ミュンシュのドビュッシー《春》

 

Claude Achille Debussy 

Suite symphonique 《Printemps》L.61

 

 

 

  今日採り上げるのは、ドビュッシーの交響組曲《春》です。

 

  此の曲は、フランスの作曲家クロード・ドビュッシーが作曲した管弦樂曲で、原曲は彼が20代の時に書かれたものですが、現在演奏されているのは彼の晩年にアンリ・ビュッセルがオーケストレーションを施した版です。

 

  ドビュッシーは1884年にカンタータ《放蕩息子》でローマ大賞を獲得し、ローマのヴィラ・メディチ(メディチ莊)へ留學するものの、ローマでの留學生活は性に合わず、2年で切り上げてしまいます。留學作品として作曲されたのは《ズレイマ》(現存しない)、《春》、《選ばれた乙女》、《ピアノと管弦樂の為の幻想曲》の4曲ですが、後2者はパリに戻って以降に作曲したものです。

  此れ等の中で、《春》はボッティチェッリの名畫『プリマヴェーラ(春)』と、繪畫部門のローマ大賞受賞者の同名作品からのインスピレーションを得て作曲されたものであると云われていて、1886年から1887年に掛けて作曲されています。

 

 

  1887年2月にヴィラ・メディチで合唱と2臺ピアノの版を完成させた後、パリでオーケストレーションを完成させたものの、《春》が提出された際、藝術アカデミーは「管弦樂曲には相應しくない嬰へ長調」(サン=サーンス)、「漠然とした印象主義」等と酷評し、受理しませんでした。

  此の時の版の編成は、管弦楽に2臺のピアノ、女声合唱が加わると謂った者で、合唱はヴォカリーズで歌われ、飽く迄オーケストラの一部として考えられるべきだと、ドビュッシーはショーソンへの手紙で語っている事から、後の《夜想曲》の第3曲「シレーヌ」での合唱の使用法の先驅を為していたのではないかと推測されます。

  此の版は其の後、製本所の火災によって燒失してしまうものの、合唱と2臺ピアノの版は残っていて、1904年に出版が為されています。1912年に成って、ドビュッシーの指示を受けたアンリ・ビュッセルが、元の合唱部分も管弦樂で奏する形での新たなオーケストレーションを行っています。因みに、ビュッセルは此れ以前に《小組曲》のオーケストレーションも行っています。

  初演はビュッセルの版で1913年4月18日、パリのサル・ガヴォーに於ける國民音樂協會の演奏会に於いて、ルネ・バトンの指揮に由り行われています。

 

  樂曲は緩・急の2つの樂章から為るもので、主題は兩樂章で共通しています。

 

  第1樂章 トレ・モデレ(Très modéré) 8分の9拍子

  第2樂章 モデレ(Modéré) 4分の4拍子

 

 

  今日紹介させて頂くのは、シャルル・ミュンシュの指揮するボストン交響樂團に由り1962年3月13日に行われたセッション録音です。

 

  どうにもドビュッシーが苦手だというクラシックファンが少なからず居る感が有り、其れは特にベート―ヴェンやブラームスと謂った重厚な交響曲が大好きと謂うファンに顯著である氣がします。小生も嘗てはそうでした。ドビュッシーの音の世界と謂うのは、「彼の世」でも無く「此の世」でも無い其の間に存在するやも知れぬ「淡い世界」なのではないかとさえ思えて來るからで、其の「淡い」世界の持つ曖昧さと謂うか茫洋感と謂った者がどうにも生理的に受け付けられないのではないでしょうか。

  惟、そんなドビュッシーの「淡い世界」も、ミュンシュの手に掛かると、「此の世の世界」に引き戻されるかの如き感有りで、其れはきっとミュンシュと謂うフランスとドイツと謂った二つの現實の「淡い世界」に生きた人間がドビュッシーの音樂をドイツ的な現實の世界に引き摺り出しているからなのでありましょう。

  其れ故に、フランス印象派が大好きで、ドビュッシーの「淡い世界」をこよなく愛するファンにとっては、ミュンシュの斯うした演奏はとても我慢し難いものであるかも知れません。そういう意味に於いて、此のミュンシュの指揮する交響組曲《春》は、ドビュッシーがどうも苦手だという生粹のドイツ音樂ファンの方々に是非とも聽いて頂きたい演奏なのです。

 

  演奏メンバーは以下の通りです:

 

  Charles Munch (Dirigent)

    Bostoner Symphonie-Orchester

 

(1962.03.13)