ピヒト=アクセンフェルトの バッハ《イギリス組曲》Nr.1

 

Johann Sebastian Bach

Englische Suite Nr.1 A-Dur BWV806

 

 

 

  今日採り上げるのは、バッハの《イギリス組曲》第1番 イ長調 BWV806です。

 

  《イギリス組曲》(Englisch Suiten)BWV806-811は、ドイツの作曲家ヨハン・セバスティアン・バッハが作曲したクラヴィーアの為の曲集で、全部で6つの組曲から成り、夫々の組曲は前奏曲・アルマンド・クーラント・サラバンド・メヌエット・ジーク等で構成されています。

 

  ケーテン時代の1710年代末頃に成立し、1725年頃迄に推敲が終了したとされていて、第1組曲の初稿(BWV 806a)の成立時期はヴァイマール時代の1712年頃にまで遡ると云いますす。20世紀半ば迄はhランス組曲以後の作品と考えられていた樣ですが、7つのトッカータ(1707₋13年)と同樣に、バッハのクラヴィーア曲集としては初期の、特に組曲としては最初期の作品に當たります。因みに、自筆譜は第3組曲第1曲第181-187小節の7小節しか殘ってはいません。

  名称の由来は確実ではなく、「ある高貴なイギリス人の為に書かれた」が為にイギリス組曲と呼ばれる樣に成ったという傳記作家ヨハン・ニコラウス・フォルケル(Johan Nicolaus Forkel, 1749-1818)の報告が有名です。他に、ヨハン・クリスティアン・バッハが傳承した筆寫譜の第1組曲(BWV 806)の表題には「イギリス人のために作曲」(pour les Anglois)の一文が存在しています。イギリス組曲の校訂者デーンハルトは、今日傳わっている大半の筆写譜の大譜表の音部記號の組み合わせが、從来バッハが用いていた「ドイツ式」ではなく「イギリス式」(今日と同じヴァイオリン記号、バス記号)であることが、傳承の真實性を示唆すると共に、名稱の由来に成ったと推測しています。

  作品はロンドンで活躍したフランス人作曲家デュパール(Charles Dieupart, 1667?-1740)の「クラヴサンのための6つの組曲(Six Suittes de clavessin)」(1701年)の影響を受けているとされていて、此のデュパールはコンセール的なジャンルであった「フランス風序曲(ouverture)」をクラヴィーア組曲(古典組曲)の導入樂章に組み込んだパイオニアの一人でもあり、第1組曲プレリュードの主題は、デュパールの組曲(第1組曲イ長調ジーグ)のモチーフの引用であると云われています。

 

  巨大な導入樂章(プレリュード)を持つのが作品の特徴で、同じくバッハの作品で演奏が困難では無くして優雅な者の多いフランス組曲とは對照的に、求められる演奏技術が高く、長大な形式美を誇ると共に、同一名稱の舞曲を1曲と數えて各6曲構成で統一されているのも相違點です。

  何れにせよ、《イギリス組曲》に始まる後期の鍵盤組曲を通じて作曲家が目指したのは恐らく、フランスに由来する伝統的なジャンルにドイツ的な響きを融合させる事、端的に云うと、和聲的な要素を優位とする書法に模倣對位法を組み込んでいくと謂う者で、これはバッハをおいて他に例がない試みであり、《6つのパルティータ》で完成の域に達します。又、バッハ自身が「前奏曲附き組曲」と呼んだ通り、《イギリス組曲》各曲には長大な前奏曲が置かれていて、其れ等第1番を除く5曲の前奏曲には、イタリア風の協奏曲乃至ダ・カーポ・アリアの形式原理が見出せるのですが、同時に亦た、2聲の對位法的な書法による緻密な動機勞作を内包していて、此れをイタリア的なものとドイツ的な響きの融和と呼ぶ事も出來ましょう。

  チェンバロ等の古樂器やモダンピアノでも頻繁に演奏される外、アコーディオン等に由って採り上げだれてりもしている樣です。

 

  此の第1番イ長調BWV806は、第2番、第3番、第5番、第6番と短調作品の多い中で、へ長調の第4番と共に明るい曲想を具えた者で、樂曲の構成は以下の通りと為っています。  

1. プレリュード(Prélude)
2. アルマンド (Allemande)
3. クーラントI (Courante I)
4. クーラントIIと2つのドゥーブル(變奏) (Courante II avec deux Doubles)
5. サラバンド (Sarabande)
6. ブレーI (Bourrée I)
7. ブレーII (Bourrée II) ブレーIのトリオとして演奏。
8. ジーグ (Gigue)

 

  今日紹介させて頂くのは、エディット・ピヒト=アクセンフェルトのチェンバロ演奏で1951年に行われたセッション録音です。

 

  エデイット・ピヒト=アクセンフェルトは、1914年にフライブルクで生まれたドイツのチェンバリスト・ピアニストで、5歳でピアノを始め、音樂學校を卒業後、ピアノをルドルフ・ゼルキンに、オルガンをヴォルフガンク・アウラーとアルベルト・シュヴァイツァーに師事し、1935年にベルリンでデビューを飾っています。そして、1937年に第3回ショパン國際ピアノコンクールで第6位特別賞(ショパン賞)を受賞し、1947年から1980年迄フライブルク音樂大學で教授を務め、2001年にフライブルク近郊の自宅で心不全の為、87歳で亡くなっています。

  世界的なチェンバリスト・ピアニストとして活躍した彼女は、オーレル・ニコレ、ハインツ・ホリガー、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、ヘンリク・シェリング、ローター・コッホらとの共演やレコーディング等も數多く、アンスバッハ週間、イギリス・バッハ週間、ルツェルン音樂祭等に於いても重要な役割を果たしています。

  ピヒト=アクセンフェルトの奏でる演奏は、バッハの音樂の具える嚴格を感じさせ、聽いた後の精神的な高揚感が實に清々しくあります。又、語り掛ける樣なニュアンス附けと慈しむが如き深い音樂性を特徴とし、其れに遲いテンポで微妙な強弱を表現すると謂った高度な技術も身に着けていて、聽き手の心を捉えて離しません。

 

  チェンバロは、フレンチ・二コラとフランソワ・プランシェに由る1730年頃製作の樂器の、ウィリアム・ダウドに由る復元品を使っていたと云います。

 

  餘談ではありますが、因みにカラヤン先生が指揮した最初のブランデンブルク協奏曲全集の録音でチェンバロを擔當しているのがピヒト=アクセンフェルトさんである事は餘り知られていない樣です。

 

  尚、グレン・グールドのピアノ演奏で行われたセッション録音をも紹介する事で、參考にさせて頂いた次第です。

 

  演奏メンバーは以下の通りです:

  

  Edith Picht-Axenfeld (Cembalo)

 

(1951)

※ 第1番の後に續けて第2番も收録されているので、どうか惡しからず。

 

  Glenn Gould (Klavier)

 

(1973.03.11, 11.04-05)