クレンペラーのワーグナー 《ニュルンベルクの名歌手》

 

Richard Wagner

Vorspiel zum 1.Aufzug  aus

 "Die Meistersinger von Nürnberg"

 

 

 

  今日採り上げるのは、ワーグナーの樂劇《ニュルンベルクの名歌手》の第1幕への前奏曲です。

  尚、此の曲のタイトルの中の一語「Meistersinger」の音譯である「マイスタージンガー」とは、日本語に意譯すると「親方歌手」或は「職匠歌手」とする方がより適切であるとの理由から、現在は音譯の儘の《ニュルンベルクのマイスタージンガー》が一般的に用いられている樣です。惟、小生がクラシックを聽き始めた頃は專ら「名歌手」の譯が用いられていて、其れに馴染んで仕舞っているが故に、敢えて《ニュルンベルクの名歌手》とさせて頂いた次第です。

 

  《ニュルンベルクの名歌手》は、19世紀ドイツの作曲家であるリヒャルト・ワーグナーが1867年に作曲完成させた全3幕から成るオペラで、初期のオペラ《戀愛禁制》(1836年完成)を除けば、ワーグナーの作品中唯一の喜劇となるものです。

 

  ワーグナーのドレスデン時代の1845年に完成・初演された歌劇《タンホイザー》と對を為す喜劇的作品として着想され、草稿が書かれたそうですが、本格的な臺本執筆はウィーンに在住していた1861年で、翌1862年から作曲、1867年の完成まで20年餘りの時間を要しています。此の間にワーグナーは、《ニーベルンクの指環》4部作に着手していて、其の第3部に當たる《ジークフリート》の差曲を中斷して《トリスタンとイゾルデ》を完成させ、續いて本作が完成を見ています。

  初演は1868年6月21日にミュンヒェンのバイエルン宮廷歌劇場に於いてハンス・フォン・ビューローの指揮に由って行われています。

 

  物語は、人間と藝術の價値を輝かしく肯定すると共に、天才が得た靈感を形式の枠の中で鍛え上げる必要性を説いた寓話にも成っていて、其の豊かで鋭い洞察と暖かな人間性に由って、本作品は幅廣い人氣を保っている其の一方で、當時のワーグナーの思想である「ドイツ精神」の復興と共に反ユダヤ主義が織り込まれていて、底に潛む暗い部分として疑問が投げかけられてもいる樣です。

 

  物語の舞臺は16世紀中葉のニュルンベルクで、粗筋は以下の様な者です:

 

  主人公のハンス・ザックスは靴職人で、マイスタージンガーでもあり、隣に住んでいるエーファという娘に好意を寄せているのですが、彼女は若い騎士であるヴァルターと出逢い、戀に落ちてしまいます。

  エーファの父のポークナーもマイスタージンガーで、彼は娘を歌のコンテストの優勝者であるマイスタージンガーと結婚させようと考えています。そして、マイスタージンガーであるベックメッサ―は、エーファとの結婚を望んでいます。そんな譯で、若い騎士のヴァルターはエーファの為にマイスタージンガーに成る決心をするのですが、歌の規則を知らぬが故に試驗に落ちてしまいます。

  其處で、驅け落ちしようとする二人を、ザックスは機轉を利かせて止めさせると共に、ヴァルターにマイスタージンガーの歌の規則を教え、ヴァルターはマイスター歌曲を完成させます。

  歌合戰の日、ベックメッサーはザックスの策略で歌えなく成り、ヴァルターが歌に成功し、ドイツの藝術を守るマイスタージンガーを皆が賞贊します。

 

  ワーグナー自らが第1幕への前奏曲を「作品の精髓」と呼んでいる通り、劇中の主要動機が明確な形で要約されています。提示部第1主題群(第1~96小節)、提示部第2主題群(第97~121小節)、展開部(第122~157小節)、再現部(第158~210小節)、コーダ(第211~221小節)という構成で、ソナタ形式に對應すると同時に、交響曲の4つの樂章にも對應していると謂う形式面に於ける多重性も指摘されている樣です。

  

  今日紹介させて頂くのは、オットー・クレンペラーの指揮するウィーン・フィルハーモニー管弦樂團に由り1968年に行われたウィーン藝術週間に於ける演奏會のライヴ録音です。

 

  此れは、クレンペラーが最晩年の1968年にウィーン藝術週間でウィーン・フィルを指揮した際の5日間に亙ったコンサートの中の最終日に於ける最後の曲目で、而も《ニュルンベルクの名歌手》初演100周年を紀念しての演奏でもあります。

  クレンペラー自らが生前に「ウィーン・フィルはアメリカのオーケストラよりも優れている。ベルリン・フィルよりも好きだ。……特に弦は素晴らしい」と語っていた通り、演奏回數の極めて少なかったコンビであるだけに、此れ等一連の演奏はクレンペラーにとっての「最高の經驗の一つ」と云えるのかも知れません。

  提示部第1主題群の「ダヴィデ王の動機」に入る前の盛り上がりの部分で一瞬弦が亂れそうになる箇所が有るものの、持ち直して以降、悠揚迫らぬテンポで音を構築して行く樣は正に壓巻で、クレンペラーという指揮者の真骨頂が見事に發揮されていて、此の上無く感動的であり、壯大さとスケール感に掛けては他の追隨を許さぬ名演である事は間違い無いと云えましょう。

 

  演奏メンバーは以下の通りです:

 

  Otto Klemperer (Dirigent)

    Wiener Philharmoniker 

 

(1968.06.16 Live)