妻は両親(養父母)の仏壇を守ってきたが、私といえば盆、彼岸の墓参りこそすれ日常の供養はおろそかだった。

その私に将来負担をかけまいと、妻は両親の位牌を菩提寺で永代供養してもらった。

去年の秋、外泊の際に手を取ってその仏壇マンションのような位牌堂に連れて行った。

安置された位牌を拝んで、妻はホッと安堵していた。

 

 

そんな自分が、妻の仏壇には毎朝 ご飯とお茶を備え、花や水も忘れず取り替えている。

朝な夕なに明かりを灯しては線香と合掌を欠かさない。

妻が望んでいたように、川原や庭の小さな草花を挿し、初物などはまず供えてから頂く。

「おはよう」とか「出かけてくるからね」「おやすみ」などと声をかけている自分がいる。

今でももっとも身近な存在として常にそこにいるとの思いがする。

 

0807211 心が繋がっていればこそ、遺体も骨壷も仏壇も身近であり怖くないのである。

たとえ幽霊になって出ても、恐らく怖くないのだろうなと馬鹿なことを思ったりする。

一年間入院し別居していた。

まだその続きで、また週末には帰ってくるような錯覚、死別という不条理をまだ本当に受け入れられていないような気がする。

 

暫くはまだこんな錯覚のような、喪失感が続くのかもしれない。