前回の記事←に引き続いて、サスペンス・ドラマの女王と呼ばれた
女優・松尾嘉代を語る記事の後編です。

ストリッパーに憧れて16歳で女優デビューした松尾嘉代さま。
若くして妖婦(ヴァンプ)女優としての才覚を現しましたが
誰もが知る悪女女優としての嘉代さんの姿は70年代後半から
その本性を見せ始めるのでした。

『火曜日の女シリーズ』『横溝正史シリーズ』といったサスペンス・ドラマに
出演するものの、70年代は『パパと呼ばないで』『赤いシリーズ』の印象が
強く、サスペンス・ドラマでの役柄もまだ清純派に近い立ち位置でした。

しかし映画『闇の狩人』(1979年)などでは類まれなるヴァンプ(妖婦)
女優としての素質を開花し、演技力が絶賛されるのでした。

1980年代になって『土曜ワイド劇場』における「サスペンス・ドラマ」で
嘉代さまはスター級女優としての地位を築きました。
特に『土曜ワイド劇場』の『昭和7年の血縁殺人鬼 呪われた流水』(1981年)
において悪女女優としての真価を知らしめ、それ以降サスペンス・ドラマへの
主演が続いていくことになります。


「女たちの華麗なる闘い」…悪女女優としての魅力


さらに1983年の『エアロビクス殺人事件 女の変身美容教室 “シェイプアップ!”』(1983年)に主演。
このドラマにおいて松尾嘉代は「女の闘いサスペンス」という、『土曜ワイド』ならではの
エロティックで毒気の強い「悪女サスペンス・ドラマ」のスタイルを確立させました。

松尾嘉代が演じるヒロインが、スポーツクラブの経営権をめぐる争いの中で
陰謀をめぐらし、ついには殺人にまで手をそめて、念願の経営者の地位を手にする。
しかしラストでは因果応報とも言うべきオチがついて、ヒロインには破滅が待っています。

ミステリ小説のドラマ化ではなく、脚本家・須川栄三の書き下ろしシナリオを
ドラマ化した作品でした。須川栄三といえば、『危険な英雄』(1957年)の脚本や
『野獣死すべし』(1959年)の監督といった、ヌーヴェルヴァーグの影響を受けた
和製ハードボイルド・サスペンスを作り上げたことで知られる人物。
その一方で奇妙な味の『ブラックコメディ ああ馬鹿』(1969年)を監督した
人物でもあります。

『エアロビクス殺人事件』は須川栄三のこうしたいくつかの面、
クールな犯罪ドラマと奇妙な味わいのブラック・コメディの志向が
松尾嘉代という女優を得て、歪なかたちで結実したブラックな
ピカレスク・ロマンであり、非常にユニークな作品として注目に値します。

『エアロビクス殺人事件』での松尾嘉代による強烈な毒婦の演技と
男をたらしこむ妖婦の艶めかしい官能的な演技は、大変な評判となりました。
『エアロビクス殺人事件』は『土曜ワイド』再放送希望ドラマの常連となり
『土ワイ』では似たようなお膳立ての悪女ドラマを定期的に製作して行きます。

こうして松尾嘉代は主に『土曜ワイド劇場』を中心としたサスペンスドラマにおいて
憎々しい悪女と官能的な妖婦の演技を得意とする「サスペンスの女王」として
絶大な人気を誇り、80年代の間は数多くの主演ドラマが製作されて行くのでした。

それらの作品は「女たちの華麗なる闘い」シリーズと呼ばれて人気を博しました。
基本的にストーリーは『エアロビクス殺人事件』のプロットを流用したものであり
松尾嘉代の演じる野心的で冷血な女実業家が、色仕掛けとアリバイ工作を駆使して
殺人さえも行って事業の経営権を手にしますが、最後には若い女の裏切りによって
松尾嘉代のヒロインは逮捕されるか、殺される結末が待っているのでした。

個々の作品については別の記事で触れることとして、この時期の
サスペンス・ドラマにおける松尾嘉代の演技が再現できる女優は
もはや現れないのだと思います。

経営権や財産をめぐる争いでのライバルに対して、憎々しい口調で
「あんな小娘なんかビックリマークと吐き捨てる啖呵の切り方がサマになっていました。
さらには男をたらしこむ時の甘ったれた口調、気弱な男を一喝する男勝りな口調、
「死ぬのはアンタよビックリマークなどと絶叫しながら、鬼のような形相で襲いかかる
演技などはまさに圧巻でした。

警察に逮捕されてもなお「何を言ってるのはてなマークあたしじゃないわ…。全部あの女よビックリマーク
とか逆上しながら往生際が悪く抗う姿の迫力、といった数々の悪女演技は
松尾嘉代の少し大げさな、でもそれがサマになる演技スタイルだからこそでした。


強欲で下品な悪女を演じて天下一品の嘉代さんでしたが、その演技は
教養と品格に支えられていました。

僕がそのことを認識したのは、TBS『ザ・サスペンス』枠の2時間ドラマ
『処女が見た 美しい尼僧のゆるされぬ罪 レスビアン少女の殺意』(1984年)
を見たことによってです。

このドラマは嘉代さんと伊藤かずえの官能的な同性愛シーンや、尼寺で
嘉代さんがのちに殺人犯となる男に凌辱されるシーンによって、エロティック
色を強調したドラマとして話題になっています。
しかし、実際に見てみるとそうしたシーンはほんのわずか。

「肉欲に溺れる尼僧」という一見スキャンダラスな役柄を演じた嘉代さんは
この作品で真摯に「信仰と情愛のはざ間で揺れ動く女心」を演じていました。
尼僧として非行少女たちに接するときの嘉代さんの、慈愛で包み込むような
菩薩の演技。そんな高貴な尼僧が愛欲に溺れてゆく苦悩と不安を綴る日記を
読み上げるモノローグでの、深い情感と教養を感じさせる嘉代さんのセリフ…。

特にこの作品での嘉代さんの口調は、完璧に尼僧に見えるくらい、深い教養と
慈愛を感じさせる言葉遣いで喋っていました。下品な悪女の役で知られた
嘉代さんでしたが、『処女が見た』でのセリフを聞けばわかるように、
彼女の悪女演技は深い教養に支えられたものだったのだと、この作品を見て
認識しました。


人気シリーズ「密会の宿」

そんな悪女演技の一方で、もう一つの松尾嘉代の顔を見ることが出来たのが
佐野洋の短編集をドラマ化した『土曜ワイド』名物のエロティック・ミステリーで
松尾嘉代が素人探偵をコミカルに演じた『密会の宿』シリーズでした。

『密会の宿』で松尾嘉代が演じたのは、ワケありの客が訪れる連れ込み旅館の女将。
森本レオ演じるのぞき趣味のあるヒモ男、野村昭子演じるやり手ババアの女中という
クセの強い共演者とのコンビネーションも抜群で、非常に人気の高いシリーズです。

いつもの悪女演技とは違うしとやかな旅館の女将という役柄を演じながら
旅館の泊まり客が巻き込まれた殺人事件の捜査に乗り出すと、官能的な
妖婦としての顔ものぞかせ、それでいてトボケた素振りで容疑者を翻弄します。

そしてラストの謎解きシーンでは、犯人を威圧するかのようにゴージャスな
貴婦人然としたいでたちで現れて、大見得を切りながらトリックの
謎解きを行うのでした。

それはまさに、セクシー女優であるとともにコメディエンヌとしての才能も
持った、松尾嘉代という女優の魅力が最大限に引き出されたシリーズでした。


横溝正史世界の住人として

『仮面舞踏会』

松尾嘉代は横溝正史作品の映像化に適した女優だったと思います。

1978年の毎日放送版『八つ墓村』(1978年)では、サブヒロインに甘んじましたが
その後80年代になると、土ワイの小野寺昭版『仮面舞踏会』(1986年)と
TBS古谷一行ドラマの『死神の矢』(1989年)でヒロインを演じました。

松尾嘉代という女優は、横溝正史の世界観によく似合う女優だったと思います。
『八つ墓村』では春代を演じましたが、春代ではなく美也子を演じたら
この上なくサマになっていたでしょう。
また、実現することはありませんでしたが、『女王蜂』の神尾秀子など
松尾嘉代が演じたらどれほどハマリ役だったかと思います。

実際に演じた役では、『仮面舞踏会』と『死神の矢』はいずれも名演でした。

『仮面舞踏会 嵐の夜、妖しい女が殺人を呼ぶ!』(1986年)で嘉代さんが
演じるヒロイン・鳳千代子が金田一耕助から恐るべき真実を知らされた時の
まるで廃人と化したかのような凍りついた表情……。
たった一瞬の表情で、ひとりの女の人生模様を鮮やかに描き上げる
松尾嘉代の演技。

思い起こせば『仮面舞踏会』によって、僕は初めて松尾嘉代という
女優の存在を知ったのでした。たった一瞬の表情だけで作品のすべてを
支配できる女優として。

『死神の矢 京都連続殺人 女の血の呪い』(1989年)は、原作・ドラマともに
小粒な出来栄えながら、松尾嘉代の熱演は非常に印象深いものでした。
特にラストでの嘉代さんの姿は今でも脳裏に焼きついています。

1990年に『土曜ワイド劇場』で横溝正史の『夜歩く』をドラマ化した
『夜歩く女 呪われた結婚申し込み 首なし死体がふたつ!』(1990年)で
嘉代さんは古神お柳の役を演じました。この役は1978年の毎日放送
『横溝正史シリーズ』では南風洋子が演じた役……。
そう、『幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形』では死んだ娘への妄執に
とり憑かれた母親役で、嘉代さんと共演した女優です。

不思議な因縁というべきでしょうか。
かつて嘉代さんがまだ清純派を捨てていなかった時期に主演した恐怖映画で
妄執にとり憑かれた妖婆を演じたのが南風洋子でした。
そして当の松尾嘉代もまた、南風洋子に匹敵・凌駕するような怪女優としての
演技力を極めて行き、ついには南風の当たり役だったお柳を、見事に
演じることになったのでした。

考えてみれば『血を吸う人形』で嘉代の相手役を務めた中尾彬も、数年後には
『日曜恐怖シリーズ』『土曜ワイド劇場』などで、この作品で宇佐美淳也が
演じたような、狂信的で偏執的な人物を見事に演じるようになっていました。

『血を吸う人形』をリメイクしようと思えば、オリジナルで南風洋子と宇佐美淳也が
演じた役を、現在の松尾嘉代と中尾彬に変えれば充分すぎるほど役者が揃います。
しかし彼らに対峙する若いカップルを演じる若手俳優・女優となると、存在しません。
十年後二十年後に、南風洋子や松尾嘉代になっていそうな若手女優がいるでしょうか?
十年後二十年後に、宇佐美淳也や中尾彬になっていそうな若手俳優がいるでしょうか?


50歳を迎えた「セクシー女優」の戸惑い

1991年から92年にかけて、50歳を目前に控えた松尾嘉代は、突如として
ヌード写真集を出版して週刊誌を賑わせました。

80年代のアダルトビデオ・ブームを経て、SEXをエンターテインメントとして
扱うことがタブーではなくなっていた時期という時代背景もあり、大女優の
大胆なヌード写真集はかなりの注目を集めました。

1993年。松尾嘉代は50歳を迎えました。
前年のヌード写真集出版後に、彼女はテレビのトーク番組において
女優としての疲れを口にするようになったと言われています。

嘉代さんが50歳を迎えた時期のインタビューを覚えている方の書き込みを発見しました。

「828 : 陽気な名無しさん[sage] 投稿日:2013/12/01(日) 14:50:36.97 ID:ugAcouCZ0
震災の前か後か覚えてないんだけど、写真集出版の後、何の番組だったか
忘れたけど、女優として疲れちゃったみたいなこと仰ってるのを見た記憶があるの
少しお休みを取って、お化粧もしないで髪もテキトーにまとめただけで、誰にも
松尾嘉代だって気付かれない生活をして、スッキリしてリセットできたから、
またお仕事頑張りますとか話されてて、女優続けてくれるんだって、凄く
嬉しかったのを覚えてるのよ
でも、出演作減っちゃったのよね、寂しいわ」


ホテル王として財界に君臨した金井という男の愛人生活を送り
金井の死の直前には、ほとんど裏切りに近いかたちでホテルの経営権
乗っ取りに加担し、怪物・小佐野賢治からは相当の礼金を受け取ったでしょう。

また、44歳も年の離れた金井の存命中から、嘉代さんは若い男子学生との
火遊びを楽しんでいたとのことで、金井の死去後にも数々の男たちと
恋の火遊びを楽しんでいたようです。

しかし、それによって家庭を持たずに50歳を迎えた事への寂しさが
この時期になってこみ上げてきたのでしょうか。

この年の6月、松尾嘉代の人気シリーズであり代表作だった『密会の宿』が
『密会の宿(8) 女と男の殺人ドライブ 夕闇に匂う哀しみの殺意』(1993年)
において、ついに最終回を迎えるのでした。
松尾嘉代演じる旅館の女将・桑野厚子はこのドラマのラストにおいて
長年に渡るつきあいのヒモ・久保(森本レオ)との別れを決意します。

「もうこれ以上無理よね、同棲解消しましょ・・・」

最後に森本レオに嘉代さんが「ありがとう」と言って別れる
切ないラストシーンが視聴者の記憶に残っていると言います。

人気シリーズの有終の美を飾るのにふさわしい、切なく爽やかな
幕切れで『密会の宿』シリーズはついに幕を下ろしました。
そしてそれは(想像に過ぎないのですが)松尾嘉代本人にとっても
彼女自身の「セクシー女優」「サスペンス・ドラマ女優」としての
身の引き際を考えさせるきっかけの一つになったのではないでしょうか。

翌年の1994年からは、2時間ドラマで松尾嘉代が主演する作品が
ふっつりと途絶えるのでした。


1997年、突然の引退。

1995年1月、阪神・淡路大震災が発生しました。
松尾嘉代はこの震災によって、価値観が根本から覆るほどの衝撃を受けたと言います。
被災地では大女優・松尾嘉代が気さくな態度で炊き出しに奔走する姿が目撃されました。

夫も子供も持たずに、たまに若い男をつまみ食いしながら、気ままな生活を続けて
50歳を過ぎた松尾嘉代は、たぶん震災以前から疲れていたのでしょう。
そしてそれは、芸能活動に自ら幕を下ろすという選択へと向かっていったのだと
思われます。

いつの時期かは定かではないのですが、俳優の西田健が嘉代さんに
プロポーズしたといいます。しかし、嘉代さんは断ってしまいました。
理由はよくわかりませんが、やはりかつての愛人・金井との関係などが
あったために、一人の男と添い遂げる覚悟が嘉代さんにはなかったのでしょうか。

1997年10月。長年「女王」として君臨してきた『土曜ワイド劇場』において
ミステリの巨匠・土屋隆夫原作の『捜査検事・千草泰輔 不安な産声』(1997年)
に出演。これが松尾嘉代にとって、現在の時点で最後の出演作となっています。

そして1998年以降は、テレビにも映画にもいっさい出演せずに表舞台から消えてしまいました。


松尾嘉代よ、永遠に…


松尾嘉代が表舞台から姿を消してすでに14年の歳月が経ちました。
現在では71歳を迎えるという彼女は、噂によると東京近県の
公団住宅にお一人住まいとのことです。

公団住宅…かつてサスペンス・ドラマで、経営権争いに奔走する女実業家や
何者かにユスられる有閑マダムを多く演じた彼女からは想像もつかない現状です。

一説によると震災後はボランティア活動に力を注いでいたとのことで
文字通りボランティアに全財産を注ぎ込んでしまったのかもしれません。
これまた彼女がかつて演じた強欲な悪女の役柄からは想像もつきません。

しかしそれもまた、松尾嘉代さんご本人が選んだ生き方だったのでしょう。
「あの人は今」的な番組に出てこないかといつも心待ちにしているのですが
出てきたという話さえ耳にしないことから鑑みるに、もう嘉代さんには
芸能界への未練はまったくと言って良いほど残っていないのでしょうね。

今はもはや、芸能界に復帰という期待はほぼ抱いていません。
その代わりに、嘉代さんが全盛期に出演したサスペンス・ドラマを
どんどんビデオとして発売して欲しいと考えています。

1980年代のテレビドラマを見ると、この時期にはテレビが映画よりも
面白かったんだと痛感させられます。テレビがこんなに面白ければ
誰も映画館になんて行かないし、日本映画の衰退は当然だったのだと
納得しました。

その一方で、テレビドラマは未だに映画に比べると過小評価されています。
松尾嘉代がもっとも素晴らしい演技を残したのはやはりサスペンス・ドラマ
であり、テレビドラマが映画ほど研究や評価の対象とならない現状においては
松尾嘉代という女優が若い世代から顧みられない現状となっています。

これはあまりにも寂しくもったいない話です。事実、僕も含めて30歳以下の
世代は、松尾嘉代の主演ドラマを見る機会はほとんどありません。

この状況をなんとか改善できないものかと思います。
なんとか1970~90年代のテレビドラマをもっと再評価する風潮になって
くれないものでしょうか。