「現役世代にも、町内会長が、やれるということが分かりました。あなたのおかげです」
そんなことを言われた。まったくの心外である。
「今まで、現役世代から町内会長を選ぶということをやってなかったのですが、これで道が開けました」
そうも言われたので、ただちに反論した。
「貴方が会社勤めしていた時を思い起こしていただきたいのです。町内会長の仕事がやれたと思いますか。どうですか。会社勤めをしていた時に、町内会長をやる。という選択肢が、ありましたか」
相手は黙る。
「私のように30代でなくてもいい。50代で課長とか部長とかやっていて、土日につきあいもある。そういう状況で、町内会長を引き受けられると思ってましたか?」
ええ、どうなんだ。バカヤロウ。
「いえ、私の仕事は、忙しくてできなかったですが、貴方はやれているから、よかったと申しているんです」
火に油だ。
「私の仕事が暇だとでもいうんですか。私は30代です。会社では未熟な会社員にすぎません。会社ですることがたくさんある。土日は、家族との時間も割いて、町内会の会議やら、準備やらにあてているんです。やれているではなくて、仕方なくやっているんです」
相手は、開き直ってきた。
「私は何も、そんなことを言ったんじゃあない。あなたのことを褒めているんです。誤解されては困ります」
褒められている??そんなのはウソだ。
これまで現役世代は町内会長の対象者として除外してきたが、なり手がないので、困っていた。でも、現役世代から町内会長ができたせいで、そこまで広げる実績ができた。次の選考から、堂々と、現役世代も候補者として、含めることができてよかった。くじ引きに当選する確率が下がるし。このまま、俺は、ずっと町内会長なんてばかな仕事を押し付けられずにすむかもしれない。
こいつの心の中を文字にすると、さしずめ、そういうことなのだろう。
今年度も上半期が過ぎて、後半に入ると、すぐに来年の2月がやってくる。
あれから一年。今年も役員改選の時期が来る。
町内会の規約には、「役員の再任は、これをさまたげない」となっている。
だが、再任するつもりはない。
ここまでの半期で、年間の労働実感に換算すると、1か月半に相当するくらいの時間を、町内会とその上部団体の行事や会議に割かれることが、見通しとしてたっている。
来年度も、その時間と労力を割くつもりがあるのか。まったくない。
会社を通じて仕事をして社会の役に立ち、納税するのが、我々30代の勤めである。
納税につながらない町内会の業務を、使命感をもって遂行するつもりもない。
国家にとっても、ほかの国民にとっても、現役世代が町内会をする利点は、なにひとつないといっていい。
俺に町内会長を押し付けた、じじいどもは、よく聞いてほしい。
俺たちは働いて納税している。じじいどもの年金を支払っているようなものだ。
最近、戦争に関する本を読んだので、それを例えに言うとだ。
30代の俺が町内会長をやっている、ということは。
「現役で陸軍に召集されている俺に、在郷軍人会の予備役や、退役軍人の仕事を押し付けている」ようなものだ。
恥ずかしいと思わないのか。現役の軍人さんに申し訳ないと思わないのか。どうなんだ。
しかし、考えてみれば、こんなたとえをしたところで、やつらの心に響かないだろう。 なぜなら、俺に町内会長を押し付けたやつらは、実のところ、60代から70代なので、兵役にもついたことがなく、戦争にも行っていない、偉そうなことがいえないやつらだ。
戦後の民主主義教育を通じて、過去の戦争を一括して「罪悪」と自己懺悔し、社会主義や共産主義にかぶれて、国家を「体制」と呼び、資本主義を批判してきた、無責任な世代の塊でもある。大東亜戦争で悲惨を体験した70代後半から80代とは違う。
高度経済成長を享受してバブルを楽しみ、その間、次世代につなぐ何の努力もせず、年金だけは満額もらって、あとは、自分の楽しみだけに生きる。そんなやつらに、俺は町内会長を押し付けられた。
そのことを忘れたことはない。