マルティノンのラロ    《イスの王樣》

 

Édouard Lalo

Ouvertüre zu "Le Roi d'Ys"

 

 

  今日採り上げるのは、ラロの歌劇《イスの王樣》の序曲です。

 

  《イスの王樣》は、エドゥアール・ラロが作曲した全3幕から成るオペラで、ブルターニュ地方のイス伝説に基づき、エドゥアール・ブローの書いた臺本を基にしたものです。

 

  1865年の結婚後、舞臺作品での成功を夢見たラロは、オペラ=リリック座のオペラ新作コンクールに應募し、1866年から翌年に掛けてフリードリヒ・フォン・シラーの原作に基づく作品《フィエスク》を作曲し、預選は通過するものの、最終結果は第3位で、上演はされない儘終わってしまいます。併し、ラロは此の挫折にもめげず、續いて《イスの王樣》の作曲に取り掛かり、一部《フィエスク》の音樂を採り入れ乍ら、1881年に全曲を完成させます。所が、なかなか上演の機會に惠まれず、シャルル・グノーの盡力に由って、1888年に漸く初演が為されています。

 

  物語の粗筋は以下の樣なものです:

 

  ブルターニュ地方の海岸都市イスは堤防で海から守られていて、水門の鍵は王が管理しています。

  長年の戰爭相手であるカルナック王子との和平の条件は、王女マルガレードとの政略結婚で、王女マルガレードは、姊のローゼンと共に、戰爭で行方不明に成った幼馴染のミリオを愛しているのですが、お互いに其の事を知らずにいます。

  結婚の為にカルナックが遣って來る直前にミリオが歸還したが故に、マルガレードは結婚を拒んでしまい、其れに怒ったカルナックは戰爭再開を宣言します。併し、ミリオが愛しているのはローゼンでした。

  イスの王樣はミリオに、勝利の曉にはローゼンとの結婚を許すと宣言します。ミリオは勝利し、カルナックを捕えて歸還します。

  嫉妬に狂ったマルガレードは、王の鍵を盗んでカルナックに水門を開く樣持ち掛けます。

  ミリオとローゼンの結婚式の後、カルナックは水門を開きますが、其れを見つけたミリオに殺されます。

  丘へ逃げ出したイスの人々を目にしたマルガレードは激しく後悔し、其の身を人身御供として海に捧げて海を鎮めます。

 

  序曲は、1876年11月14日、ジュール・パドルーの指揮するコンセール・プピュレールの演奏會で初演が行われ、不評ではあったものの、一部の新聞が絶贊し、オペラ全曲の早期上演を要望した樣で、改訂版が1886年1月24日に、シャルル・ラムルーの指揮する新コンサート協會の演奏會で初演されています。

 

  全曲は、1888年5月7日にパリのオペラ=コミック座で行われ、招待券を亂發した結果、座席數以上の觀客が詰め驅けて大混亂となりはするものの、曲が進むに連れて混亂は收まり、最終的には大成功を收めたと云われています。爾後、1954年迄は良く上演されていたそうですが、現在では恒常的なレパートリーからは外されてしまっている樣です。

 

  單獨で演奏される事の多い序曲は、序奏と主部から成り立っています。

  序奏はオペラ第2幕冒頭の音樂で始まり、弦樂器で重苦しい雰圍氣が作られた後、オーボエが悲し氣な旋律を奏でます。

  續いてクラリネットに由る甜い旋律が現れますが、此れは第1幕でミリオが登場する際に歌う「空がこんなに輝いているのは」から採られています。そして、次第に力を増して、頂點でトランペットが三連符のファンファーレを鳴らして主部に入ります。

  主部は、マルガレードの激情を表わす弦樂器とファゴットの旋律(第1主題)で始まりますが、此れは第1幕のマルガレード登場の歌に基づいたものです。此れにトランペットの三連符ファンファーレが絡み、暫く經過した後に一旦鎮まり、弦樂器に第2幕のマルガレードのアリア「貴方が生きて、以前の樣に誇らしい姿で」が現れます(第2主題)が、此の旋律にもトランペットの三連符が絡みます。又、ファンファーレと共に弦に幅廣い旋律が現れますが、此れは第1幕から採られていて、ローゼンの優しい心を表わしてします。そして、再び第1主題が現れた後に、今度は獨奏チェロが新しい旋律を甜く奏でますが、此れも第1幕のローゼンの歌「何故黙って耐えているの」から採られています。其の後、速度を増して第2主題が奏でられた後、最後はミリオの戰いの歌で盛り上がってエンディングとなります。

 

  フランスで絶頂を迎えていたワグネリズムの真っ只中に作曲された作品である事から、此の序曲には《彷徨える阿蘭陀人》(見張りの水夫の歌)や《タンホイザー》序曲、《トリスタンとイゾルデ》等と謂ったワーグナーの歌劇・樂劇の斷片が頻繁にかなり目立つ形で引用されています。

 

  今日紹介させて頂くのは、ジャン・マルティノンの指揮するシカゴ交響樂團に由り1967年5月に行われたセッション録音です。

 

  マルティノンは、1910年にリヨンに生まれたフランスの指揮者兼作曲家で、パリ音樂院ではヴァイオリンを學び、ダンディとルーセルに作曲を、ミュンシュとデゾルミエールに指揮を師事します。

  當初はヴァイオリニストとして出發するも、指揮者に轉身し、パリ音樂院管弦樂團、ボルドー交響樂團、コンセール・ラムルー、イスラエル・フィル、デュッセルドルフ交響樂團等の首席指揮者を歷任します。1958年からフリーランスと成った後、1963年にシカゴ交響樂團の音樂監督に就任するも、オケとの相性は決して良くなかったと云われています。そして、1968年からはフランス國立放送管弦樂團の音樂監督に

就任し、フランス指揮界に於ける重鎮として活躍しましたが、1976年に66歳で他界しています。

  マルティノンの指揮は、明晰且つ力強さを具えたもので、ドビュッシーに代表されるフランス音樂を得意としたその一方で、ドイツ系アルザス人の血を引いている關係も有っての故か、ドイツ音樂の解釋に對しても識者からの支持は高かったと云われています。併し乍ら、シカゴ響時代は同オケが得意とするドイツ音樂の比重を下げた事が不評を招いた原因であるとも云われています。

  惟、「リズムとフレージングの絶妙な感覺で、オーケストラのテクスチュアを見事に浮き上がらせる」との絶贊も為されていて、前任者ライナーの築き上げた黃金時代の輝きを其の儘蹈襲し、名手揃いの木管・金管、重厚で而も緻密なアンサンブルの弦樂パートも健在であると云えましょう。

  オケの斯うした特徴は、正にドイツ的な重厚感を具えつつ、前期ロマン派と後期ロマン派の中間を行く樣な感じのするラロの此の曲にビッタリで、此のコンビならではの名演とも云い得るのではないでしょうか?

 

  演奏メンバーは以下の通りです:

 

  Jean Martinon (Dirigent)

    Chicagoer Symphonie-Orchester    

 

(1967.05)