ロスバウトのリスト    《人、山の上で聞きし事》

 

  Franz Liszt

Ce qu'on entend sur la montagne

Sinfonische Dichtung Nr.1 "Bergsymphonie" S.95

 

 

  今日より交響詩です。

 

  交響詩とは、管弦樂に由って演奏される標題音樂の中、作曲家に由って交響詩と名附けられた者を指す言葉で、音詩(獨:Tondichtung)や交響幻想曲(英:Symphonic fantasy)等と名附けられた樂曲も、交響詩として扱われる事が多い樣です。樂曲の形式は全くの自由で、原則としては單一樂章で切れ目なく演奏されますが、中には多樂章制の者も存在します。又、標題附きの交響曲の一部にも、交響詩と名附けて差支え無い樣なものも有り、文學的、繪畫的な内容と結び附けられる事が多く、ロマン派を特徴附ける管弦樂曲の形態と成っています。

 

  交響詩の起源に就いて云えば、古典派以前のオペラや劇附随音樂の序曲に見出す事が可能で、此れ等の序曲は、通常劇全體の粗筋や雰圍氣を預め纏めて傳える樣に作られました。其の意味では、序曲にはストーリー性が有るが故に、一種の標題音樂とも云い得ましょう。爾後、序曲が本體から獨立し、單獨で演奏會等で演奏される樣に成り、斯うして序曲のみを獨立して作曲すると謂った事が19世紀に起こり、其の樣な序曲は演奏會用序曲と呼ばていれます。

  其の一方で、古典派の交響曲はタイトルを持たないニックネーム的なタイトルしか持たない絶對音樂として書かれた者が殆どであったのですが、ベルリオーズが《幻想交響曲》(1830年)に於いて固定樂想の手法や色彩的な管弦樂法を用いた標題交響曲を成立させています。

  そして、セザール・フランクが1847年に《人、山の上で聞きし事》を作曲し、此れが史上初の交響詩であるとされています。但し、一般的には交響詩の發明者はフランツ・リストであると看做される事が多い樣です。

 

  19世紀中葉、フランツ・リストが上述の動きを更に推し進め、音樂外の詩的或いは繪畫的な内容を表現する管弦樂曲のジャンルとして、新たに「交響詩(獨: Sinfonische Dichtung )と名附けた事に由り、此れが交響詩の始まりと成りました。リストは、フランクの上記同名作品と同じくヴィクトル・ユゴーの詩集『秋の葉』に由る《人、山の上で聞きし事』(1849年)を第1作として、ギョエテによる《タッソー、悲劇と勝利》、ラマルティーヌに由る《前奏曲》、ユゴーによる《マゼッパ》等、1882年に至る迄に13曲の交響詩を殘しています。又、此れと略時を同じくして、リストと親交の有った若き日のベドルジハ・スメタナが《リチャード三世》(1858年)、《ヴァレンシュタインの陣營》(1859年)、《ハーコン・ヤール》(1862年)という3曲の交響詩を作曲しています。

 

  交響詩は、後期ロマン派の作曲家達から大いに好まれはしたもの、ロマン派の時代が終わりを告げた後の近・現代音樂に於いては、ロマン派的な描寫表現が重要では無くなってしまったが為に、交響詩の意味は失われてしまったと云います。

 

  今日採り上げるのは、上述の交響詩の創始者でもあるフランツ・リストの交響詩《人、山の上で聞きし事》S.95です。

 

  此の曲は、フランツ・リストが作曲した第1號となる交響詩で、タイトルは《山上で聞きし事》や《人、山の上で聞いた事》等とも標記されますが、稀に《山岳交響曲》と呼ばれる事も有る、リストの交響詩中最も長い演奏時間を要する作品と成っています。

  13曲の交響詩を殘しているリストですが、この第1番はかなり早い時期に1833年から1835年頃に掛けてスケッチを行い、最終的に1849年に完成させ、其の翌年の1850年にヴァイマールで初演を行った後、幾度も改訂を加える事で現在の形となった樣です。

  タイトルは、當時同じサロンでリストと親しく交際の有ったフランスの詩人ヴィクトル・ユゴーの1831年に出版された詩集『秋の葉』の一篇に基づいたもので、其の内容はと謂うと、詩人が山中で2つの聲を聞き、1つは廣大で力強く、秩序の有る自然の聲であり、もう1つは苦惱に滿ちた人間の聲で、此の2つの聲が闘爭し、入り亂れて、最後は神聖なる者の中に解消する事に成るというものです。

  

  今日紹介させて頂くのは、ハンス・ロスバウトの指揮するドイツ帝國放送管弦樂團に由り1940年に行われた演奏會のライヴ録音です。

 

  ドイツ帝國放送管弦樂團は1923年に設立されたオーケストラで、第二次大戰後はベルリン放送交響樂團と改稱されて東ベルリン側に屬し、DDRラジオ放送局の放送オーケストラと成って今日に至っています。

  從って、1940年という時代から察するに、恐らく此の演奏はラジオ放送用として演奏された者であると云って差支え無さそうです。

 

  專ら現代音樂のマイステルと謂ったイメージを持つロスバウトですが、實は所謂「最新作」を指揮し續ける其の一方で、ハイドンを始めとする古典派音樂をも得意とする等、レパートリーの廣さに掛けては驚異的で、百科全書的な音樂人と呼ぶに値すると云って差支え無い氣が致します。

  演奏スタイルに關しては、切り込みが鋭いが故に、作品の細部も全體も、彼のタクトの下で繰り廣げらる演奏は非常に掴み易く、小難しいイメージの着き纏う現代音樂が比較的すんなりと聽けてしまうのが何とも不思議です。そして、其の解釋には甘さが無く、アンサンブルの響きも細かく配慮されている上に、純音樂的な美しさを發現させていて、此のリストの曲に關しても然りであると云えましょう。

  彼の斯うした演奏は、時に情感が無いと云われる事も有りはするものの、其れは指揮者本位の感情移入が少ないという意味であり、一音の扱いに傾けられる神經の鋭さや細やかさ等と謂った者は強靭な集中力を要するものであり、冷たく、或いは乾いた質感で響く事が有っても、實は其の音を出す為に計り知れぬ程の配慮が為されているものなのです。

  其の意味に於いて、小生としては些か苦手とするリストではあるのですが(率直に申しますと、交響詩《前奏曲》以外には餘り親しんでおりません)、ロスバウトの指揮で聽くならば、此の作品に對する何かしらの發見が有るのではないかと思い、録音状態の貧しさをも顧みず、敢えて茲に紹介させて頂いた次第です。

 

  演奏メンバーは以下の通りです:

 

  Hans Rosbaud (Dirigent)

    Orchester des Reichssenders Berlin

 

 

(1940)