田辺元「死の哲学」より
「メメントモリ」 今朝の新聞で聞きなれない言葉に目が留まった。
何のことじゃい? オノパトペ・・・いや哲学の言葉らしい。
ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句。
日本では死生観という言葉が使われている。
死は誰もが経験するはずなのに、実際に経験した人はこの世界に誰もいない。
さまざまな宗教がそれぞれ異なった来世観を説くが、どれも証明は出来ない。
自分の死は「死んだらゴミ」と言い放つ人も、身内の者が亡くなったら、
ゴミなどとは思えないだろう。生き残った者は深い負い目を負う。
この世の者、死者と何らかの関係を持たない人はいない。
死者はある時には生者を責め、ある時には励ます。
そうとすれば、自分が死んだらどうなるか、という以前に、
死者とどのように関わるか、ということが問題になる。
自己は死んでも、愛によって結ばれた死者は生者の中に復活して、生者を導く。
そこに「実存協同」が生まれる。
それは私たちの日常でごく普通に起こることである。
多くの哲学者たちはそれを見過ごしてきた。
それに気づいた田辺が仏教に向かい苦闘の末理論化したのが「実存協同」
大乗仏教の菩薩は死後もなお生者の中に復活して、衆生済度の愛に生き続ける。
菩薩によって導かれた人は、今度は自ら菩薩として次に来る人を導く。
そこに菩薩の「実存協同」の鎖が作られていく。
はなから難しい哲学が、何となく解るような気がする。
