マルケヴィッチのサティ  《パラード》組曲

 

Éric Alfred Leslie Satie

(Erik Satie)

《Parade》Suite

 

 

 

 

  今日採り上げるのは、エリック・サティの《パラード》組曲です。

  

 《パラード》は、セルゲイ・ディアギレフ率いるバレエ・リュス(ロシア・バレエ團)が19上演した上演した全1幕のバレエ、又はフランスの作曲家エリック・サティに由るバレエ音樂並びに管弦樂組曲で、今日紹介させて頂くのは其の管弦樂組曲です。

 

  上述のディアギレフのプロデュースに由り、臺本:ジャン・コクトー、音樂:エリック・サティ、美術・衣装:パブロ・ピカソと謂う、當時の最先端の藝術家に由って生み出され、バレエ・リュスの新時代を告げる重要な作品と為りました。日曜日の見世物小屋を舞臺に、出演者達がテント前で客寄せの為に藝を披露し、3人のマネージャーが客を呼び込むというもので、サティによる音樂にはサイレンやタイプライター、ラジオの雜音、ピストル、廻轉式の籤引き装置、空き瓶やパイプを叩く音等、騷音や現實音が音樂に用いられていて、此の點に於いてはエドガー・ヴァレーズを10年先取りしています。ピカソがデザインした衣装も、人體の形を無視したようなキュビズム風デザインによる巨大ハリボテのマネージャー、2人掛かりで演じる馬等、奇抜な者であったと云います。

 

  初演は第一次大戰中の1917年5月18日に、パリのシャトレ座でのバレエ・リュスの公演に於いて行われ、指揮はエルネスト・アンセルメ、振附はレオニード・マシーンが擔當しています。

  《パラード》の初演は、《春の祭典》(プロデューサーは同じくディアギレフ)以来の一大スキャンダルと成ります。惟、《春の祭典》のスキャンダルは專ら前衛的な音樂に由る者だったのですが、《パラード》の場合は、ピカソによる幕の繪や舞臺装置等、音樂以外の要素も騷動の原因と成っています。又、第一次世界大戰中と謂う事も有り、バレエ其の物が良識への挑戰であると看做す人々も存在したと云います。飛び交う野次に對抗して、モンパルナス派の畫家達はピカソを、ジョルジュ・オーリック、ジェルメーヌ・タイユフェール、ルイ・デュレ、ロマン・ローラン等の音樂関係者はサティを讚えて叫び、劇場内は騷然としそうです。《パラード》の初演は、後にフランス6人組と呼ばれる事と成る若手作曲家達を大いに刺激する事と成るのみならず、ピカソは爾後、ディアギレフとは《三角帽子》及び《プルチネルラ》で仕事を行っています。

 

  組曲は以下の6曲で構成されています:

  1. コラール
  2. 赤いカーテンの前奏曲
  3. 中國の手品師
  4. アメリカの少女
  5. 二人の輕業師
  6. 終曲

  上述の通り、興行其の物は批評家からは高い評価を得たものの、1917年の初演後は殆ど上演される事は無かった樣で、其の背景には第一次世界大戰の最中と謂う事で、バレエどころではなかったという事情も在ったのかも知れないのですが、戰爭が終わってからも再演される事が殆ど無かったと謂う事實からすると、豪華メンバーを結集した事による「尖り過ぎ」が原因で、餘りに強過ぎるる個性がぶつかる中で本領を發揮した作品は、後の時代に成ると、其れを一つの作品としてバランスよく再演するのが難しかったのかも知れません。
  と謂う事で、現在ではサティの書いた音樂から何曲かが選び出された「組曲」として演奏されるくらいなのですが、其れも演奏機會が多いとは云えません。 

 

  今日紹介させて頂くのは、イーゴリ・マルケヴィッチの指揮するハンブルク北ドイツ放送交響樂團に由り1960年2月15日に行われた演奏會に於けるライヴ録音です。

 

      マルケヴィッチと謂う指揮者を見いだしたのは世界的な興行師であったディアギレフで、二人の出逢いは1928年の事で、其の年の夏に偶々ディアギレフの秘書がマルケヴィッチの母と知合いに為り、彼女の息子が若い頃のレオニード・マシーン(ロシア・バレエ團中期のダンサー兼振附師)とそっくりなことに驚いたのが切っ掛けでした。其れを聞いたディアギレフはパリで此の少年と出會い、其の音樂的天分にすっかり惚れ込んでしまい、更には「同性愛者」でもあったディアギレフはマルケヴィッチ其の人にも惚れ込んでしまったのでした。

  マルケヴィッチ自身は「同性愛者」では無かった樣ですが、後に「彼は私に世界全體をくれる樣とした。彼の寛大さは限度を知らなかった。ディアギレフは倒錯者では無かった。寧ろ感情を重んじる人物だった。確かに彼の愛情には肉欲的な側面があったけれども、多分其れは彼にとって必要惡だったのだろう。」と述べている樣に、父性愛的な感情を以ってディアギレフと接していた樣です。
 そして、マルケヴィッチは彼の支援を得て作曲家としての才能を伸ばし、其の後は指揮者として世界的な名聲を獲得していく礎を築いたのでした。

 

  因みに、組曲として選ばれる作品は上述の6曲が基本である樣ですが、採り上げる指揮者に由ってかなり自由に取捨選択が為されている様で、マルケヴィッチの選んだ作品は以下の通りと為っています:

 

  I. Choral (コラール)

  II. Prélude du Rideau rouge (赤いカーテンの前奏曲)

  III. Entrée des Managers(マネージャーの入場)

  IV. Prestidigitateur chinois(中國の手品師)

  V. Petite fille américaine(アメリカの少女)

  VI. Rag-time du Paquebot(パックボーのラグタイム)

  VII. Acrobates(輕業師)

  VIII. Suprême effort des Managers (マネージャーのずば抜けた努力)

  IX. Suite au Prélude du Rideau rouge(赤いカーテンの前奏曲からの組曲)

 

 「異常な迄の完璧主義者」と云われ、方向性として何處迄も明晰さを追求しようとするマルケヴィッチの入魂の指揮と、其れに應え樣とするオケの遣り取りがリアルに傳わって來る樣な名演で、弦の音の澁い響きから、往々にしてブラームスやブルックナーを初めとするドイツ音樂にしか適していないと思われがちな此のオケから明晰さを引き出しているのが見事です。

  因みに、マルケヴィッチは此の曲をイギリスのフィルハーモニア管弦樂團とセッション録音(1954年5月21日)している外、同じドイツのWDRケルン放送交響樂團とのライヴ録音(1952年)も殘していますが、音質とオケの力量、そして臨場感という點に於いて、矢張り此の演奏が最も優れている氣が致します。 

 

  演奏メンバーは以下の通りです:

 

  Igor Markewitsch (Dirigent)

    Sinfonieorchester des Norddeutschen Rundfunks

    Hamburg

 

(1960.02.15 Live-Aufnahme)

(1960.02.15 Live-Aufnahme)