ヴェンツィンガーのテレマン    《ハンブルクの潮の滿ち干》

 

Georg Philipp Telemann

Ouvertüre C-Dur Wassermusik 

"Hamburger Ebb und Fluth" TWV 55-C3

 

 

 

  今日採り上げるのは、テレマンの水上の音樂”ハンブルクの潮の滿ち干” TWV 55-C3です。

 

  《水上の音樂》と云えば、真っ先に腦裏に浮かぶのはヘンデルの作品でしょう。

  惟、其のヘンデルと同じ時代を生き、而も親交の有ったゲオルク・フィリップ・テレマンというドイツのバロック時代の作曲家も同じく《水上の音樂》を書き殘しています。

  其の實、此のテレマンという作曲家は、18世紀前半のドイツに於いて最も高い人氣と名聲を誇るのみならず、フランスでの人氣も高く、4000曲以上と謂うクラシック音樂史上最も多くの曲を書いた作曲家として知られています。そして、自らもヴァイオリン、オルガン、ハープシコード、リコーダー、リュート等多くの樂器を演奏する事が出來、就中ヴァイオリンとリコーダーに就いては高い技術を有する名人であったと云います。

  又、同時代の作曲家であったヘンデルとはライプツィヒ大學時代からの友人で、頻繁に手紙の遣り取りをしていた外、バッハとも親密な交友關係に在り、バッハの次男カール・フィリップ・エナヌエルの名附け親にも成っています。そして、1750年にバッハが死去した時には、バッハの業績を最大限に稱える追悼の言葉を送っています。

  彼の音樂樣式には、20歳代~30歳代に觸れたフランス・イタリア]・ポーランドの民族音樂、特に舞曲からの影響があり、ドイツの樣式も含めて、其れ等を自在に使い熟し、ロココ趣味の作風も示しています。彼は86歳と長生きであったが為に、晩年はハイドンの青年時代と重なる等、高齡でも創作意欲が衰え無かったと云います。

 

  テレマンの自筆譜では《組曲(序曲)》と成っている此の《水上の音樂》”ハンブルクの潮の滿ち干”は、ハンブルク市の海軍鎮守府設置100年祭で演奏された曲だそうで、從って、彼が當時のハンザ自由都市ハンブルク市の音樂監督を務めていた時代の作品という事になります。

 

  今日紹介させて頂くのは、アウグスト・ヴェンツィンガーの指揮するバーゼル・スコラ・カントルム合奏團に由り1961年に行われたセッション録音です。

 

  ヴェンツィンガーは、1905年にバーゼルに生まれたスイスのチェロとヴィオラ・ダ・ガンバの奏者兼指揮者で、バーゼル音樂院でパウル・グリュンマーにチェロ、ケルン音樂院でフィリップ・ヤルナッハに音樂理論を學び、ベルリンでフォイアマンの個人レッスンを受けたとも云います。

  そして、1925年よりヴィオラ・ダ・ガンバの研究を始め、1930年にはグスタフ・シェックらと古樂器を復元して演奏する室内樂サークルを結成すると共に、同じ目的で1933年に「カペル・カンマームジーク」という団体を立ち上げますが、政治的理由で直に解散しています。1934年にはバーゼル・スコラ・カントルムにヴィオラ・ダ・ガンバの教授として參加し、1936年から1970年までバーゼル一般音樂協會に入會していたそうです。

  指揮者としては、長年バーゼル・スコラ・カントルムの合奏團を率いる一方で、1954年から1958年までカペラ・コロニエンシスの指揮者を務めたり、1958年から1966年までハノーファーで定期的にバロック・オペラの上演を行ったりしていた樣です。

 

  此の演奏は古樂器に由るものですが、現在一般に行われている奏法が確立する以前の者であり、音的にはモダン樂器に由る演奏と左程變わらないもので、小生をも含めたピリオド樂器が苦手だという聽き手にとっては馴染み易いのではないかと思われます。小生が此の曲に初めて觸れたのは大學時代で、レコード店で賣られていたのは確か此の盤のみであったと記憶しています。當時大好きであったヘンデルの《水上の音樂》と同じタイトルであったと謂う一點から、早速購入して聽いて見るや否や、忽ちの内に魅せられてしまい、朝の寝覺めの音樂としてタイマーに掛けていたのが昨日の事の樣に想い出されます。

  

  演奏メンバーは以下の通りです:

 

  August Wenzinger (Dirigent)

    Konzergruppe der Schola Cantorum Basiliensis

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(1961)