リヒターのヘンデル          Nr.5 HWV 430

 

Georg Friedrich Händel

Suites de pièces pour le clavecin, premier volume

Suite Nr.5 E-Dur HWV 430

 

 

 

      今日採り上げるのは、ヘンデルのチェンバロ組曲 第5番 ホ長調 HWV 430です。

 

 

  此の曲は、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルに由って1710年代に作曲された通稱《8つの大組曲集》とも呼ばれている全8曲から為るクラヴサン(チェンバロ)獨奏の為の組曲集《クラヴサン組曲第1集》の中の5番目の曲です。 

 

  1720年に、8曲からなる最初のクラヴサン組曲を出版したヘンデルは、以下の樣な序文を寄せています。

  以下の「レッスン」を出版する事が出來たのは、其れ等の不正な海賊出版が橫行した御蔭である。此の曲集がもっと重寶して、好ましい反應を得られる樣に、新たな版では幾つかの新曲を附け加えた。今後とも版を重ねて參りたい。寛大な庇護を與えて下さる皆さんの御役に立てる事こそが、非才なる小生の務めと歡ぜられた次第である。

 

  さて、此の第5番ですが、終曲の「エアと變奏」が『調子の良い鍛冶屋』という通稱で親しまれています。樂曲はイングランド傳統のディヴィジョン樣式で構成されていて、エアに續いて5つのドゥーブルが連なり、變奏の都度に旋律若しくは伴奏の音價が細分化されて行きます。即ち、右手に16分音符が連鎖する第1變奏、16分音符の動きが左手に移る第2變奏、16分音符の三連符が右手に現れる第3變奏(第4變奏は同じ音型が左手に移動)、32分音符が両手に交互に現れる最終変奏、といった工合です。

  因みに、日本に於いては「調子の良い鍛冶屋」という譯語が定着している樣ですが、「調子の良い」はHarmoniousを翻譯したもので「音が調和している」の意味であり、リズミカルに調子が良いという意味ではない樣です(ここでの「調子」は音調の意味)。別邦題として「愉快な鍛冶屋」と呼ばれているのは勘違いの産物で有るに外為りません。

  又、鍛冶屋のハンマーの音が屡良く響く所から、輕快にハンマーを叩く「良く響く鍛冶屋」とも解釋できましょう。

  尚、此の名稱は19世紀に由來するもので、ヘンデルが蹄鉄工から變奏曲の着想を得たという逸話は事實無根であるそうです。又、變奏曲形式樂章はハンブルク時代に成立したとされる獨立したシャコンヌを、元のト長調から移調、改訂したものであると云います。 

 

    第5番ホ長調の構成は以下の通りです:

  1. Praeludium(前奏曲)4/4拍子
  2. Allemande(アルマンド) 4/4拍子
  3. Courante(クーラント)3/8拍子
  4. Air mit 5 variationen(エアと變奏)4/4拍子〜通稱「調子の良い鍛冶屋」

 

  今日紹介させて頂くのは、カール・リヒターのチェンバロ演奏に由り1954年3月に行われたセッション録音です。

 

  リヒターが頭角を現すのは、彼の師であったギュンター・ラミンが急逝し、其れに由ってアルヒーフ・レーベルのカタログを作り上げて行く中心的な役割が弟子である彼に回って來たことが切っ掛けでした。そして、歷史的な「マタイ受難曲」の録音によって其の役割を十二分に果たせる事を証明する事に由って不動の地位を確立したのでした。

  併し、其處に至るには、其れ相應の準備期間があるのであって、そこには「新しい音楽」をやりたいという強い思いがあったのです。
  ハインリヒ・シュッツ合唱團を任されたリヒターは、其の合唱團でバッハのカンタータを演奏出來るように鍛え上げ、名稱もミュンヘン・バッハ合唱団と變更しました。更には、自分たちの活動の幅を廣げる為にミュンヘンの街角で「私たちと新しい音樂を遣りませんか」と呼び掛けるチラシを配って、ミュンヘン・バッハ管弦楽団を設立したのでした。
  そして、彼が求めた「新しい音樂」とはどういうものであったのかと云えば、其れは此の時代の彼のチェンバロやオルガンによる録音にこそ刻み込まれています。

  此の1954年3月に録音されたヘンデルの作品は、恐らくリヒターがソリストとして録音活動を行った最初の者ではないかと思われます。

  其處で驅け出しの若手であったリヒターが次なるチャンスに繫げ樣として試みたのが、對位法的に橫に絡み合うラインを縱に積み直す樣な從來の遣り方ではなくして、ランドフスカや師であるギュンター・ラミンが切り拓いて來た本來の橫へ流れるスタイルで演奏して見せる事だったのです。斯うした事は今と成っては自明な事なのでしょうが、其れを1950年代前半と謂う時代に行った事自體、實に劃期的な迄に嶄新的な事だったのではないでしょうか?

  ピアノという樂器は、10本の指で鍵盤を掴むことで豊かな和聲を響かせる事こそ得意なのですが、何本もの絡み合う旋律線をくっきりと描き出していくのは苦手です。そんな譯で、ピアノでは實現が難しい複數の橫へのラインをクッキリと描き出すためにチェンバロが復活する意味があったのです。
  但し、時代的な制約も有ってか、此處でリヒターが使用しているのは「モダン・チェンバロ」であり、今の耳からすれば、其の金属的な響きは耳障りでもあり、亦た違和感を感じるのやも知れません。併し乍ら、其れでも尚、其處からは傳統という怠惰の中で歪められたバッハやヘンデルの音樂を本來の姿で蘇らせようと謂う強い意志を感じとる事が出來得ます。

  そして、其の翌年にカナダの若いピアニストが、ピアノでも此の方法論が可能である事をゴールドベルク變奏曲という大曲で証明して見せて大きな話題となります。
  リヒターがこの海の向こうで起こった奇跡を如何なる思いで受け止めたのかは知る術も無いのですが、其れでもこの二人によってバッハ演奏の新しい歷史が創られていく事に為るのです。
  そう思うと、此の54年に録音されたヘンデル作品は、新しい時代の始まりを密やかに宣言する小さな狼煙だったのかも知れません。

 

  演奏メンバーは以下の通りです:

  

  Karl Richter (Cembalo)

 

(1954.03)

 

     ※ 序で乍ら、グールドとギーゼキングが夫々ピアノ演奏で行ったセッション録音を併せて紹介させて頂く事と致しました。

 

 

      Glenn Gould (Klavier)

 

(1958 Live)

 

      Walter Gieseking (Klavier)

 

(1951)