オイストラフTのチャイコフスキー Op.50

 

Pjotr Iljitsch Tschaikowski

Klaviertrio a-moll Op.50

 

 

 

  今日採り上げるのは、チャイコフスキーのピアノ三重奏曲 イ短調 作品50です。

 

  此の曲は、チャイコフスキーが1881年から1882年に掛けて作曲した曲で、舊友ニコライ・ルビンシテインへの追悼音樂であるが為に、全般的に悲痛で荘重な調子が支配的となっています。又、作品に附された獻辭に因んで、『偉大な藝術家の思い出に』という副題乃至は通稱で知られています。

  本作品、就中第2樂章は、ピアノに高度な演奏技巧が求められ、ピアノを用いるあらゆるチャイコフスキーの作品の中で、恐らく最も演奏が至難であるとされています。

  表向きは2つの樂章構成となっていますが、第2樂章の最終變奏が長大であるが為に、その部分が實質的な終樂章の役割を果たしていると云い得るでしょう。演奏時間が50分近くを要するという長い曲であるにも關わらず、息を吞む樣な抒情美や、壮大且つ決然たる終曲に因って、今猶人気の高い曲となっています。

 

  今日採り上げたのは、オイストラフ三重奏團ことダヴィッド・オイストラフのヴァイオリン、スヴャトスラフ・クヌシェヴィツキーのチェロ、レフ・オボーリンのピアノという組み合わせのトリオが1948年に行ったセッション録音です。

  オイストラフは、1908年に舊ロシア帝國(現ウクライナ)のオデッサに生まれたユダヤ系ヴァイオリニストで、ソヴィエト聯邦が成立したその翌年の1923年からオデッサ音樂院に學び、卒業後の1928年にソリストとしてデビューします。そして、1935年に第2回全ソヴィエトコンクールで優勝し、更に同年の第2回ヴィエニャフスキ―國際ヴァイオリンコンクールで第2位に入賞するなどして、世界の檜舞台にその名を轟かせます。1705年製ストラディヴァリウス「マルシック」を使用し、弓幅を大きく豊かに使い、速くて振幅の大きいヴィブラートを駆使して豊潤で美しい音色を響かせる奏法が特徴的で、チャイコフスキーやブラームスを初めとする情感豊かな樂曲を得意としました。

  クヌシェヴィツキーは、1908年にペトロフスクで生まれた舊蘇聯のチェリストで、1923年にモスクワ音樂院に入學してセミョン・コゾルポフに師事し、卒業と同時にボリショイ劇場管弦樂團の首席奏者となり、1943年迄務め、其の間、1933年の全蘇音樂コンクールで優勝し、ソリスト及び室内樂奏者としても活躍しました。

  オボーリンは、1907年にモスクワで生まれた舊蘇聯のピアニストで、モスクワのグネーシン音樂學校で學んだ後、1921年にモスクワ音樂院に入學してコンスタンチン・イグームノフの薫陶を受け、1926年に卒業した其の翌年の1927年に第1回ショパン國際ピアノコンクールに出場して優勝します。爾後、ポーランドとドイツで演奏旅行を行い、1945年迄ロシア國内で積極的な演奏活動を行うのと並行して、1948年より母校モスクワ音樂院で教鞭を執りました。主要な門人にアシュケナージがいます。

  この三奏者は1943年にトリオを結成し、國際的な名声を得ますが、クヌシェヴィツキーが1963年に他界してしまったが為に、解散を余儀なくされています。

  オイストラフ三重奏團との名稱通り、演奏を主導しているのはオイストラフで、ゆったり目のテンポで樂器を存分に歌わせつつ、豊かな表情と情緒表現を繰り廣げていて、クヌシェヴィツキーのチェロも負けずに其れに應じています。又、オボーリンもずっしりと重みの有る演奏で、超絶的技巧が求められる第2樂章を難無く彈き熟しています。

  他にも、ギレリス三重奏團やハイフェッツ三重奏團といった素晴らしい演奏も存在しているのですが、茲は敢えてオイストラフのヴァイオリンに軍配を上げさせて貰いました。因みに、他の兩者共々、全てスラヴ系の奏者に由る演奏であるに相違有りません。

 

 演奏メンバーは以下の通りです:

 

 Oistrach-Trio

 David Oistrach (Violine)

   Swjatoslaw Knuschewizki (Violoncello)

   Lew Oborin (Klavier)

 

 

Oistrach-Trio

(1948.03 Moskau)