一方で、仕事以外でも彼女は休むことを知らない人であった。
これぞと思うことには徹底して取り組んだ。
骨董じゃなくてアンティークよ と彼女は言うが、20年にわたって好みの陶磁器を集め歩いていた。
私には価値がわからないが、決して高価なものではない一昔前の生活雑器である。
藍色のどんぶりや大皿が好きで、次第に古い家具や雑器が並ぶ部屋になっていった。
この趣味は私もさして嫌いではなくて、今もその部屋に居ると気分が落ち着く。
「私は底物だけど、お母さんはハマチかカツオのようだねえ、じっとしていると死んでしまうだろうよ」と私は度々揶揄していた。
それほど休むことを知らない、ゆっくりテレビなど見ていることがなかった。
常に何かして動いていたが、私がテレビばかり見ていても何ひとつ文句は言わなかった。
「私はお父さんと違い、人付き合いや動くことが好きなだけよ。その代わり、私のやれないことを何でもお父さんがやってくれる。それで夫婦はうまく行っているのよ」
そう言えば、切れた蛍光灯を換えることも、ビデオを操作することも出来なかったなあ。
もっともビデオなどは彼女には不必要だったが・・・。
確定申告やパソコンで資料作りを頼まれたりと、役割を持たせ救ってくれていた。のかな?
夜間のバドミントンクラブやテニススクールに通い、熟年テニスクラブも楽しんでいた。
ウォーキングも私がやめた後も欠かさず続けていた。
その度に友人を作り増えていき、患者さんを含め、友人知己が多かった。
とにかく元気だけは誰にも負けないね、と自他共に認めていたものである。
また季節ごとに梅酒、どくだみ茶、桜茶、その他ありとあらゆる物を試作していた。
土筆や柑橘皮のピール、山菜料理、季節の草花を飾っては友達を呼んで、これらの手料理を振舞っていた。
四交会があるといえば前夜から料理の下こしらえをし、驚くべき品数の料理を一人で作っていた。お茶会の料理を頼まれては楽しんで作っていたこともあった。
とにかく人を招き、ご馳走し喜んでもらうことがこの上なく喜びのように見えた。
とまあ、誰しも思い起こせば一人ひとり歴史があり、
多分女性にはこんな人が他にも一杯いるに違いないと思う。
ただ、私には過ぎた女房であった、妻が居てこそ私があった。そのことである。
妻が倒れてこの一年、子供達には心痛をかけた。
痛いほどに両親の心配をして毎日のように電話をしてきてくれた。
病床の妻は
「あの頃忙しくて、人並みにかまってやれなかったけれど、子育ては間違っていなかったよね、お父さん」と何度も言っていた。
2人の子供がそれぞれに似つかわしい人と一緒になったことにも安心していた。
私が定年退職して5年、そろそろ悠々自適で行こうよ、と促して妻にも退職させた。
「これからはお父さんの旅行やドライブに いくらでも付き合ってあげるからね」
そんなことを言っていた矢先であった。
