大学時代に履修した科目『放送論』


SNSを見ていて久しぶりにその授業を思い出した。


同じ物事に対して発信の仕方が違えばこんなにも印象が変わるという、とある事件を実例にしたものだった。


その時まで物事の真実を一つと思い込むことの危うさを知らなかった(意識したことがなかった)視野の狭い人だったので、かなり衝撃的だった。


大々的に大手メディアが取り上げて報道していることでも、こんなに受け止める個人の感情を左右するんだ、印象を変えてしまうんだ、と。


それを意識するようになれたこと、この講義に出会えたこと、とても幸運だったと思う。


SNS全盛となり、大手の報道(偏っているにせよ、複数人の目を経ている)ではない個人の感情が自由に発信される今、そのことをしっかりと心に留めておきたいなと、思った次第。


フォローという名の、自分と同じ傾向や自分と同じ興味関心のあるところだけから個人の感情のままに発信される情報を受け取ることが出来るSNS。


便利だし楽しいし、自分の感情を人に発信する満足感も得られ、共感をもらえることで自己肯定感の元ともなる。


それは別の角度から見れば、自分の感情に沿う情報だけを自分の感情に合わせて増幅して再発信していることとも捉えられる訳で。


そして発信内容が不満である場合、伝わっていくうちに怒りや悲しみという多くの人の感情を前面に押し出しながら、憶測を含んで情報は変化して行く、それぞれの発信者も気づかないうちに。


私はそれを怖いな、と思う。


大学時代の講義を思い出しながら思った。


SNSに振り回されず、さまざまな状況と情報と意見を知って人を非難せずに自分は自分で行動して行けるといいなあ、と。