こんにちは
先日リビングリセットの記事をかくときに
久しぶりにナイチンゲールの看護覚え書を
思い出しました。
看護学生時代に初めてみて
「看護とは」というのを机上で学びました。
働きはじめて3年目のときに
「わたしの看護観」
という発表をする機会があったのですが
わたしは
ナイチンゲールの看護理論を
ベースに展開しました。
そして助産師17年目、
管理業務も任されるようになったいま、
また新鮮な気持ちで
読むことができました。
この本、けっこう好きなんですよね。
現役の看護師さんや
看護職を目指す人でなくても
読んで損はないはずです。
ナイチンゲール=看護師
って思ってる人も多いでしょうけど
ナイチンゲールが
看護師をしていたのは2年半くらいだそうです。
本の中でも
看護師に看護することを教えるための手引書ではない。
他人の健康について直接責任を負っている女性たちに、考え方のヒントを与えたいという、ただそれだけの目的で書かれたものである。
その理由は、ほとんどすべての女性が、一生のうちに子供や病人の世話をする機会がある。それゆえ、「女性は誰もが看護師なのである」
と書かれています。
これは1859年に発行された本なのですが、
古い!!
2020年の現在なら
子どもや病人を世話をするのは
女性に限ったことではないので
みんなが目を通すと良いと思います。
13章からなっており
要約しようかとも思ったのですが
やめておきます。
興味のある方はぜひ
google先生にきいてみてください。
いっぱい出てきます!
私が特に好きな考えは
第3章の小管理です。
自分ひとりが頑張っても
自分がいない時には
実行されない看護ではいけないんだ、
というところです。
長いけれど
和訳を引用します。
看護師→母親(父親)
看護→育児
患者→子ども
に置き換えて読んでみてください。
最も献身的な
家族や看護師といえども、
常時その《持ち場》に
詰めていられるとはかぎらないし、
またそれを強制するのも
望ましいことではない。
そして、ある看護師が
自分の健康をも顧みず、
ほかのあらゆる仕事をも放げうって
看護に打ち込んだとしても、
ただひとつの小さな管理が欠けているならば、
その半分も打ち込んでいないが
「自分自身を拡大する技術」を持っている別の看護師に比べて、
その半分も充分な看護を行なえないのである。
すなわち、
前者に看護される患者はきっと、
後者に看護される患者ほど充分には、
世話を受けられないはずである。
ややこしい
つまり
子育てにおいてだったら
お母さんだけが子どものためにと
犠牲になって頑張ることよりも
半分しか頑張ってなかったとしても
お母さんが不在のときに
子どもの成長・発達を促すことが
できるようなシステムを構築している方が
子どもにとって大事なんじゃない?
みたいな感じかな。
わたしは子ども3人いるけれど、
フルタイム夜勤ありの仕事をしていて
十分に子育てに力を注げていないです。
だけどその分、
私がいないときにも子どもたちの
成長発達を見守ってくれる
保育園の先生方や、
夫や母親、ご近所さんがいてるので
それで大丈夫だよって
言ってもらえてるような気がします
18才のときは
「キレイな空気や水、太陽の光が大切!」
の方がすっと入ってきてましたが、
こうして
何年も経ってから読みなおせたことで
また新しい発見がありました
あと
ナイチンゲール関係ないですが、
古い本つながりで
カーネギーも深いです。
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人を動かすは
1936年に発行されたんですって!
古いのにめちゃめちゃ新しい
子育てにおいても
タメになることが書いてあって
オススメです
「散らかしたままにしないで!」
とか
「片付けなさい!!」
とか何回言ってもやってくれない
それにもちゃんと理由があるんですよね。
では、また
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