ドライブや温泉旅行は必ず妻と2人で行っていた。

どこへ行くのも2人ね、と皆に冷やかされていた。

でも1人で時間を潰したり、写真の撮影行なども1人のほうが気楽なこともあった。

ひとりで過ごすのも悪くはないなと思っていた。

   

だが

いざ妻の居ない暮らしは別であった。

写真を撮ったり絵手紙を描いても、料理を作っても・・・

妻が笑顔で褒めてくれた。

褒めてくれることを期待していた、子供のようにそれがなにより嬉しかった。

   

他人に対しても、我が夫を褒める始末であった。

お手伝いをしてくれるとか、こんなこともあんなことも優しいのよ、とか・・

妻は私に対して実に褒め上手、おだて上手であった。

それを励みに色々とやっていたところがあった。

 

私は逆であった。

うちの愚妻が・・というスタンスであった。

私の友人を招き、妻が時間をかけて作った料理も、

「こんなものでよかったらどうぞ」

などと、余り褒めてやったことが無かったなあ・・今になって懺悔している。

本心は褒めて感謝しても足りない、誰よりも自慢だったのだよ。

   

それが無くなった。

この喪失感、1人暮らしの空しさは何だろう・・・

 

妻の居ない生活で長生きはごめんだと思っている。

たとえ元気であっても、80歳(それは断じてないが)まで

生きるなんてことは金輪際まっぴらである。

 

恐らく自分は、ホルモン治療が効く後2,3年の余命と読んでいる。

子供達にもそう言ってある。

そんなバカな と否定されているが・・・。

   

かといって寿命を縮めようなどというのではない、生かされるだけは生きていく。

最後に痛みだけは取ってほしいと願っている。それでよしと思う。

妻が待っていてくれることだし、私はいつ逝ってもいいのだ。

 

 

負け惜しみではない。

長生きは自身にとっても、子供達にとっても

ひいては国家にとっても若者にとっても負担が掛かるばかりである。

決して国の財政や自民党に協力するわけではないが、

ますます進む高齢化社会、社会保障とりわけ老人福祉の負担はうなぎのぼりである。

稀に見る長寿者は別として、有り余る老人は歓迎されざる社会になっていくだろう。

ちょっと自虐的になった・・・

   

   

それにしても

西川社長さんて、お年はいくつなんだろうね。

あれだけボロかすに言われながら、あの御歳で何故あんなしんどい社長業にしがみ付いているのだろうね。

私なら?「好きでやっているんじゃねえ、頼まれたからやってるんじゃねえか!」

って、とうの昔にけつまくっているところ・・・

ご老体に鞭打っての責任感だけではないでしょう。

やっぱり巨大企業の社長って、すごい快感があるのでしょうか。

 

何だか取り止めもなく長文駄文になってしまいました。

暇なもので・・・