よく責任という言葉を聞く。

 

何かあるたびに自己責任だとか、責任感がないだとか。今になると首相に責任をとって辞任しろ、だとか。

この責任という言葉は結構重くのしかかる。見えないのに強大なプレッシャーをかけてくるし、それを意識してノイローゼを感じてしまうことも少なくない。

この責任という言葉だが、どうやら英語の責任にあたる言葉である[responsibility]とはどうやら捉え方が違うらしい。

 

 

 

責任の「責」の成り立ちをみてみると次のようになる。

 

 


会意兼形声文字です(もと、朿+)。「とげ」の象形(とげの意味だが、

ここでは「せめる」の意味)と「子安貝(貨幣)」の象形から、「金品を

責め求める
」を意味する「責」という漢字が成り立ちました。

https://okjiten.jp/kanji807.html より)

 

一方の英語のresponsibilityは「応答する」が語源である。

 

 

つまり日本的な責任の取り方は損害を賠償することにあると思う。一方で英語の責任の取り方はその問題に応えることであると思う。

 

ここに日本的な責任の取り方の苦しさとそれに伴い責任を押しつけることの気楽さが見えてくるように思う。

 

日本的な責任は要するに弁償することである。

 

しかし、この弁償は「金で済むと思っているのか」に代表されるように金銭的なものだけではなく、心理的な側面も含まれているように思う。

 

心理的な弁償とは何か。

 

それはサンドバッグになることである。

 

責任を追及するさいに必要以上に追い立てたり関係ないことを持ち出す人も多い。しかも、それに対して説明をしたら「口答えするな」と反論を赦さない。さらには英語の責任にあたる「応答」を否定までしてまで責任の追及をしている。

 

そこまでする目的はなにか?

 

この怒りの感情を受け入れて私の心を弁償してほしい、という事である。責任という言葉に付随してくる言葉は「おこられる」ということもこの点を示しているように思う。

 

だから口答えが赦されない。サンドバッグはしゃべらない。

 

さらにいやらしい人になるとまずは対象の人物の愚痴を広めて怒れる雰囲気を醸成する。最初に我慢しているアピールをして相手の様子をうかがう。ここで気がついて対処すれば気のつくやつと思われる。

 

それでも直らなければまずはその人の気が済むまで対象の人物を感情を発散するサンドバッグにする。そうする権利があるからだ。このサンドバッグを我慢すればその人はようやくすっきりして対話可能な人物となり、こちらも英語の責任にあたるresponsibilityの「応答」ができるようになる。そして問題解決にむかう。

 

そこで喧嘩してしまえばそれまでである。あとは直接言わない陰口という手段で対象を気づかないうちに攻撃し、孤立させていく。これもサンドバッグにして相手に責任をとらせている。

 

陰口をきく方は言われる存在によほどの思い入れがない限りかばわないし、かばうような人物にそもそも陰口なんて言わないであろう。

 

そして誰がサンドバッグになるかこの集団で決定したとき、怒られる人以外の「みんな」のサンドバッグになるのである。

 

多少の欠点で他の人の方がその欠点が大きかったり、自分にもその欠点があるのにその人だけが怒られ感情のサンドバッグの対象となる。殴る方は自分がサンドバッグにならなくて安心できるし、殴るのは単純に楽しい。

 

けれど殴られる方はたまったものではない。

 

本人の目の前で言ったり顔にだしていなくても空気には現れるし、その空気は感じることはそう難しくない。その空気にやられてしまう。

 

だからこそやっかいである