ボールトのエルガー Op.36《エニグマ變奏曲》

 

Edward Elgar

Variationen über ein Originalthema für Orchester Op.36

≪Enigma-Variationen≫

 

 

  今日採り上げるのは、エドワード・エルガーの《獨奏主題に由る變奏曲》作品36です。

  此の曲は、エルガーが1898年から1999年に掛けて作曲した管弦樂の為の變奏曲で、正式名を《管弦樂の為の獨創主題に由る變奏曲》と謂い、通稱として《エニグマ變奏曲》亦は《謎の變奏曲》とも呼ばれています。出版に際しては、「エニグマ」を附記する事をエルガー自身も認め、本作品は「描かれた友人達」に獻呈されています。

  作曲の切っ掛けは、1898年10月21日に、ヴァイオリンのレッスンを終えて歸宅したエルガーが、夕食後にピアノで何の氣無しに想い着いた旋律を彈いている時、其の中の即興的な旋律の1つが妻キャロライン・アリスの注意を惹き、「氣に入ったのでもう一度繰り返して彈いて欲しい」と頼まれた事です。其處でエルガーは、妻を喜ばせ樣と、其の主題に基づいて、友人達を思い浮かべながら「あの人だったら、こんな風に彈くだろう」と即興的に變奏を彈き始めます。そして、其れを管弦樂曲に膨らませた者が《エニグマ變奏曲》と成ったのでした。其の作曲過程に就いて、アリスは「きっと、今迄に誰も遣らなかったこと」と述懷しています。

  10月24日、エルガーは批評家のアウグスト・イェーガー(第9変奏”Nimrod”に描かれた親友)に宛てた手紙で《變奏曲》に就いて觸れ、イェーガーをNimrodとして描いている事を傳えています。そして、11月1日には、少なくとも6つの變奏を完成させてドラ・ペニー(第10變奏”Dorabella”に描かれた友人)に聽かせています。又、翌1899年1月5日にはピアノとしてのスコアを完成させ、「此の變奏曲を氣に入っている」との言葉と共にイェーガーに送っています。其の後、2月5日から19日迄の2週間で管弦樂曲としての完成が為されています。

  初演は1899年6月19日にロンドンのセント・ジェームズ・ホールにてハンス・リヒターの指揮に由って行われ、此の初演が大成功を收めた事に由り、エルガあーの作曲家としての名聲が大いに高められたと謂います。

 

  「エニグマ」という言葉は、イェーガーが後に鉛筆で書き加えたもので、エルガー自身も「エニグマ」の名稱を使ってはいたものの、作品全體ではなくして、主題を指して「エニグマ」と呼んでいた樣です。

  其の「エニグマ」ですが、此れはギリシャ語で「謎掛け」「謎解き」を意味する言葉で、此の變奏曲には2つのエニグマが込められていると云います。

  第1のエニグマは、「此の變奏曲は、主題とは別の、作品中に現れない謎の主題も使われている」とのエルガーの發言に基づく者で、「謎の主題」の意味を旋律であると解釋するならば、此の謎は今日に至る迄解けてはいない事に成ります。

  第2のエニグマは、各變奏に附されたイニシャルや略稱等の該當人物であり、謎解きは既に略完了していると云い得、書の証據として、各變奏は、親しい友人達への真心の籠った肖像畫と成っているのみならず、此の變奏曲其の物が「作品中に描かれた友人達」に獻呈されています。

 

  樂曲構成は、二部形式に由る主題に、14の變奏が續く形と成っていて、變奏は主題の旋律線や和聲、リズム的要素から飛躍し、最終變奏は大團圓を創り出しています。そして、エルガーは、各變奏の譜面に、宛も副題であるかの如く、以下の樣な頭文字や愛稱を記入していて、其れ等が「作品中に描かれた友人達」が誰であるのかを解く手掛かりと成りました。

  第1變奏”C.A.E”は、作曲者の愛妻キャロライン・アリス・エルガー(Caroline Alice Elger)の頭文字です。

  第2變奏”H.D.S-P”は、エルガーと共に室内樂を演奏したピアニストのヒュー・デイヴィッド・ステュアート=パウエル(Hew David Stuart-Powell)で、齒切れの良い跳躍的な旋律は、彼が指慣らしにピアノに觸れる樣子を描いたものです。

  第3變奏”R.B.T”は、アマチュアの俳優・パントマイマーのリチャード・バクスター・タウンゼンド(Richard Baxter Townsend)で、彼の聲質や聲域を自在に操る樣子が音樂に反映されています。

  第4變奏“W.M.B”は、グロスタシャー州ハスフィールドの地主で、ストークオントレントの開基に寄與したウィリアム・ミース・ベイカー(William Meath Baker)の事で、とても精力的な人間であったが故に、變奏もトゥッテイに由る激しい雰圍氣を持っています。

  第5變奏”R.P.A”は、大詩人マシュー・アーノルドの息子でピアニストのリチャード・P・アーノルド(Richard P. Arnold)。

  第6變奏”Ysobel”というスペイン語風の名稱は、エルガーがヴィオラの愛弟子イザベル・フィットン(Isabel Fitton)附けた愛稱で、第6變奏でヴィオラ獨奏が活躍するのは其れ故です。

  第7變奏”Troyte”は、建築家アーサー・トロイト・グリフィス(Arthur Troyte Griffith)の事で、ピアノを彈こうと頑張りはしたものの、なかなか上達しなかったという彼の、不向きな事に熱を上げる姿が描かれています。

  第8變奏”W.N”は、ウィニフレッド・ノーベリー(Winfred Norbury)の事で、エルガーからのんびり屋と看做されていたが為に、かなり打ち解けた雰圍氣で描かれています。因みに、變奏の結びで、ヴァイオリンの1音が、次なる變奏に向けて引き伸ばされています。

  第9變奏”Mimrod”(ニムロッド)は、樂譜出版社ノヴェロに勤めるドイツ生まれのアウグスト・イェーガー(August Jaeger)にエルガーが附けた愛稱で、ドイツ語の「イェーガー」(Jäger)が「狩人」や「狙擊手」に通ずる事に因んだものです。エルガーは此の第9變奏に於いて、イェーガーの氣高き人柄を自らが感じた儘に描き出そうとしただけでなく、2人で散策しながらベートーヴェンに就いて論じ合った一夜の雰圍氣をも描き出そうとしたらしく、2人が大好きであったと云うベートーヴェンのピアノソナタ第8番《悲愴》の第2樂章の旋律を下敷きとしています。

  第10變奏「間奏曲」“Dorabella”(ドラベッラ)は綺麗なドラという意味で、ウィリアム・ベーカー(第4變奏)の義理の姪で、リチャード・タウンゼンド(第3變奏)の義理の妹に當たるドーラ・ペニー(Dora Penny)の事を指すもので、木管樂器が彼女の滑舌や笑い聲の模倣であるとされています。 

  第11變奏”G.R.S”は、ヘレフォード大聖堂のオルガニストのジョージ・ロバートソン・シンクレア(George Robertson Sinclair)を指すものですが、音樂に描かれているのはシンクレアの飼い犬のダン(Dan)で、此のブルドックはワイ川に跳び込んだ事があるそうです。

  第12變奏“B.G.N”は、當時の著名なチェリストのベイジル・G・ネヴィンソン(Basil G. Nevinson)の事で、其れ故にチェロが主旋律を奏でます。後に此のネヴィンソンに觸發され、自作のチェロ協奏曲を作曲する事と成ります。

  第13変奏「ロマンツァ」”***”ですが、文字で示されていないが為に、人物を特定する事は困難で、今日に於いても猶真相が解明されてはいないのですが、メンデルスゾーンの《靜かな海と樂しい航海》からの引用樂句が含まれる事から、當時オーストラリア大陸に向かって旅立ったレディ・メアリー・ライゴンの事か、若しくは嘗てのエルガーの婚約者で、1884年にニュージーランドに移民したヘレン・ウィーヴァ―の何れかではないかと推測されています。

  第14變奏「終曲」”E.D.U”は、エルガー自身で、E.D.Uは即ち「エドゥー」(Edu)に通じ、此れはアリス夫人がエルガーを呼ぶ際の愛稱でした。此處では第1變奏と第9變奏の餘響が聽き取れます。

  

  今日採り上げたのは、エイドリアン・ボールトの指揮するアムステル・コンセルトヘボウ管弦樂團に由り1940年2月29日に行われた演奏會のライヴ録音です。

 

  イギリス物を大の得意とするボールトが、自國のオケではなくして、オランダの名門オケを揮った貴重なライヴ演奏で、オケは從順な演奏を繰り擴げていて、特に第9變奏ニムロッドの丁寧な演奏が光っています。流石は此の時代であるだけに、弦のポルタメントを聽く事が出來、其れが得も云われぬ效果を生んでいます。全曲に亙って闊達な、表現意欲に滿ちた演奏で、改めてコンセルトヘボウ管のアンサンブルの凄さを感じさせてくれます。又、オーケストレーションに類似性が有るとの一點に於いて、「此の曲とブラームスのハイドン變奏曲は姉妹作」と評される事もある通り、 音の「色彩感」に共通するものが感じられなくも有りません。落ち着いた色調の中に典雅さが見え隱れするオケの暖色系の音色が、曲の雰圍氣にマッチした魅力的な演奏と云い得るのではないでしょうか。

 

  演奏メンバーは以下の通りです:

 

  Adrian Boult (Dirigent) 

  Concertgebouw-Orkest Amsterdam

 

 

(1940.02.29 Amsterdam Live)