ルフェビュールのラヴェル 《クープランの墓》

 

Maurice Ravel 

Le Tombeau de Couperin

Suite pour Piano M.68

 

 

 

  今日採り上げるのは、ラヴェルのピアノの為の組曲《クープランの墓》です。

 

  《クープランの墓》は、フランスの作曲家モーリス・ラヴェルが1914年から1917年に掛けて作曲したピアノ組曲で、「プレリュード(前奏曲)」、「フーガ」、「フォルラーヌ」、「リゴドン」、「メヌエット」、「トッカータ」の6曲から成り、夫々が第一次大戰で戰死した知人たちへの思い出に捧げられています。ラヴェル最後のピアノ獨奏曲でもあり、1919年に4曲を拔粹した管弦樂版が作曲者自らに由って作られています。

  原題中の Tombeau (トンボー)はフランス語で「墓石・墓碑」を意味する一般名詞ではあるもいのの、音樂用語としてはバロック時代のフランス音樂に特徴的な「故人を追悼する器樂曲」を指すものであると云います。バロック音樂の分野では Tombeau は「墓」とは譯さず「トンボー」とするのが一般的である樣です。

 

  1914年の第一次大戰では、フランスは勃發後間も無くロシアからの要請とドイツからの宣戰布告により捲き込まれ、愛國心の強かったラヴェル自らも野戰病院の病院車の運転手として從軍したものの、1916年に健康を害したが為にパリに戻り、1917年に除隊しています。そして、此の年にラヴェルは母親を失うのみならず、知人達をも失っています。そうして作曲された此の組曲の各曲は、大戰で散った友人達に捧げられています。

  1918年にデュラン社から出版された初版譜の装画と題字はラヴェル自らが筆を執ったもので、1919年4月11日に、サル・ガルヴォーに於ける獨立音樂協會(SMI)の演奏會に於いて、ピアニストのマルグリット・ロンによって初演が為されています。ロンは、最終曲「トッカータ」を捧げられた音樂學者のジョゼフ・ドゥ・マルリアーヴと結婚していたものの、戰爭未亡人と為っていました。

  初演の後、ラヴェルを嫌う批評家が新聞に「ラヴェル作曲の《クープランの墓》は大變結構だった。だがクープラン作曲の《ラヴェルの墓》だったらもっと結構だったに違いない」と書いたというエピソードが殘っているそうです。

 

  樂曲の構成は以下の通りです:

 

  1. プレリュード(Prélude)

  ジャック・シャルロ中尉 (《マ・メール・ロワ》のピアノ獨奏版の編曲者) に捧げられた者で、古典的な組曲の冒頭に置かれる前奏曲を範として書かれ、16分音符の無窮動的な動きが全体を支配しています。又、頻出する装飾音符(モルデント、プラルトリラー)は、拍頭で奏されるよう記譜されています。

 

  2. フーガ(Fugue)

  ジャン・クルッピ少尉に捧げらた者で (ラヴェルは彼の母親に《スペインの時》を捧げています)、フーガ形式で、獨特なリズムの主題を持ち、途中から反行フーガが見られます。

 

  3. フォルラーヌ(Forlane)

  ガブリエル・ドゥリュック中尉 (サン=ジャン=ジャン==リュズ出身のバスク画家) に捧げられた者で、フォルラーヌとは北イタリアを起源とする古典的舞曲の事です。ラヴェルは1914年にフランソワ・クープランの《王宮のコンセール》のフォルラーヌの編曲を行っていて、此の曲には其の明らかな影響が見られます。演奏所要時間がこの組曲中最も長く、ロンド形式で書かれています。

 

  4. リゴドン(Rigaudon)

  ピエール&パスカルのゴーダン兄弟 (ラヴェルの幼馴染み) に捧げられた者で、三部形式で書かれていて、中間部は速度を落として轉調します。リゴドンは17世紀に流行したプロヴァンス地方に由来する活潑な舞曲で、トッカータと同樣、演奏者によって演奏速度が大きく異なっており、速く彈く奏者と遲めに彈く奏者との演奏所要時間の差が最大で約1分の開きが出る事もある樣です。

 

  5. メヌエット(Menuet)

  ジャン・ドレフュス (ラヴェル除隊後の家主) に捧げられた、三部形式の曲です。

 

  6. トッカータ(Toccata)

  上述の通り、初演者であるマルグリット・ロンの夫、ジョゼフ・ドゥ・マルリアーヴ大尉に捧げられた者で、ロンド・ソナタ形式で書かれ、最初はホ短調であるものの、94小節目で嬰ニ短調に轉調し、144小節目でホ短調に戻り、217小節目でホ長調に轉調すると謂った形と成っています。トッカータらしく速く、ピアニスティックな曲で、最後に壯大な盛り上がりを見せて一氣にエンディングと成ります。同音連打を多用したピアノ曲の最高峰の一つに位置づけられていて、ラヴェルの作曲技法が惜しむ事無く注ぎ込まれています。

  技術的にも困難で、多彩な表現が盛り込まれているが為に、演奏者によって樣々な解釋が為されており、演奏速度の設定からも其れを垣間見る事が出來ると云います。因みに、ラヴェル自身から直接其のピアノ作品の解釋に就いて學んだヴラド・ペルルミュテールの録音では♩=約132で演奏されているそうです。今日ではラヴェルの譜面上の指定である♩=144以上の高速で演奏するピアニストも多い樣ですが、此れには相當のテクニックが必要であるとされています。

 

  今日紹介させて頂くのは、イヴォンヌ・ルフェビュールのピアノ演奏で1975年1月に行われたセッション録音です。

 

  ラヴェルの直弟子では無かったものの、同時代を過ごしたピアニストであるルフェビュールの演奏は、古風な解釋に由る者で、音は粒が揃っていて、テンポは全體的に速めです。現代の解釋からは正反対の樣な氣がするのですが、斯う謂う解釋の方が、フーガ等の情緒的な曲がより映えるのではないでしょうか?メヌエットの拍もしっかりと刻まれていて、當時のラヴェル演奏の雰圍氣が良く傳わって來る樣に想えます。そして、明晰で透明感の有るピアニズムからは、類稀な知性が窺われ、剛毅なタッチから凛然とした佇まいが聽こえて來ます。香水は效かせ過ぎると品が無く成ると良く云われますが、媚や色氣を排したルフェビュールのラヴェルは誠に格調が高く、難曲とされる終曲での氣魄も見事であるというより外有りません。

 

  

  演奏メンバーは以下の通りです:

 

  Yevone Lefébure (Klavier)

 

(1975.01)

 

 

 

 

 

(1975.01)