ジーゲル&レオネのフォーレ《ドリー》

 

Gabriel Urbain Fauré

La Suite《Dolly》Op.56

 

 

  今日採り上げるのは、フォーレの組曲《ドリー》作品56です。

 

  《ドリー》は、ガブリエル・フ作曲した作曲したピアノ聯彈の為の全6曲から成る組曲で、フォーレが妻のマリーを通じて親しくなった銀行家の娘エンマ・バルダック(後年のドビュッシー夫人)の娘で、1892年に生まれたエレーヌの誕生日祝いに書かれた曲を中心に編まれた者です。

  「ドリー」と謂うのはエレーヌの愛稱で、フォーレは此の曲集をエレーヌに獻呈しています。

  1898年にアルフレッド・コルトーとエドゥアール・リスラ―の聯彈に由って初演が為され、翌年には初演者コルトーの手に由るピアノ獨奏版が、1906年にはアンリ・ラボーに由る管弦樂編曲版が出版され、原曲に加えて編曲版も有名に成っています。

  尚、フォーレとエンマの關係は友人と云うよりも愛人關係であったらしく、其の實、エレーヌもフォーレの子ではないかという説も強く語られている樣です。

 

  樂曲の構成は以下の通りです:  

  第1曲 子守歌(Berceuse
1893年に書かれたらしく、此の曲のみ先行して1894年に單獨で出版されています。
ホ長調で、揺籃の樣な分散和音の上に優しい主題が歌われます。
  第2曲 ミ・ア・ウ(mi-a-ou
1894年にエレーヌの2歳を祝う作品として作曲されたものです。フォーレが元々與えたタイトルは「メシュー・アウル(Messieu Aoul!)」で、エレーヌが兄のラウルを呼ぶ幼児言葉だったのですが、出版社の勘違いで猫の鳴き聲を示す此の名前になってしまったとさています。
ヘ長調のリズミカルなワルツで、出版社の勘違いも無理からぬ樣な、宛も猫が跳び廻っているかの樣な感も與ます。
  第3曲 ドリーの庭(Le jardin de Dolly
1895年に作曲されたもので、エレーヌ3歳の誕生日に贈られています。
ホ長調の穏やかな曲で、フォーレ特有の巧みな轉調が用いられていて、何故か自作のヴァイオリン・ソナタ第1番から最終樂章の主題が引用されています。
  第4曲 キティー・ヴァルス(Kitty-valse
1896年の作曲で、エレーヌ4歳の誕生日に贈られています。此れも出版社がタイトルを勘違いしていて、フォーレが元々與えたタイトルは「ケティ・ヴァルス(Ketty Valse)」であったそうです。
変ホ長調の曲で、ケティとはラウルの飼い犬の名です。第2曲のリズミカルな印象とは對照的な穩やかで流れるようなワルツです。
  第5曲 優しさ(Tendresse
1896年作曲の變ニ長調の曲で、次第に高揚して行く樣な瞑想的な主題と其の再現部が、輪唱を含む律動的な中間部を挾形と成っています。
  第6曲 スペインの踊り(Le pas espagnol
1897年作曲のヘ長調の曲で、前曲から打って變わって華やかさ溢れる華麗な終曲と成っています。

 

  今日紹介させて頂くのは、アニタ・ジーゲルとバベツ・レオネのピアノ聯彈に由り1934年に行われたセッション録音です。

 

  演奏者については、2人とも1921年生まれで、此の録音が行われた當時は12歳か13歳であったという事以外は殆ど何も明らかではありません。ラザール・レヴィの弟子であったアニタ・シーゲルは1943年に亡くなっていて、此の日付とユダヤ人の姓を合わせると、彼女はホロコーストの犠牲者であった事が窺えます。バベス・レオネは、現時點では未だ存命であるかも知れません。彼女はマルグリット・ロンの弟子で、ロン自身もフォーレの解釋者として有名でありました。戰後、レオネはフランスのHMVでソリスト(フォーレとモーツァルトの作品)として、亦た伴奏者(チェロのピエール・フルニエとサックスのマルセル・ミューレの伴奏)として數曲の録音を殘しています。

      此の曲の初演者はコルトーとリスラ―の聯彈であったそうなのですが、殘念乍ら兩者に由る録音は殘されていません。惟、此の二人の少女に由る演奏は、實に優しく温かい感じがし、此の曲に相應しい氣が致します。其れにしても、1930年代の録音は、音の良さを超越して聽き手に音樂の神髓を傳えてくれている者が多いのではないでしょうか?そう謂った意味で、音樂は單なる音質の良さでは割り切る事の出來得無い者である事をつくづく感じてしまう今日此の頃です。

 

 

  演奏メンバーは以下の通りです:

 

  Anita Siegel&Babeth Léonet (Klavier)

 

(1934.05.09&11.11)