ずばり、小学校入学前の2年間でした。

 

太郎がおうち英語を始めたのは年中の時で、そこからの2年間のつらさは、今の倍以上です。

読み聞かせや語りかけを、毎日続ける大変さは以前書いたとおりで、今回はその他の理由をあげていきたいと思います。

 

理由①「評価するものがない」

ライティングがない英検4級以下やTOEFL primaryであっても、マークシートをぬりつぶす作業ができないだろうな、と思い受けさせませんでした。そしてなにより、座って試験を受けさせることが太郎の負担になると思い、TOEFL primaryを初めて受けたのは小1でした。

キリ君は幼児期から英検を受けていたようで、すごいの一言です。

 

毎日毎日がんばっているので、成果を知りたいというのは当然のことです。

でも測るものがない。測れないから不安、報われないという負のループです。

 

理由②「褒められない」

少し話せたり読めるようになっても、「すごいねー!」と言ってくれる人はいません。

身内であっても、

「まずは日本語からでしょう」

と言われることがあり、幼児期に英語ができても、褒められることは期待できないです。

 

これはタエさんも、本で書いていましたね。

 

サッカーがうまかったり、ピアノが上手に弾けたら褒められるのに、英語だけは褒められない不思議。

理不尽だなぁと思っていました。

 

褒めてもらうことで、もっと伸ばしてあげようと思う親心は、スポーツでも楽器でも英語でも、同じだと思います。

 

理由③「相談できるひとがいない」

おうち英語に限らず、子供の学習状況について、家族以外には相談しない人も多いかと思います。

ですがおうち英語でつらいところは、水泳教室だったらコーチ、幼児教室だったら先生、など煩わしさを感じず(感じさせず)に相談できるひとがいないことです。

「おうち英語教室」がないので当然ですが、日々の不安のはけ口がないことは、非常に大きなストレスとなっていました。

 

「フラッシュカードの作り方はこれでいいでしょうか?」

「全然話すようにならないのですが、大丈夫でしょうか?」

「日本語に影響がでるのでしょうか?」

 

こんなことが相談できたら、どんなに良かったかとおもいます。

 

おうち英語を続けて半年ほどで、簡単な単語が言えるようになると、

「太郎くん、英語話せるの?」という雰囲気になることもありました。

 

この解釈は、様々であると思いますが、

「英語=かっこいいもの」

であるという認識が、敵対心をうみだすことがあるとおもいます。

 

これは、日本の英語を取り巻く環境に原因があると思っていて、今後書きたいと思っています。

 

そういったトラブルを避けるためにも、より一層、おうち英語について誰かに話すことはなくなり、孤独との闘いが続いた日々でした。

 

この期間については、振り返った今も、耐える以上にできることはなかったかなと思います。

以前の記事で書いた、アウトプット先で救われたことはあったので、そこでは唯一、私が気持ちを公にできる場でした。

 

日本語については、お答えさせていただきます!

 

まったく心配することはないですよ。

日本語の園や小学校に通っている限り、遅れたり変になることは、ないです。

 

昨日の記事でも書きましたが、優しい言い方、話し方でお話してくれますよ。