松尾嘉代という女優がいた。

すでに10年以上の長さに渡って表舞台に姿を現さなくなったため
ぼくの世代ではほぼ忘れられた女優となっているが
1970年代から90年代初頭にかけて絶大な人気を誇った大女優でした。

とりわけ1980年代の『土曜ワイド劇場』『火曜サスペンス劇場』といった
2時間ドラマのサスペンス物では欠かせない女優であり
「サスペンスの女王」と呼ばれて今でも絶大な人気を誇っています。

松尾嘉代が得意とした役柄は、完全犯罪を企む悪女の演技であり
人の命を奪うことを躊躇しない女の憎々しい演技では最高でした。
また、男を自分の犯罪計画に引き込む演技の妖艶で官能的な表現では
他の女優の追随を許さない、濃厚で大胆な魅力を発揮していました。



ちなみに松尾嘉代というと、サスペンス・ドラマでの悪女の役が多く
またヌード写真集やビデオを出していることから、例えば先輩格の
岡田茉莉子や岸恵子、同年配の吉永小百合や大空真弓といった女優に比べて
格下の女優であるかのように世間では受け止められているかも知れません。

正直言うと、僕もサスペンス・ドラマでの悪女しか知らなかった時期に
松尾嘉代に対して抱いたイメージは、「やや品のない女優」という偏見でした。

しかし多くの作品を見ていくと、松尾嘉代が非常に教養のある
女優であったことが分かってきました。

たとえば、TBS『ザ・サスペンス』で放送された『処女が見た』(1984年)。
尼僧に扮した嘉代さんが、胸をあらわにしながら伊藤かずえと官能的な
同性愛シーンを演じたり、尼寺で男に陵辱される場面を演じたりといった
表層的な官能シーンがもっぱら取りざたされるドラマです。

しかしこの作品では、嘉代さん演じる尼僧が信仰心と女心とのあいだで
揺れ動くさまを繊細な演技で演じており、非常に風格のあるドラマでした。

とりわけ尼僧を演じる嘉代さんが、非行少女に向ける慈愛と威厳にみちた言葉と
燃え上がる女心を抑えられない苦悩を、人知れず日記に綴るシーンでの
モノローグは、高い教養と品格を持った尼僧の言葉遣いそのものでした。
演じている女優に教養と品格がなければ、あんな言葉遣いはできないでしょう。

素質から言えばそれこそ上に名前を挙げた同世代の女優たちのように
文芸女優としてのキャリアを築くこともできたはずです。
そんな松尾嘉代がなぜB級サスペンス専門女優の道や、ヌード写真集出版
といった方向性に進んだのか……。

僕の考えでは、それは嘉代さんが、「芸術家」としての女優ではなく
「エンターテイナー」を志向していたからなのではないかと思うのです。

嘉代さんが80年代にタモリ、明石家さんまと共に出演したバラエティ番組
『今夜は最高』の映像を見ました。華やかな衣装に身を包んでミュージカルの
歌曲を高らかに歌う嘉代さん。その姿を見て、僕は彼女が「芸術家」よりも
「エンターテイナー」を志向し、その結果としてたどり着いたのが
「サスペンス・ドラマ」や「ヘアヌード」だったのではないか……
そんなことを思いました。


和製「ジャッロ」の女王として…

松尾嘉代という女優はジャッロという、60~70年代イタリアの
サスペンス映画に出演した女優に通じる魅力があると思います。

イタリアでは1970年前後に、ジャッロと呼ばれる猟奇的で官能的な
スリラー映画が流行しましたが、そうした映画ではややトウの立った
中堅の美人女優が、色気たっぷりにセクシーな濡れ場を演じたり
脅迫されるマダムのようなビッチな妖婦を貫禄充分に演じたりしました。

キャロル・ベイカー、エドウィージュ・フェネシュ、マリザ・メル、
スーザン・スコット、クローディーヌ・オージェ、バーバラ・ブーシェ、
シルヴァ・コシナ、アニータ・ストリンドベルイ、ジェニファー・オニール……

これらの肉感的な色気のある女優が、色気を振りまきながら殺されていくのが
60~70年代イタリア製サスペンス映画における最大の見所でしたが
松尾嘉代という女優の色気と存在感は、まさにこうしたジャッロを
裸体と鮮血で彩ったディーヴァたちに通じるものがありました。


松尾嘉代、ある女優の履歴書

松尾嘉代さんは、1943年3月17日生まれ。
女子高在学中に日活の公募に応募して認められ、16歳で日活に入社。
今村昌平監督の『にあんちゃん』(1959年)で女優デビューしました。

吉永小百合より2つ年上ですが、小百合より芸能界入りが遅れたため
デビュー当初の60年代は小百合主演の映画でたびたび助演をつとめました。
当時はポスト吉永小百合的な清純派の女優として売り出されたようです。

しかし清純派として売り出されながらも、松尾嘉代が望んでいたのは
男を翻弄する妖婦を演じたいという夢でした。

松尾嘉代は、10代の時期に(何故かは詳細が不明だが)ストリップ劇場を
のぞき見したそうです。生まれて初めて目にしたストリップ・ショーは
思春期の嘉代さんにとってカルチャーショックを与えたそうです。
しかしそれは不快なものではなかったとのことです。

幼い松尾嘉代は「うわー! いいなー! わたしもやりたいなー!」
彼女は男たちの目の前で裸体を晒す踊り子が羨ましいとさえ思い
まだ10代だというのに彼女のスケベ魂は燃えあがったのでした。
そして彼女の将来なりたいものは「女優かストリッパー」になりました。

その後、日活のオーディションを受けて16歳で女優になりました。
清純派として売り出される中で、妖婦女優になるという夢は
諦めていませんでした。

デビュー当初はポスト小百合としての清純派女優として期待されていましたが
1964年に鈴木清順監督の『肉体の門』(1964年)に出演したことが転機となります。
21歳の若さにして、『肉体の門』での嘉代さんは匂うような官能的な色気を
発揮しており、ただの美人女優ではないということを強く印象づけました。

1968年には『積木の箱』(1968年)に出演し、年若いながらも妖婦(ヴァンプ)
としての魔性の色気をふりまく女を演じて話題を呼びました。

1970年には『幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形』(1970年)に出演。
失踪した兄を探すヒロインという役柄は、のちのサスペンス・ドラマにおける
女探偵的な役柄の原点とも見ることが出来て興味深いですね。
松尾嘉代とともに行動する中尾彬も、後にサスペンス・ドラマの常連となります。

ちなみにその年、後の『火曜サスペンス劇場』の露払いとなった連続ドラマ枠
『火曜日の女』シリーズ『恋の罠』(1970年)でサスペンス・ドラマにデビュー。
自殺した姉の死の真相を調べるため、姉が勤めていた会社に入社する嘉代さん。
そして……。衝撃的なラスト、余韻を残す幕切れが印象深い名作ドラマです。

同年に主演した映画『幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形』に共通する役であり
70年代のサスペンス系での嘉代さんは、悪女よりもこうした素人探偵的な
役柄がけっこう多いです。『血を吸う人形』が「カルト映画」として根強い
人気を得たために、嘉代さんを同様の素人探偵的な役で起用したがる
傾向が映画・テレビ界で多かったのではないかと想像します。
(ちなみに『恋の罠』の演出は『血を吸う人形』と同じ山本廸夫監督でした。)

続いて『火曜日の女』シリーズでは『黒いオパール』(1972年)にも主演。
ボワロ&ナルスジャックの『悪魔のような女』をドラマ化…というより厳密には
H・G・クルーゾー監督の映画版『悪魔のような女』(1955年)のリメイクでした。

嘉代さんでリメイクと言うことは、嘉代さんはシモーヌ・シニョレ?と
思うでしょうが、この頃の嘉代さんはまだ悪女女優としては定着する以前。
『黒いオパール』での嘉代さんは映画でヴェラ・クルーゾーが演じた役柄です。
シモーヌ・シニョレの役柄は鳳八千代が演じました。


テレビドラマ女優への進出
松尾嘉代

1964年に日活を退社して、TBSに入社。この時期はテレビドラマを
中心に活躍したということもあって、60年代後半からは映画よりも
ドラマへの出演が増えていました。

1969年にはTBSを退社しますが、その後もテレビでの活躍は続きます。
とくに『パパと呼ばないで』(1972年)、『赤い激流』(1977年)、
『赤い激突』(1978年)では、脇役ながら鮮烈な印象を与えました。
中でも、松尾嘉代と言えば『パパと呼ばないで』の園子お姉ちゃん
として知っている人が多いようです。

1970年代頭には、先述のように『火曜日の女』シリーズでの
ヒロイン役も演じて、サスペンス・ドラマ女優としての素質を
開花させていました。

また、TBSを退社した1969年には、フジテレビで製作されたドラマ
『ジキルとハイド』(1969年製作、1973年放送)で、丹波哲郎が
演じた主人公・慈木留(ジキル)博士の妻・美奈を演じました。
このドラマは当時としては衝撃的な作品としてお蔵入りとなり
製作の1969年から4年経った1973年にようやく放送されました。

松尾嘉代の役柄は後のサスペンス・ドラマの悪女役とは異なる
清純派を引きずったヒロイン役で、ヌードも発狂の場もないので
松尾嘉代マニアには物足りないかもしれません。
しかし、この作品で共演した丹波哲郎は、松尾嘉代を女優として
高く評価。後年(1974年)、嘉代さんは丹波プロに入社します。

また、『ジキルとハイド』の演出を手掛けた五社英雄も松尾嘉代を
高く評価し、後に彼が監督する映画『闇の狩人』(1979年)において
松尾嘉代を女殺し屋の役に起用。嘉代さんの悪女女優としての魅力を
最大限に引き出すことになるのでした。


私生活での「女傑」ぶりと、闘病からの復帰

1970年代半ば。30歳を迎えた時期に、彼女はひとつの大きな転機を
迎えていました。

1974年。丹波哲郎の誘いで丹波プロに入社した年。
嘉代さんは結核にかかり、3年間の闘病生活を送ったのです。
30歳前後という大事な節目の時期に、3年間の空白は痛かったでしょう。

一方で私生活では、財界に君臨したホテル王・金井寛人(1897-1977)の
愛人だったと言われています。嘉代さんは44歳も年上の金井が経営する
ホテルの役員に名を連ねていました。

若い嘉代さんは父親ほど年の離れた金井の目を盗んで、男子学生と
火遊びをするのが週刊誌に報じられるなど、まさに妖婦を地で行く
ような生活を送っていました。

1974年の結核によって、彼女の生活は一時的に激変したかのように
思われたのですが、結核が完治すると、嘉代さんは以前のスケベ心が
再発して、男を弄ぶ小悪魔に戻ったようです。良かった良かった。

1977年に金井が80歳で死去。金井の死の直前に、これまた財界の怪物・
小佐野“記憶にございません”賢治が、金井が経営権を独占する
帝国ホテルの乗っ取りを画策し、見事に野望を達成しました。
帝国ホテル乗っ取りにスケベ心を燃やしたのが「記憶にございません」の
翌年だったのだから、つくづくしぶといというか、タヌキ親父ですね。

一説によると小佐野による帝国ホテルの経営権支配のために
裏で嘉代さんが乗っ取り計略に加担したと伝えられています。

どうやらロッキード事件でも動いた児玉某が、病床の金井を脅迫した為
金井は死を目前にして、嘉代さんとの愛人関係に終止符を打つことを決断。
金井から嘉代さんへの手切れ金として、帝国ホテルのすべての持ち株が
渡されました。

しかし、嘉代さんに渡された帝国ホテル株が丸ごと小佐野へと渡され、
(計画された)漁夫の利で「記憶にございません」男が帝国ホテルの
新たな王になったのでした。この辺の経緯、80年代に嘉代さんが演じた
サスペンス・ドラマの女実業家役を彷彿とさせて興味津々です。

まあ、嘉代さんにとって44歳も年上だった金井への強い愛着や
忠誠心なんて、あんまり無かったんでしょう。
なにせ30歳前後の嘉代さんに対して、金井は70代後半でしたからね。
金井の存命中から嘉代さんは若い男と派手に遊んでたみたいだし。
そもそも当の金井自身、帝国ホテルは乗っ取りによって得た資産でした。

(蛇足ながら『パパと呼ばないで』で嘉代さんと共演した石立鉄男は現在
かつて小佐野賢治の愛人だったという女性と内縁関係だとか。あらあら。)


ちなみに憶測ですが…。
1974年、丹波プロへの入社。その直後、結核による女優休業。
そして1977年。愛人・金井寛人の死去と、小佐野賢治による帝国ホテル
乗っ取り。直後に嘉代さん女優復帰。

公式に伝えられる「嘉代さんが結核にかかったために1974~77年の3年間
は闘病のために女優休業」って、なんだか信用できなくないですか?

どうも1974年に「記憶にございません」小佐野が、金井からはホテルも
愛人も奪うつもりで、嘉代さんに接近して来たんじゃないか。
それを見て危ないと感じた丹波哲郎が、嘉代さんに助け舟を出すかたちで
秘密裏に小佐野と交渉しながら、「病気療養」名目で嘉代さんを表舞台から
隠して守ったんじゃないかと思えてならないんですが。


『赤いシリーズ』『闇の狩人』…美人女優とヴァンプ女優という二つの顔

1977年。
パトロンの金井……良く言えば経済面で嘉代さんを援助してきた恩人、
悪く言えば金で縛りつけて性のはけ口としてきた老人が亡くなった年。

嘉代さんは、表向きは結核からの快復として、芸能界に復帰します。
カムバックの際、嘉代さんに『赤い激流』での弓子役という大きな役が
用意されていたのは、ひとえに彼女を高く評価していた丹波哲郎の
働きかけが大きかったと言われています。

復帰後の嘉代さんは特にこの人気ドラマ『赤い激流』と、翌年の
『赤い激突』によって、国民に広く親しまれるのでした。

1970年代後半は、テレビでは主に『赤いシリーズ』での美貌の中年夫人の
印象が強く、ドラマで悪女の役を配役される機会は来ていなかったようです。
しかし一方で、映画において凄みのある毒婦を演じて、鮮烈な印象を
刻み込んでいます。

五社英雄監督の『闇の狩人』(1979年)での、女殺し屋・お蓮。
ヒロインではなく脇役の一人ながら、松尾嘉代の演技は作品のすべてを
支配するような重厚感と迫力に満ちたものです。

松尾嘉代が『闇の狩人』で示した妖婦の演技は、80年代になると
サスペンス・ドラマにおいて、狂気さえ感じさせる怪演として
発展してゆくことになります。

また、1978年にはフジテレビで草野唯雄の名作ミステリを連続ドラマ化した
『もう一人の乗客』(1978年)※注1にも出演しています。
この作品での嘉代さんは、殺人容疑をかけられたヒロイン・島田陽子の疑いを
晴らすべく真犯人を追ううちに失踪する姉の役。まさに『血を吸う人形』を
踏まえたような役柄です。

キャストはヒロインの島田、助演の嘉代さん始め、江守徹、三橋達也、
沖雅也という超豪華なオールスター・キャストですが、残念ながら
ドラマとしての完成度は低調との噂です※注2

同じ1978年、毎日放送の人気ドラマ『横溝正史シリーズ』第2シーズンの
初めを飾る『八つ墓村』(1978年)にも出演しました。
しかしヒロイン・森美也子ではありません。
森美也子役は当時、怪奇・ミステリー系の映画・ドラマで独特の存在感を
発揮していた鰐淵晴子が配役され、嘉代さんは悪女ではない春代の役でした。

当時、鰐淵は既にいくつものミステリー系ドラマでヒロインを演じていたため
美也子の役にピッタリな配役だったことは認めます。しかしそれにしても
嘉代さんの美也子役も見てみたかったと思わざるを得ません。


77年の復帰後は『赤いシリーズ』のヒットで女優としての評価と
知名度を得た嘉代さんですが、やはり帝国ホテル乗っ取りの騒動が
響いたのか、3年間のキャリアの空白のせいか、主役級の女優というより
主演俳優を支える二番手三番手に甘んじることが多くなっていました。
特に女優は30代になると、若い女優に主演の座を奪われてしまう傾向が
あるということも拍車をかけたのでしょう。

そうした厳しい時期において、松尾嘉代がスター級の女優としての
地位を確立したのは、テレビの2時間ドラマのサスペンス物でした。

※注1・注2(蛇足ながら草野唯雄の『もう一人の乗客』は推理小説の名作でありオススメです。
また、フジの連ドラは失敗作だったとの評判ですが、後にTBSの『ザ・サスペンス』で
『もう一人の乗客 恐山から下北の海へ… 美貌の姉妹にレ○プの罠が!!』(1982年)
として2時間ドラマ化。こちらの『ザ・サスペンス』版は、鎌田敏夫による秀逸な
脚本を得た映画並みの完成度による傑作です。出演は竹下景子、大場久美子。)



2時間サスペンス・ドラマへの進出


1977年にテレビ朝日で『土曜ワイド劇場』が放送を開始。
今の2時間ドラマとは違って、アメリカで精力的に製作されていた
「テレビ映画」というシステムを日本に持ち込む試みが行われており
製作される作品は映画並の技術と人材が投じられる野心的なものでした。

とりわけアメリカの『刑事コロンボ』などを意識して、サスペンス・
ミステリー系のテレビ映画が頻繁に製作されていました。


松尾嘉代の『土曜ワイド劇場』デビューは1977年のスポ根ドラマ
『いのちある限り 燃えろ!熱球』(1977年)です。
タイトルから分かる通りに、このドラマは土ワイがまだサスペンス
専門の枠になる以前の作品。また、松尾嘉代も小さな役柄でした。

1978年に夏樹静子の短編小説をドラマ化した(この頃の土ワイは90分枠)
『波の告発 新婚旅行殺人事件』(1978年)に出演。ただしこの作品での
嘉代さんは、まだ脇役でした。嘉代さんが演じてもおかしくない
疑惑の未亡人役は音無美紀子です。

翌年、日下圭介の乱歩賞受賞作を石井輝男が土ワイで演出した
『蝶たちは今… 冥土からの手紙 死者からの電話』(1979年)に
嘉代さんは脇役で出演します。
このドラマでは、主人公の悪女を演じたのは樋口可南子でした。

この作品で冷徹な殺人を繰り返す悪女・美栄子の役は、樋口可南子でも
もちろん素晴らしいと思いますが、何といっても松尾嘉代が演じるに
ふさわしい役だった筈です(しかも、演出が石井輝男!)。
しかし、この頃は嘉代さんにとって、まだ期が熟していなかったようです。

この頃の嘉代さんはまだ、サスペンス・ドラマのヒロインを演じるには
至りませんでした。しかし翌年の1980年には『土曜ワイド劇場』において
主役に抜擢されることとなります。


ヴァンプ女優から「サスペンスの女王」へ

1980年。松尾嘉代は『土曜ワイド劇場』での斎藤栄原作のドラマ
『35年目の亡霊 学童疎開殺人事件』(1980年)に主演します。
国会議員が戦時中に行った幼女暴行事件に端を発する猟奇的な
連続殺人事件を、松尾嘉代演じる素人探偵が追うという筋でした。

このドラマでの松尾嘉代は、役柄としては『もう一人の乗客』と同様に
『血を吸う人形』の延長線上にある素人探偵でしたが、この作品では
長門裕之との濃厚な性描写を熱演したことで強烈なインパクトを与えました。
そのあまりにエロティックな官能シーンが現在でも話題になっています。

そして1年後には『土曜ワイド劇場』屈指の名作として名高い
『昭和7年の血縁殺人鬼 呪われた流氷』(1981年)に出演。
戦前の日本で横溝正史に先駆けて本格推理小説の可能性を切り開いた
浜尾四郎の代表作『鉄鎖殺人事件』の唯一にして完璧な映像化でした。

このドラマで松尾嘉代は、美貌の下に冷血な本性を隠した
若宮夫人を熱演…いやむしろ怪演に近い圧倒的な演技を見せました。
氷のように冷ややかで残酷な悪女を演じた松尾嘉代の名演は
放送当時、視聴者に強烈なインパクトを残したと伝えられます。

その年にはもう一本、書下ろしシナリオの土ワイ・サスペンス物に主演。
『結婚しない女医 沈黙の目撃者 ラブホテル殺人事件』(1981年)は
内容はよく分からないのですが「ラブホテルで殺された銀行勤めのOLの
恐喝人生から、大学助教授夫妻の秘密が明るみになる。」ということです。

この年に嘉代さんは、テレ朝製作の1時間枠シリーズ『ドラマ・人間』の
『新宿ラブホテル殺人事件・発見された秘密メモ…』(1981年)に出演。
実際の事件を元にした1時間枠のドラマで、嘉代さんは秘密と孤独を抱えた
殺人事件の被害者役を熱演して、視聴者に強い印象を残しました。

『新宿ラブホテル殺人事件』での嘉代さんの演技を見た人によると
「あんまり同情されない被害者なんだけど、彼女の隠された寂しさとか
悲しさをちらっと感じさせる演技がすごくよかった」と言われています。
「TVガイドの紹介文の見出し「女の業と悲運な生涯」、嘉代さんが
表現していたのは正しくそれだった」との評判です。

推測するにこの作品を土ワイ用にアレンジしたのが、先述の『結婚しない女医』
だったのではないでしょうか?ちょっと情報が少なすぎるので断言できませんが。


翌年の1982年から、松尾嘉代は『土曜ワイド劇場』において
主役級の女優として数多くのサスペンス・ドラマに起用されて行きます。

江戸川乱歩が絶賛し「奇妙な味」という言葉を作り出すきっかけとなった
ヒュー・ウォルポールによる短編恐怖小説『銀の仮面』を土ワイでドラマ化した
『銀の仮面 魅せられた完全犯罪』(1982年)では、財産乗っ取りの
罠にはめられる女富豪を熱演して視聴者をドラマに釘付けにしました。

パトリック・クェンティン原作の『妻と愛人の決闘 アリバイ証明』(1982年)
では、『銀の仮面』に引き続いて殺人事件に巻き込まれる女富豪を演じ
「愛の本質を問う」名演技を披露したと伝えられています。


つづく

※後編では『土曜ワイド劇場』の『エアロビクス殺人事件』や
嘉代さまの定番「女たちの闘いシリーズ」などから語ります。
5月25日に公開予定。