。
その生き方を決めているものは何だろう。
人間は生活共同体を形成し、自分たちに都合の良い環境を創ってきた。
今現在、地球の表面に創っているわけだ。
人間はこれからどう発達し、その共同体はどう発展していくのか。
何処に向かっているのだろうか。
自然が人間を通して創った思考回路はうまく機能するのだろうか。

デフレ下で消費税増税をやろうとするアホ丸出しの世界がある。
高偏差値が意味をなさない事を物語っている。
経済の専門用語でも使えばいい世界なのかもしれない。
富の集中・偏在と分配の間でバランスが取られる現象だ。
グローバル経済になってより一層富の集中が進んでいるが、
国民のためになる経済が求められている。どうしてか。

共同体での適材適所、役割分担を理解することで、
人間は自己の存在価値と使命感を認識する。
やりがい、生きがいがあるとなるわけだ。
ご都合主義では出てこない世界だ。
何とそれは、古事記での天の岩戸の前で繰り広げられた。持ち味を活かした神々を通して。
古事記が書かれた当時の人間の頭の中に成立していたわけだ。
何か問題でも起きれば、
すぐに争いだし、銃をぶっ放して、しまいには人を殺すのとは大違いだ。

限られた人生の中で、時間と共に、
自分にとって意味のある時空間を見出そうとするのではないだろうか。
そしてそれは、
安定した人間社会を創り出そうとする本能とも言えるものに繋がっているのではないだろうか。
結局、自分の慣れ親しんだ考えでもなく、
イデオロギーで都合良くワープするのでもなく、
しっかりと事実を捉え、科学的に論理だてる思考回路を持つことによって、
その求めようとする時空間への道が開かれてくるのかもしれない。