ロヂンスキーのチャイコフスキー Nr.4 G-Dur Op.61
Pjotr Iljitsch Tschaikowski
Пётр Ильич Чайковский
Orchestersuite Nr.4 G-Dur Op.61 "Mozartiana"
今日採り上げるのは、チャイコフスキーの組曲 第4番 《モーツァルティア―ナ》ト長調 作品61です。
此の曲は、ロシアの作曲家ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーが1887年に作曲した管弦樂の為の組曲で、モーツァルトのオペラ《ドン・ジョヴァンニ》初演100周年を紀念して書かれたものです。
モーツァルトの4つのピアノ作品に管弦樂編曲を施した作品であるが故に、作曲者自身は本作に過去の3作品に續く組曲としての番號を與えず、代わりに《モーツァルティアーナ》と謂う標題を掲げています。併し乍ら、此の作品はチャイコフスキーの管弦樂組曲第4番として廣く認識されているが故に、斯うした現状に即した形で紹介させて頂く事にした次第です。
初演は1887年11月15日にモスクワに於けるロシア音樂協會の演奏會に於いてチャイコフスキー自らの指揮に由り行われています。
チャイコフスキーは,モーツァルトを大變尊敬していたと云われていて、有名な弦樂セレナード等もモーツァルトのセレナードを意識して作られたものであるそうです。此の曲に附いている《モーツァルティアーナ》というサブタイトルも、「モーツァルト名句集」と謂った意味であるそうで、モーツァルトの4つの作品を編曲して組曲にしたものであるが為に、純粹にチャイコフスキーの作品とは云い難くはあるものの、モーツァルトに對する尊敬の念が込められた愛すべき作品と為っています。
樂曲の構成は以下の通りです:
第1曲 ジーグ (Gigue)
原曲:小さなジーグ KV.574
第2曲 メヌエット (Menuet)
原曲:メヌエット KV.355
第3曲 祈り (Preghiera)
原曲:モテット《アヴェ・ヴェルム・コルプス》 KV.618をリストがピア
ノに編曲したもの
第4曲 主題と變奏 (Thème et variations)
原曲:グルックの歌劇《預期せぬ邂逅、又はメッカの巡禮者達》の主題
に由る10の變奏曲 KV.455
今日紹介させて頂くのは、アルトゥール・ロヂンスキーの指揮するニューヨーク・フィルハーモニー交響樂團に由り1945年2月に行われたセッション録音です。
ロヂンスキーは、1892年にオーストリア=ハンガリー帝國領スパラト(現クロアチア領スプリト)に生まれたポーランド人の指揮者で、生後レンベルク(現ウクライナ領リヴィウ)で育ち、同地の大學で法學を學び、1914年に帝國の軍醫であった父親の轉勤に由り家族と共にウィーンに赴き、引き續き法學を研究する傍らウィーン音樂アカデミー(舊名ウィーン音樂院)に進學し、1916年に法學博士の學位を取得します。そして、第一次大戰後の1918年に當時ポーランド共和國領と成っていたリヴィウに戻り、ヴェルディのオペラ《ナブッコ》を指揮して指揮者デビューを果たします。
其の後は渡米し、1925年から1929年迄までストコフスキー率いるフィラデルフィア管弦樂團の許居で勤め、1929年からはカリフォルニア州に移動し、4年間に亙ってロサンジェルス・フィルハーモニー管弦樂團を指揮します。又、1933年から1943年迄クリーヴランド管弦樂團の音樂監督に就任し(1933年にアメリカ國籍を取得)、在任期間中に數度のオペラ上演にも携わります。そして、1936年にはザルツブルク音樂祭でウィーン。フィル指揮し、其の際に知り合ったトスカニーニの依頼でNBC交響樂團の練習指揮者に就任してトスカニーニ着任までの間にオーケストラをトスカニーニ好みに合う樣徹底的に鍛え上げました。
1943年には、バルビローリの後任としてニューヨーク・フィルの常任指揮者と成り、間も無くニューヨーク・フィルに初めて設けられたポスト「音樂監督」に就任します。彼は音樂監督の強大な権限をフルに行使して、コンツェルトマイステルを含めた大量の樂員を「血の淨化」とばかりに大リストラを敢行し、リストラ本來の意味である「再構築」の面では多大な功績がを收めはしたものの、藝術面での意見で經營陣と折り合いが惡く、1942年2月に音樂監督を解任されてしまいます。
解任後、 間も無くシカゴ交響樂團に職を得て活動したもの、『シカゴ・トリビューン』紙の名物辛口女性評論家クラウディア・キャシディの珍しい擁護にも關わらず、赤字問題でシカゴの職を追われ、ヨーロッパに戻ります。
ヨーロッパに戻った後は健康を害し、ウェストミンスターへのレコーディング活動の外は目立った活動は餘り出来なくなってしまい、1958年11月、シカゴ・リリック・オペラの『トリスタンとイゾルデ』の公演後、指揮している最中に倒れ、ボストンに移送されるも、間も無く亡くなってしまいました。
演奏スタイルとしては、ディテールやニュアンスに拘るよりも寧ろスピード感や色彩感を優先させつつ情熱的な指揮を行い、スペインやスラヴ系等と謂った所謂國民樂派を得意とした以外に、スクリャービンの《法悦の詩》等の近代音樂作品も得意としていた樣です。
上述の通り、音樂の都ウィーンで基礎を學んだ確かな實力と作曲家の「個性」を引き出す柔軟さ、そして妥協の無さこそがロヂンスキーの神髓であり、此の組曲第4番にしても然りで、明快で説得力の有る素晴らしい演奏を繰り擴げています。
因みに、長年ウィーンフィルの首席第2ヴァイオリニストを務めたオットー・シュトラッサ―氏は、大いに興味を感じる指揮者として、フリッツ・ライナーよりもロヂンスキーの方を高く評價していた樣です。
演奏メンバーは以下の通りです:
Artur Rodziński (Dirigent)
New-Yorker Philharmonisches Symphonie-Orchester
(1945.02.27)