クレットリQのフォーレ

 

 

 

 

 

  今日採り上げるのは、フォーレの弦樂四重奏曲 ホ短調 作品121です。

 

      この曲は、近代フランスの作曲家であるガブリエル・フォーレ(1845年~1924年)が作曲した弦樂四重奏の為の室内樂曲で、3つの樂章で構成されています。

 

  1923年の2月中旬にピアノ三重奏曲を完成させたフォーレは、6月25日から約3か月彼のお氣に入りであったアヌシー=ル=ヴューという村に滞在し、弦樂四重奏曲の作曲に着手します。最初に書かれたのは第2樂章で、9月12日に完成し、續いて同年の秋にパリの自宅で第1樂章が書かれました。ところが、1923年の冬から動脈硬化による手足の痺れと半睡状態に見舞われ、年が明けた1924年の春も肉体衰弱の為に陰気で退屈な生活を餘儀なくされます。しかし、6月20日から約1か月間ディヴォンヌ=レ=バンのグランドホテルに滞在したフォーレは、ディヴォンヌの静かで輕やかな空気や部屋のテラスから望めるアルプスの景色に圍まれながら終樂章に着手し、仕事に喜びを感じ、自らを立ち直らせる或る種の内なる喜悦に浸りながら毎日を送ったと云います。そして終樂章を書き上げたのが1924年9月11日の夜でした。ところが、9月19日に肺炎を起こし、一命は取り留めたものの、視力が衰え、自分の足で立つ事が出来なくなり、10月18日に列車でパリに戻ります。自宅でも體力や食欲は恢復せず、死の床で、フォーレは弦樂四重奏曲試演の申し出を斷わり、聽覺障害と成っていた為か、「やめてくれ!きっとおぞましいものにしか聞こえないのだから」と言って、聽くのを拒んだと云います。

  1924年11月4日、フォーレは靜かに息を引き取りました。

 

  そして、1925年6月12日、パリ音樂院ホールで開催された國民音樂協會の演奏會に於いて、ジャックティボーとロベール・クレットリーのヴァイオリン、モーリス・ヴィユーのヴィオラ、アンドレ・エッキングのチェロに由って初演が行われました。そして、この曲はフォーレが演奏・出版の判斷を託した友人達の一人である批評家のカミーユ・ベレーグに獻呈されました。

 

  今日採り上げたのは、クレットリ弦樂四重奏團1928年に行ったセッション録音です。

  クレットリ四重奏團は、1920年代から1930年代にかけて活躍したフランスのカルテットで、アヴァンギャルドやモダンなレバートリーを積極的に取り上げていました。

  上述の通り、リーダーである第1ヴァイオリンのロベール・クレットリはこの曲の初演に於いて第2ヴァイオリンを擔當しています(第1ヴァイオリンはジャック・ティボー)。

  初演でチェロを擔當したエッキングは名チェリストであるフルニエの先生の一人です。

  この演奏は世界初録音とういうだけでなく、初演に關わったメンバーとその弟子によるものであるという意味で、極めて貴重なものであり、フォーレがこの曲に込めた思いを表現し得ているのではないかと思い、敢えて採り上げさせて頂いた次第です。特に、豊かな旋律の閃きや透明感等において、第2樂章は抒情家フォーレの本領を現した詩的美しい緩徐樂章と云えるのではないでしょうか。

 

      演奏メンバーは以下の通りです:

 

  Krettly-Quartett

      Robert Kretly (Violine I)

      René Costard (Violine II)

      François Broos (Bratsche)

      Pierre Fournier (Voloncello)

 

Krettly-Quartett

(1928)