コルトーのドビュッシー  《子供の領分》

 

 

Claude Achille Debussy 

 《Children's Corner 》L.113

Le Coin des enfants 》/"Kinderecke"

 

 

  今日採り上げるのは、ドビュッシーの《子供の領分》です。

 

  《子供の領分》は、フランスの作曲家クロード・ドビュッシーが1908年に完成させたピアノの為の組曲です。

 

  此の作品は當時3歳であったドビュッシーの娘クロード・エマ(愛稱 “シュシュ” Chouchou)の為に作曲された者であると雖も、子供に演奏されることを意圖した者ではなく、飽くまでも大人が子供らしい氣分に浸る事を目的とした作品であり、此の點に於いては、シューマンの《子供の情景》にも通じる精神が有るものと看做されています。

 

  6つの小品から為る組曲である此の作品には《Children's Corner 》と謂う英語のタイトルが附されています。

  ドビュッシーは1905年に前妻リリー・テクシエと離婚し、銀行家夫人であった絵馬・パルダックと驅け落ち同然に再婚し、そして其の年に一人娘のクロード・エマが誕生します。43歳にして初めて授かった此の子をドビュッシーは溺愛したと云われ、此の作品は、彼女に捧げられています。そして、題名が英語標記であるのは、エマ夫人の英國趣味に影響された者と云われています。

 

  1908年にデュラン社から出版され、同年12月18日に、パリに於いてハロルド・バウアーに由って初演が為され、そして1911年にアンドレ・カブレに由ってオーケストレーションが為され、同年3月25日に其の初演が行われています。

 

  樂曲の構成は以下の通りです:

 

  第1曲「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」(Doctor Gradus ad

      Parnassum)

  クレメンティの練習曲集『グラドゥス・アト・パルナッスム』(パルナッスム山への階梯)のパロディーで、練習曲に挑戦する子供(シュシュ)の姿を生き生きと描いた、退屈な練習に閉口する子供の心理を表現した曲であるとされています。ドビュッシーは、モデラートで始まりスピリトーゾで終わる此の曲を「毎朝朝食前に彈くべき曲」であるとしています。

 

  第2曲「象の子守歌」 (Jumbo's Lullaby)

  五音音階によ由る旋律と2度の和音が異国情緒を掻き立てます。ドビュッシー自身の命名は“Jumbo’s Lullaby”であったのだそうですが、フランス語では Jumbo と Jimbo の発音が同じ樣に為る事から、出版社によるミススペル(Jimbo's Lullaby)が廣く定着する事となったと云います(現在のデュラン社による新校訂版では、元来の綴りに戻されています)。  

 

  第3曲「人形へのセレナード」 (Serenade of the Doll)

  當曲集で最も早く作曲され、1906年には單曲の樂譜も出版されています。「象の子守歌」と同樣、五音音階の主題に基づいていて、アルフレッド・コルトーは、フランス人であるドビュッシーが、表題の英語標記を “Serenade for the Doll” とするべき所を、of と誤って表記したのではないかと指摘しています。

 

  第4曲「雪は踊っている」 (The Snow is Dancing)

  靜かに降る雪を、窗辺で飽きる事無くじっと眺めている子供たち。ゆっくり舞いながら降りて來た雪の妖精が、地表を白いビロードで覆う樣を表現したトッカータです。ドビュッシーは、イギリスの妖精を題材としたアーサー・ラッカムのイラストレーションから、インスピレーションを得たと云います。

 

  第5曲「小さな羊飼い」 (The Little Shepherd)

  三部形式で、附點リズムの單旋律が靜かに歌われます。

 

  第6曲「ゴリウォーグのケークウォーク」 (Golliwogg's Cakewalk)

  本曲集の中で一番有名な曲で、ゴリウォーグとは、フローレンス・アップトン(Florence Upton)の絵本(1895など)に出てくる黒人の男の子人形のキャラクターの名前で、ケークウォークは黒人のダンスの一種です。此の曲は、西洋音樂とアフリカの黒人音樂との接觸の初期の例として屡擧げられていて、中間部ではワーグナーの樂劇《トリスタンとイゾルデ》の冒頭部分が引用されています。

 

  今日紹介させて頂くのは、アルフレッド・コルトーのピアノ演奏に由り1928年にロンドンで行われたセッション録音です。

 

      コルトーは1923年、1928年、1947年、そして1953年の4回に亙って此の曲のセッション録音を殘している事から、此の曲を得意としていた事が窺えます。

  何れもフレンチ・ピアニズムの粹が感じられるのみならず、單純な單音にも意味が感じられるのが素晴らしく、テンポ・ルバートが激しくはあるものの、得意な曲で彈き熟していると謂う事も有り、違和感を感じさせたりはしません。斯うした表現は誰も真似する事の出來得無いものです。

  上述の録音の中では、音質と表現の熟成という點に於いては1953年の者が優れているのは確かなのですが、如何せん、晩年の演奏であるだけに、テクニック的に嚴しい部分が見え隱れするのは否めません。其れに比べて、1947年の者は、指は廻ってはいるものの、音質が劣っている上に、終曲でのミスタッチが目立ちます。

  従って、冴えと謂う點に於いては、全盛期に當たる1923年と1928年の者が優れているのは確かで、晩年の演奏には無い潑溂とした新鮮さが感じられます。惟、音質という點に於いて矢張り1928年のものがピアノの音をより鮮明に捉えていて、プレイエルの高音の響きが美しく聽かれます。

  ギーゼキングを初めとする演奏技術の達者なピアニストに由る明快且つ客觀的な録音が多數出ている現在に於いては、コルトーの樣な舊世代に屬する個性派は、傑出した個性を發揮し得ぬ限り嚴しい立場に置かれてしまうのも確かです。

  それでも、味わい深さという點からコルトーの演奏に比肩し得るのは、弟子のフランソワの演奏くらいしか無いのではないでしょうか?ミケランジェリの演奏も實に評判が良いのですが、小生にとっては、正直云ってクリスタルに響き過ぎで、此の曲の粹と謂うか、遊び心と詩情が足りず、金屬的に聽こえてしまうのを否めません。

  

 

  演奏メンバーは以下の通りです:

 

  Alfred Cortot (Klavier) 

 

(1928.06.05&12.11)

 

  ※ ご参考までに、茲に4種類の録音全てを紹介させて頂く事と致します。

 

(1923)

(1928.06.05&12.11)

 

(1947.10.14)

 

(1953)