フィストゥラーリのチャイコフスキー《白鳥の湖》

 

Pjotr Iljitsch Tschaikowski

Пётр Ильич Чайковский

Лебединое озеро》/《Le Lac des cygnes

"Schwanensee" Suite Op.20a

 

 

  今日採り上げるのは、チャイコフスキーの《白鳥の湖》組曲 作品20aです。

 

  《白鳥の湖》は、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーが作曲したバレエ音樂及び其れを用いたバレエ作品で、チャイコフスキーが初めて發表したバレエ音樂でもあります。1877年にモスクワのボリショイ劇場で初演された際は、餘り評價が得られなかったが為に、チャイコフスキーの歿後、振附家のマリウス・プティパとレフ・イヴァーノフが大幅な改訂を行い、1895年にサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場で蘇演が為されています。現在上演されている《白鳥の湖》の殆どは、プティパ=イワノフ版を基としたものである樣です。

  本作は、ドイツを舞臺に、惡魔の呪いで白鳥に姿を變えられた王女オデットと、王子ジークフリートとの悲戀を描いた物語で、クラシック・バレエを代表する作品の一つであり、同じくチャイコフスキーが作曲した《眠れる森の美女》《胡桃割り人形》と共に「3大バレエ」とも呼ばれています。

  

  1875年の春、チャイコフスキーはボリショイ劇場からバレエ音樂《白鳥の湖》の作曲を依頼されます。當時のバレエ音樂は、バレエ專門の作曲家が手掛ける職人的な仕事であり、オペラや交響曲に比べて藝術的價値が低いと看做されていました。チャイコフスキーはすでにオペラや交響曲の分野で成功を收めていましたが、以前からバレエ音樂に興味を持っていた事も有り、作曲を承諾します。チャイコフスキーは友人のリムスキー=コルサコフに宛てた手紙で、「此の仕事を引き受けたのは、一つにはお金の為と、もう一つは長い間此の種の音樂を書いて看たかったからだ」と書いています。

  《白鳥の湖》の創作過程に就いては不明な點が多い樣ですが、臺本はボリショイ劇場の管理部長であったウラジミール・ベギチェフと、ダンサーであったワシリー・ゲリツェルが手掛けたとされています。又、チャイコフスキーは作曲に當って、振附家のウェンツェル・レイジンゲルと打ち合わせを行っていたと推測され、1875年の夏に作曲を始め、翌1876年の春に完成させたとされています。

  

  尚、物語の粗筋や作品の構成・特徴に關しては、後日『バレエ音樂篇』に於いて改めて紹介させて頂く所存でして、今回は編曲版である演奏會組曲に就いて書かせて頂く事と致しました。

 

  1882年にチャイコフスキーは樂譜出版社のユルゲンソンに宛てた手紙の中で、《白鳥の湖》の組曲を作りたいとの意思を表明していたと云いますが、其の後の經緯に就いては資料が殘されてはいません。惟、今日演奏されている組曲は、以下の6曲から成るものですが、指揮者に由って曲目が多少變更される事も有る樣です。

 

  《白鳥の湖》演奏會用組曲 作品20aの内容は以下の通りです:

 

  1. 情景(第2幕 第10曲)
  2. ワルツ(第1幕 第2曲)
  3. 白鳥達の踊り(第2幕 第13曲 4.)
  4. 情景(第2幕 第13曲 5.)
  5. チャールダーシュ:ハンガリーの踊り(第3幕 第20曲)
  6. 情景(第4幕 第28曲と第29曲の冒頭26小節)

 

  今日紹介させて頂くのは、アナトール・フィストゥラーリの指揮するアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦樂團に由り1962年2月に行われたセッション録音です。

 

  アナトール・フィストゥラーリは、リムスキー=コルサコフ及びアントン・ルビンシテインに師事し、指揮者兼作曲家として高名であったグレゴリー・フィストゥラーリを父に、1907年にウクライナのキエフに生まれたウクライナ出身のイギリスの指揮者で、7歳にしてチャイコフスキーの交響曲第6番《悲愴》を指揮すると謂った神童ぶりを發揮し、ロシア・オペラ・グループを組織すると共に、シャリアピン・オペラ協會、モンテカルロ・ロシア・バレエ團の指揮者を歷任します。そして、1943年から1944年迄ロンドン・フィルハーモニー管弦樂團の首席指揮者を務め、1948年にイギリス國籍を取得しています。

  就中バレエ音樂の指揮に長けていたフィストゥラーリは、20世紀に於けるバレエ指揮者の一人として數多くのバレエ録音を殘しており、此のバレエ《白鳥の湖》の全曲版も存在しています。

  抑々バレエ音樂には所謂立派な管弦樂作品とは異なるテイストが有る事は事實で、そう言うテイストに凭れ掛って唯の伴奏音樂で終わる事も有れば、其のテイストを生かして立派な管弦樂作品には無い味わいを釀し出す事も可能で、フィストゥラーリという指揮者はそう言う微妙なテイストを現實の音樂に變換し得る數少ない指揮者の一人でした。

  勿論、バレエ音樂と雖も其れは管弦樂作品である事に變わりは無いが故に、他の他の立派な管弦樂作品と同じ樣に立派に演奏することも可能です。
  例えば、カラヤンの手になる録音などは其の典型であり、ゴージャスな響きによる華麗な世界はそう謂う方向性の一つの到達點である事に間違いは有りません。
  併し乍ら、其れで踊れるのかと言われれば、バレリーナに聞いた事が無いので確たる事は云えないのですが、かなりの困難が伴うのではないかと想像されます。
  又、聽き手にしても、あれはコンサートのプログラムとして聽かされる分には申し分ないのですが、バレエの舞臺であそこ迄音樂が自己主張すれば、其れはバランスが惡過ぎると云わざるを得ないでありましょう。
  其の樣に考えると、生粹のバレエ指揮者とも云うべきフィストラーリの演奏は實に程が良いのです。

  確かに、カラヤンの樣な演奏を基準とすれば物足り無さが有るのは否めないのですが、實際のバレエの舞臺を髣髴とさせるような歌い回しは通常のコンサート指揮者には難しいんだなと思わせる何かを持っています。そして、其の何かに對しては、「リズム感の良さと氣品溢れる仄かなロマン性」等と云われたりもするのですが、其れだけでは何か言い殘した事が澤山有る事も事實です。音樂の彼方此方に施された微妙な表情附けを「ロマン性」という言葉で纏めてしまうには何處か申し譯無さが殘ってしまうのです。
  恐らく其の背景には長い舞臺經驗に加えて、リムスキー=コルサコフ以降の傳統を受け繼いで來たというプライドがあった事も確かでは無かろうかと思われます。

  

      尚、此の《白鳥の湖》の演奏は組曲ではなく、拔粹の形を採っていて、何となく中途半端な形と成ってしまっているのが玉に瑕と云った所でしょうか。

 

  内容は以下の通りと為っています:

 

  1. 序奏 Introduction

  2. ワルツ Valse(第1幕) 

  3. 情景 Scène(第2幕) 

  4. 四羽の白鳥の踊り Danses des cygnes (第2幕) 

  5. パ・ダクシオン Pas d'action(第2幕) 

  6. ハンガリーの踊り (チャールダーシュ) Danse hongroise (Czardas)(第3幕)

  7. 小さな白鳥たちの踊り Danses des petits cygnes(第4幕)

 

  拔粹ではあるものの、各曲毎に特徴を捉えた美しいサウンドは比類の無い素晴らしい演奏で、此の時代特有のコンセルトヘボウ管獨特の音色や響きを餘す事無く樂しむ事が出來るのみならず、他のオーケストラが奏でるサウンドとは明らかに違う世界觀に在る木管樂器や弦樂器の音色は、正に此の曲を演奏するべくして奏でられているかの如きものであると云っても過言では無い氣が致します。

 

  演奏メンバーは以下の通りです:

 

  Anatole Fistoulari (Dirigent)

    Steven Staryk (Violine)

    Tibor de Machula (Violoncello)

    Consertgebouw-Orkest Amsterdam

 

(1962.02)