アンセルメのビゼー    《美しきパースの娘》

 

Georges Bizet

《La jolie fille de Perth》Suite 

 

 

  

  今日採り上げるのは、ビゼーの《美しきパースの娘》組曲です。

 

  『美しきパースの娘』は、フランスの作曲家ジョルジュ・ビゼーが1866年に作曲した全4幕のオペラ・コミックです。ウォルター・スコットの小説『The Fair Maid of Perth』を基にジュール=アンリ・ヴェルノワ・ド・サン=ジョルジュとジュール・アドニス(英語版)に由り臺本が作成され、1867年12月26日に初演が為されています。

  因みに、此れはビゼーが28歳という若き時代の作品で、《カルメン》を書く8年程前の作品です。

 

  一般には、第2幕と第4幕で歌われるアリア「セレナード」と、後にエルンスト・ギローに由り『アルルの女』の第2組曲に轉用された「メヌエット」しか知られてはいない樣です。

  因みに、『アルルの女』第2組曲に轉用された「メヌエット」は、其の實、第3幕のロスシー伯爵とキャサリン(に成り濟ましたマブ)との二重唱の伴奏部分をギローが編曲したもので、原曲とは大きく異なるものと成っています。

 

  物語の粗筋は以下の樣なものです:

 

  時は14世紀、内亂期のスコットランドの王都パースが舞臺で、婚約を間近に控えたキャサリンとヘンリーが、些細なトラブルが原因で互いに不貞を働いたと誤解してしまうという愛憎劇です。2人の諍いは領主やジプシーの女王らを捲き込んで一大事と成ってしまうものの、最後は誤解が解けてハッピーエンドで結ばれます。

 

  惟、此のオペラはパリのテアトル・リリック座で初演が為され、そこそこの成功を收めはするのですが、結局は忘れ去られる作品の一つと成ってしまいます。全曲版としては、おそらくジョルジュ・プレートルが録音したものくらいしか無い者と思われます。

  
  併し、ビゼーはこのオペラから4曲を選び出し、管弦樂曲に仕立て直して組曲「美しきパースの娘」を書き上げました。ビゼーの若書きの作品ではあるものの、幸いにして此方の方は今猶ビゼーを代表する作品として數多く演奏もされ、録音もされています。そして、其のオーケストレーションの美しさには後のビゼーを想起せしめる片鱗が鏤められていると云っても過言では有りません。


  

  樂曲の構成は以下の通りです:

 

  第1曲『前奏曲』(Prélude)

  第2曲『セレナード』(Sérénade)

  第3曲『行進曲』(Marche)

  第4曲『ジプシーの踊り』(Danse bohémienne)

 

  第1曲の『前奏曲』は、極限ともいえるピアニシモで始まる弦樂器のピッチカートとハープによって奏でられる冒頭部分から最後迄、靜かな雰圍氣で歌われます。

  第2曲の『セレナード』は、管樂器の伴奏を得てチェロが美しく歌い上げます。

  第3曲の『行進曲』は、ファゴットが歌う悲しげな旋律で始まるものの、其處からクライマックスへと上り詰めて行く音樂には、スコットランドの荒涼たる大地を想起せしめる佇まいが有ります。

  第4曲の『ジプシーの踊り』は、ビゼーが生涯好んだフルートの奏でる主題をハープが支えると謂うスタイルが早くも此の時期に顔を覗かせています。アンダンティーノからプレストへ、ピアニシモからフォルテシモへと謂うダイナミックな動きは云う迄も無く、見事なオーケストレーションによる豊かな色彩感も亦た魅力的です。
  

  今日紹介させて頂くのは、エルネスト・アンセルメの指揮するスイス・ロマンド管弦樂團に由り1960年10月に行われたセッション録音です。

 

  アンセルメの演奏するビゼーの曲ですが、交響曲に關しては實にあっさりと仕上げている感じで、往々にして「些か素っ氣無く聞こえる」との評價が為されている樣です。

  其れに比べ、《カルメン》や《アルルの女》の組曲は、ラテン的な明晰さに溢れていて、素っ氣無さを感じさせず、此の《美しきパースの娘》にも同じ事が云えそうです。譬えて云うならば、其れは地中海的な陽光に溢れた音樂であり、爽やかな乾いた風が吹き抜けていくような音樂でもあります。

 

  アンセルメと謂う指揮者は理智的な指揮者であると云われていますが、恐らくは其の理智的な事の良さが最大限に發揮されているのが此の一連のビゼーの組曲作品であると云い得るのではないでしょうか。何はともあれ、オーケストラのバランスを完璧にコントロールして行くアンセルメの手腕は實に素晴らしいと云うより外有りません。 

 

 

  演奏メンバーは以下の通りです:

 

  Ernest Ansermet (Dirigent)

    L'Orchestre de la Suisse Romande

 

(1960.10)