カンテッリのヴェルディ  《運命の力》

 

 

Giuseppe Verdi

La Forza del Destino

Ouvertüre zu "Die Macht des Schicksals"

 

 

 

 

 

 

 

  今日採り上げるのは、ヴェルディの歌劇《運命の力》の序曲です。

 

  《運命の力》は、ジュゼッペ・ヴェルディが作曲した全4幕から成るオペラで、

原典版は1862年11月10日にロシアのサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場で、改訂版は1869年2月27日にイタリアのミラノのスカラ座に於いて初演されています。今日演奏されているのは其の殆どが改訂版に由る者である以外に、改訂版で挿入された序曲も其れ自體有名で、單獨での演奏機會も多い樣です。

 

  物語の粗筋は以下の樣なものです:

 

  舞臺は18世紀半ばの、スペインのセビーリャ及びオーストリア繼承戰爭の戰場と成っているイタリアです。

 

  主人公である公爵令孃のレオノーラはアルヴァーロという名の男性と戀人關係に在りますが、父親であるカラトラーヴァ公爵が交際に反對しています。

  其處で二人は驅け落ちをしようとしますが、父親が止めに入って一觸即發となります。

  其の時、不幸にもアルヴァーロの銃が暴發し、レオノーラの父親が死んでしまい、二人は逃走するのですが、途中で生き別れと成り、レオノーラは「アルヴァーロに捨てられた」と、又アルヴァ―トは「レオノーラは死んだのだ」と勘違いします。

  レオノーラの兄であるカルロは、復讐の為にアルヴァーロを探し、其の一方でレオノーラは洞窟に籠って神に祈りを捧げます。

  戰場でカルロとアルヴァーロは偶然に出逢って決闘となり、爾後アルヴァーロは修道院に入る決心をします。

  カルロが修道院を訪れ、カルロとアルヴァーロは再び決闘する事と成りますが、其の決闘場所と謂うのが奇しくも「レオノーラが祈りを捧げている場所」だったのでした。

  アルヴァーロがカルロを刺した所にレオノーラが現れ、瀕死のカルロは復讐の為に妹のレオノーラを刺します。

  そして、レオノーラは息絶え、悲しみの中でエンディングと成ります。

 

  上述の通り、此のオペラの有名な「序曲」は1869年の改訂時に補作されたもので、其れ迄の原典版ではより短い「前奏曲」が用いられていたそうです。前奏曲の標準的な演奏時間が3分程度であるのに對し、序曲は7分を超えるのが普通です。ヴェルディが改訂を行った1869年當時は、既にイタリア・オペラでは長大な序曲を演奏する習慣は廃れていた樣で、其の實、ヴェルディにとっても此れが最後の序曲となった樣です。

  此の序曲の冒頭は金管での3つの主音で、此れをベートーヴェンの交響曲第5番に於ける「運命のフレーズ」のヴェルディ版に擬える分析も存在している樣ではあるのですが、劇中では此の3主音が必ずレオノーラと共に現れ、決してドン・アルヴァーロには伴わないと謂った點から、此のフレーズは「レオノーラのモティーフ」と考えるのが一般的であるとされています。

  尚、改訂版の初演指揮者であったマリア―ニが此の金管でのモティーフをフォルテッシモで演奏した事にヴェルディは不滿で、「此のモティーフは修道士達の敬虔な祈りを表しており、メッツァ・ヴォーチェで奏されるべきである」と述べていたそうで、実際の譜面上での指示記號も單にフォルテと成っています。

 

  今日紹介させて頂くのは、グィド・カンテッリの指揮するニューヨーク・フィルハーモニック交響樂團に由り1953年3月15日に行われた演奏會でのライヴ録音です。

 

  《運命の力》序曲と云えば、先ず想い浮ぶのは「凄まじい」の一言に盡きるトスカニーニの演奏でありましょう。そして、其の演奏を一旦聽いてしまった曉には、他の演奏が生温い者に感じてしまうのが正直な所でありましょう。凝縮されたかの樣な響きと中間部の弦樂器のカンタービレの美しさを超える演奏にはなかなか出逢う事は出來ないのですが、唯一此れに匹敵し得ると云っても差支え無いのがカンテッリの演奏です。トスカニーニ自らがカンテッリの指揮ぶりを評して「彼は私の若い頃に似ている」と述べている通り、ライヴ演奏である事もあっての故か、此のカンテッリの白熱した演奏ぶりは、正にトスカニーニの名演を髣髴とさせるものです。

 

  演奏メンバーは以下の通りです:

 

  Guido Cantelli (Dirigent)

    New-Yorker Philharmonisches Symphonie-Orchester

 

 

(1953.03.15 Live)