~帰りたくなる家づくり~
おうちかえり隊 隊長 カワバタ キョウコです
つたないブログにお越しいただきありがとうございます。
今朝、中学生の娘に『1月17日って何の日か知ってる?』と聞いてみると・・・
『鏡開き・・・?』
いやいや違うやろ・・・ でも、食卓にまだ鏡餅が放置してあった母の責任?
私の落胆ぶりを察し、『そうだ、昨日学校で習ったんや・・・』との事でした。
阪神淡路大震災は学校で学ぶ事になったんだな~と感じました。
神戸で生まれ、芦屋で育ち1995年1月17日は芦屋の実家で迎えました。
幸い身内は無事であり、自宅は半壊認定でしたが住める状態。
まわりにはつらい経験をした友人がたくさんいたので、わざわざ私の経験を語るまでもない・・・が今までの本音でしたが私の目線で感じた事、当時の暮らしを少し書きたいと思います。
当時、住宅リフォーム会社に入ったばかりの頃でしたので、自分の家は放りっぱなしで、毎日毎日仕事でした。住める状態とはいえ、水道がストップしていたので、約3か月給水車を待つ(母が・・・)日々。
トイレの水は近くの川から調達。
お風呂は会社の近くの公園に自衛隊の仮設風呂(子供用ビニールプールみたいな感じ)と
近くの小学校の仮設風呂を曜日でローテーション。
お風呂は多くて週3日。 2日の日もあります。
電気はなんとか、安定供給 もちろん計画停電はありました。
ガスは約2か月ストップ。 カセットコンロでここはクリアー
電話は携帯の普及前でしたので、今とはかなり事情が違います。
回線が不安定で日中が繋がらない状態。
夜中は比較的安定していたので、夜中2~3時に友人からの安否確認電話があったりと・・・。
阪神淡路大震災を機に携帯電話が一気に広がったと記憶しています。
だらだらと当時の暮らしを回想してしまいましたが、1.17はライフラインの有難さ、普通に暮らせる事の幸せをもう一度きちんと考える日にする・・・というのが、私らしく・・・でしょうか。