クナッパーツブッシュのチャイコフスキー《胡桃割り人形》

 

Pjotr Iljitsch Tschaikowski

Пётр Ильич Чайковский

Щелкунчик》/《Casse-Noisette

"Der Nußknacker" Suite Op.71a

 

 

 

  今日採り上げるのは、チャイコフスキーの《胡桃割り人形》組曲 作品71aです。

 

  《胡桃割り人形》は、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーが作曲したバレエ音樂及び其れを用いたバレエ作品(作品71)、及び其れを用いたバレエ作品で、チャイコフスキーが手掛けた最後のバレエ音樂と成るものです。

 

  此の作品は、クリスマス・イヴに胡桃割り人形をプレゼントされた少女が、人形と共に夢の世界を旅するという物語で、原作はドイツのE.T.A.ホフマンに由る童話『胡桃割り人形と鼠の王樣』を、アレクサンドル・デュマ・ペールがフランス語に翻案した『榛割り物語』です。

  クリスマスに因んだ作品である事から、毎年クリスマス・シーズンに世界中で盛んに上演されていて、クラシック・バレエを代表する作品の一つでとして、同じくチャイコフスキーが作曲した《白鳥の湖》《眠れる森の美女》と並んで「3大バレエ」とも呼ばれています。

 

  1890年1月、サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場で、チャイコフスキー作曲によるバレエ《眠れる森の美女》が上演されて成功を收め、此れに滿足した劇場支配人のイヴァン・フセヴォロシンスキーが、同年2月頃に早速チャイコフスキーに次回作を依頼し、オペラとバレエを2本立てで上演したいと提案します。此の上演形式は當時のパリ・オペラ座に倣った者で、オペラを公演の中心とし、其の後に餘興の樣な位置附けでバレエを上演するというものでした。1890年の末に最終的な話し合いが行われ、オペラの演目は、チャイコフスキー自身の提案に由り『イオランタ』に決まり、バレエの題材はフセヴォロシスキーが選び、E.T.A.ホフマンの童話 『胡桃割り人形と鼠の王樣』 をアレクサンドル・デュマ・ペールが翻案した『榛割り物語』を原作とする事と成りました。チャイコフスキーは此のバレエの題材を餘り氣に入っていなかったものの、振附家のプティパから最初の指示書きを受け取り、1891年2月には作曲に着手し、外國での演奏旅行の合間に作曲を進めた樣ですが、1891年4月にはフセヴォロジスキー宛ての手紙で、作曲が難航していて、締切を延期して欲しい旨を訴えていたそうなのですが、それでも同年6月頃には下書きを完成させ、翌1892年3月頃

に管弦樂配置を仕上げています。

 

  初演は、1892年12月18日にマリインスキー劇場に於いてオペラ《イオランタ》と共に行われ、其の公演は觀客には好評であったものの、新聞評では不評で、批判を受けた點は、第一に、主演バレリーナが演じる金平糖の精が第2幕になるまで登場せず、見せ場が少なかった事で、物語上の欠點としては、クララがお菓子の國へ行った所で幕が下りてしまうので、其の後クララがどうなるのか分からず、觀客の納得の行く形で話が完結していないという點も批判されたと云います。

  

  尚、物語の粗筋や作品の構成・特徴に關しては、後日『バレエ音樂篇』に於いて改めて紹介させて頂く所存でして、今回は編曲版である演奏會組曲に就いて書かせて頂く事と致しました。

  

  バレエ組曲《胡桃割り人形》(作品71a)は、チャイコフスキー自らがバレエ音樂から編んだ組曲で、1892年3月、《胡桃割り人形》の作曲中であったチャイコフスキーの許に演奏會の依頼が屆き、生憎手許に新作が無く、亦た作曲する暇も無かったが為に、急遽作曲中の《胡桃割り人形》から8曲を拔き出して演奏會用組曲とした者です。此の組曲は、バレエの初演に先立ち、1892年3月19日に初演されて好評を得たと云います。

 

  樂曲の構成は以下の通りです:

 

  第1曲 小序曲 (Ouverture miniature)

 

  第2曲 性格的舞曲集 (Danses caractéristiques)

  a 行進曲 (Marche)

  b 金平糖の精の踊り (Danse de la Fée Dragée)

  c ロシアの踊り(トレパック) (Danse russe (Trepak))

  d アラビアの踊り (Danse arabe)

  e 中國の踊り (Danse chinoise)

  f 葦笛の踊り (Danse des mirlitons)

  

  第3曲 花のワルツ (Valse des fleurs)

 

  今日紹介させて頂くのは、ハンス・クナッパーツブッシュの指揮するベルリン・フィルハーモニー管弦樂團に由り1950年2月2日に行われた演奏會に於けるライヴ録音です。

 

  クナッパーツブッシュはワーグナーとブルックナーに定評があり、重厚長大型の音樂を得意としていたと謂うイメージが有るのですが、何とポピュラーな音樂や小品に於いても大變変優れた演奏を聽かせてくれていて、其の中の一つがチャイコフスキーです。クナッパーツブッシュは、意外にも殊にチャイコフスキーを得意としていて、若い頃から盛んに演奏していた樣で、特に多かったのが交響曲第6番「悲愴」と交響曲第5番だと云われているのですが、殘念乍ら交響曲の録音は殘っておらず、未だにクナッパーツブッシュの演奏録音は聽く事が出來ません。但し、有難い事に、バレエ音樂《胡桃割り人形》の組曲の録音が殘されていて、其れ等は1950年と1960年の二種類で、前者は第二次大戰後にベルリン・フィルの指揮臺に復歸した時の者で、實に素晴らしいライヴ録音です。そして後者は、ウィーン・フィルを指揮したセッション録音です。

  前者に關しては、クナッパーツブッシュにしてはあっさりとした素直な演奏で、クナ好きのファンには少々物足りない感じがするのは否めないでありましょうが、普通に聽いても好ましい出來と成っています。當時即ちフルトヴェングラー時代のベルリン・フィルの響きは飽くまでも澁くて奥深く、其のゆったりとした遲目のテンポで繰り擴げられる演奏は、チャイコフスキーにしては腰の重い感じも有るのですが、行進曲やトレパークでは力強い響きを堪能する事が出來ますし、亦た花のワルツでは些か重めのワルツのリズムに樸訥な感じが有って、クナの人柄がリアルに傳わって來るのが實に微笑ましくもあります。

  殆どリハーサル無しで行われたであろう1960年のWPとのセッション録音も真正面から取り組んだ重厚さの感じられるファンタジー豊かな演奏ではありますが、1950年のBPOの者と比較するに、何處か物足りなさが感じられてしまうのを否めず、BPOとの者の方が斷然面白いと云って差支え有りません。

  と云うのは、BPOとの演奏からは音樂を愉しんであるクナの姿や息遣いといったものがリアルに傳わって來る感じがするからです。そして餘談には成りますが、當日行われた演奏會の他の曲目も收録されていて、ワルツに入る部分で大きな休止を取って、象がゆっくり踊る樣なワルツを展開するヨハン・シュトラウス2世の《蝙蝠》序曲、前半はあっさりと普通で在り乍らも、中間部でぐっとテンポを落とす大見得を切る《ピチカート・ポルカ》、其れにテンポを勝手氣儘に動かして思わず笑い出したくなってしまう自在の表現を繰り擴げているクナが大の得意としていたと云うコムツァークのワルツ《バーデン娘》等はクナの真骨頂が發揮された怪演と云うに相應しいものです。そう謂う意味で、クナはやはりユーモアをも兼ね備えたライヴの人であったのです。

   

 

  演奏メンバーは以下の通りです:

 

  Hans Knappertsbusch (Dirigent)

    Berliner Philharmonisches Orchester

 

 

 

 

 

 

 

 

(1950.02.02 Live-Aufnahme)