アンダのバルトーク ピアノ組曲 作品14

 

Béla Bartók

Suite für Klavier Op.14 Sz.62 BB70

 

 

  今日採り上げるのは、バルトークの組曲 作品14 Sz.62 BB70です。

 

  此の曲は、ハンガリーの作曲家ベラ・バルトークが1916年2月に作曲完成させたピアノの為の組曲で、1919年4月21日にブダペストに於いてバルトーク自らの獨奏で初演が為されています。

 

  バルトークは唯一のオペラ作品《青髭公の城》を1911年に作曲し、コンクールに應募するものの、演奏不可能として却下されてしまい、ブタペスト音樂界への不信を強らせ、郊外へ引き籠る樣になり、民族音樂の收集に没頭する事で、新曲の作曲は殆ど行わなく成ります。爾後、多くのルーマニア民族音樂の編曲を數多く手掛ける樣に成ったバルトークですが、其處で特に異色な作品と為っているのが此の《組曲》(1916年)です。

 

  バルトークが自らのコンサートレパートリーとして久々に手掛けた本格的な作品である此の曲は、バルトークのピアノ作品の中でも屈指の重要な樂曲で、唯一ピアノ・ソナタに比肩し得る存在と云い得る者です。又、多くのバルトーク作品では東歐の民族音樂が頻繁に用いられているものの、本作は民謡に起源を持つ旋律が使用されてはいない數少ない作品の一つで、此處には生の民族的素材は用いず、民族的な語法、リズム、音色等と謂った諸要素を獨自の書法に由って磨き上げ樣とする新たな試みが見られます。併し乍ら、一部の樂章に於いてはルーマニア、アラブ、北アフリカのリズムの影響が依然として認められます。當初、組曲は5つの樂曲から成る預定であったらしいのが、バルトークが後に翻意して第2曲の「Andante」を削除する事にしたと云われています。この曲は作曲者の死後、「Új Zenei Szemle」(新音樂批評)の1955年10月号にて出版が為されています。

 

  樂曲の構成は以下の通りです:

 

  第1楽章:アレグレット(Allegretto)

   3部形式の舞曲調の曲で、變ロ音が主音と為っていて、全音音階の使用が目立ち

  ます。

 

  第2楽章:スケルツォ(Scherzo) 

  12音列を用いた下降形の冒頭と、鋭いリズムと冷たい音色感が印象的です。

  全体はABACABACAというロンド風の形式に由っています。

 

  第3楽章:アレグロ・モルト(Allegro molto)

  此の樂章の素材は、バルトークが1913年に聽いたアルジェリア(當時フランス

  領)の民族音樂が影響していると云います。strepitoso、連續するアクセント、

  素早い跳躍など、高度な技巧が求められるとされています。

 

  第4楽章:ソステヌート(Sostenuto) 

  終曲がテンポの遲い樂章であると謂う點は、《第二弦楽四重奏曲》と類似するも

  ので、8分音符、4分音符、4分音符、8分音符というリズム型は、ハンガリー

  民謡に由来するもので、極めて纖細な詩情を湛えた曲と成っています。

 

 

  今日紹介させて頂くのは、ゲザ・アンダのピアノ獨奏に由り1960年3月24日にパリで行われた演奏會におけるライヴ録音です。

 

  ハンガリー生まれのピアニスト、ゲザ・アンダの現役盤は決して多いとは云えないのですが、ザルツブルク・カメラータ・アカデミカとの彈き振りに由るモーツァルトのピアノ協奏曲全集という偉業や、フリッチャイ/ベルリン放送響と共演した同郷の作曲家バルトークのピアノ協奏曲全集など、五〇年代から六〇年代にかけて、数多くのレコーディングを行っています。

  アンダが世を去ったのは、一九七六年ですが、彼は一九二一年の生まれであるが故に、未だ五〇歳代の早過ぎる死でした。アンダのピアノは、ロマン的な氣質を多分に持ち乍らも、冴えた感覺の粒立ちの良い音で、知的に組み立てられた音樂が最大の魅力であると云い得ましょう。
  斯うしたアンダのスタイルは、未だ戰前の巨匠達のレコード演奏からの影響が強く殘っていた時代に在っては、第一級の贊辭を得るには至らなかったものの、今日に於いては、彼の安定したテンポの音樂は、寧ろ極めてスタンダードな、よく耳に馴染んだものに聽こえます。

  そして、ハンガリー出身のピアニストであるだけに、此の作品の奥底に存在する「心の琴線に觸れて來るもの」を生々しく表出しているのが犇々と傳わって來る感じが致します。

 

  演奏メンバーは以下の通りです:

 

  Géza Anda(Klavier)

  

(1960.03.24)