ラフマニノフのラフマニノフ《死之島》

 

Sergei Rachmaninow

Сергей Pахманинов

《Остров мёртвых》

Sinfonische Dichtung

 "Die Toteninsel" Op.29

 

 

  今日採り上げるのは、ラフマニノフの交響詩《死之島》作品29です。

 

  此の曲は、ロシアの作曲家セルゲイ・ラフマニノフが1909年に作曲した交響詩で、スイスの畫家アルノルト・ベックリンの同名の油彩畫に基づき書かれた標題音樂ではあるものの、作曲當時のラフマニノフは原畫を知らず、マックス・クリンガーの『死之島(ベックリンの原畫に由る)』というモノクロの銅版がから靈感を得たものであり、後に原畫を見る機會を得たラフマニノフは、預想していたよりも明るい色調に衝擊を受け、「此れを見ていたらあの曲は書かなかっただろう」と述懷したと云います。

 

  初演は1909年4月18日にモスクワに於いて作曲者自らの指揮に由り行われています。

 

(銅版画)

(原畫)

 

  樂曲は、4/3拍子の中間部を除いて、一貫した5/8拍子の繰り返しに由り、不安にうねる波と舟の漕ぎ手の動きが描寫されています。そして、コーダでは死を示唆して、他の作品に於いてもラフマニノフが好んでした樣に、グレゴリオ聖歌《怒りの日》が引用されています。

 

  今日紹介させて頂くのは、ラフマニノフ自らが指揮するフィラデルフィア管弦樂團に由り1929年4月20日に行われたセッション録音です。

 

  ピアニスト、作曲家としての業績の大きさ故に今日に於いて一般に見過ごされがちなのが、指揮者としても大きな足跡を殘していた事です。マモントフ・オペラやボリショイ劇場で、優秀なオペラ指揮者として信頼を置かれていたのみならず、演奏會に於いても自作のみならずチャイコフスキーやボロディン、リムスキー=コルサコフの作品等で、音楽評論家のユーリイ・エンゲルからアルトゥール・ニキシュやグスタフ・マーラー、エドゥアール・コロンヌにも比肩し得る「生まれながらの天才的指揮者」と評されていました。ロシアを出國後、1918年にアメリカに渡ったのも、結局受諾しなかったものの、ボストン交響樂團から演奏會の申し出を受けたのが一つの切っ掛けであったと云います。ロシア出國後にピアニストとしての活動に重点を置く樣に成ってからも指揮活動を行っていて、本作品である交響詩《死之島》や自作の交響曲第3番等の録音を殘しています。又、ベルリンでピアニストとして指揮者フルトヴェングラーと自作を共演した際、其のリハーサルで「時間が來たので今度は私が指揮する番だ」と言ったのが切っ掛けで、不仲に成ったという逸話が殘されています(惟、本番のコンサートは立派で大成功であったそうです)。

 

  自作自演と謂うのは往々にして單なる歷史的價値を有するのみの詰らぬ演奏が多いものですが、其れは飽くまで作曲家と指揮者が別物である事の何よりの證明なのであって、名指揮者でもあった作曲家に至っては決してそうではなく、其の典型的な例がリヒャルト・シュトラウスであり、曲に由っては他の追隨を許さぬと云って良い程の名演を殘してくれています。そして、此のラフマニノフも然りで、見事な指揮ぶりを示してくれています。其れに加えて、ストコフスキー時代のフィラデルフィア管も素晴らしく上手で、後のオーマンディ時代のクロム鍍金の樣なメタリックな響きではなくして、ビロードを想わせる纖細で肌觸りの良い弦の音を聽かせてくれています。

 

  演奏メンバーは以下の通りです:

 

  Sergei Rachmaninow (Dirigent)

    Philadelphia-Orchester

 

(1929.04.20)