CAMPER とのコラボのこと その2
2020年の3月14日
私は最終サンプル確認のためにスペインのマヨルカ島にいました。
ちょうどその頃、欧州にコロナウィルスが本格的に広まっていった頃でした。
そんな時に不謹慎、と思われるかもしれないのですが、私が出発した3月初頭は欧州のコロナ感染状況はそれほどでは無く、むしろアジア諸国の事情が深刻でしたので、先方が問題無ければ打ち合わせしようという状況だったのです。
とはいえ成田空港も飛行機もガラガラ、最初に入国したヘルシンキの空港もガラガラであっという間に入国。
その頃のヘルシンキの街はコロナのコの字もなく平和そのものでしたが、私がバルセロナへ移動した後は外出制限、欧州間の飛行機移動に制限がかかりました。
ヘルシンキの知人から「大丈夫だった?移動できた?」と、メールをもらったほど。
日に日に状況は悪化して行き、私がバルセロナに入る頃にはパンデミックの中心は欧州に移ったという状況でした。
この時点ではバルセロナはまだ辛うじて日常だった。
バルセロナで泊まったのはカンペールが運営する ホテルCASA CAMPER 。
その部屋でテレビをつければ毎晩COVID19の話題で持ちきり。
スペイン語だから何を言ってるかは全然分からなかったけど、緊迫感だけはひしひしと伝わって来た。
普通だったらこのハンモックでリラックス出来たのになあ。
ホテルCASA CAMPERではベットルーム以外に廊下を挟んでもう一部屋あって、そこにハンモック!超オススメ!
私がバルセロナを後にした直後、サグラダファミリアなどの観光施設が全て閉鎖されたのでした。
最後の目的地であるマヨルカに着いたのは真夜中。
深夜の人っ子ひとりいないマドリード空港で乗り換えてやって来た欧州有数のリゾート地でもあるマヨルカ。
いつもは夜中でも観光客で賑わっているのであろうビーチ沿いのホテルに一人ポツリとチェックイン。
ホテルのベランダに出たら真っ暗な夜の帳の向こうにヤシの並木道が見え、波の音が絶え間なく聞こえてきました。
「打ち合わせ、出来るんだろうか?」
なんとか持ちこたえて欲しいという不安の気持ちと打ち合わせへの期待と高揚感。両方がごちゃ混ぜになった気持ちに長旅の疲労が加わって、その日はいつの間にか服のままベットで寝落ちしていました。
マヨルカ初日。昨晩暗闇に包まれていた窓からの景色は海!リゾート!
出張でこんなところ泊まったのは初めて。や、プライベートでも。
深刻な社会情勢だということを忘れちゃいそうな景色に頭がクラクラしました。
「こんなところで仕事のメールをチェックしている私って!」みたいな、妙なテンション。
日本から来た担当のSさんと合流して(本当に!よく来てくれた!涙。)まずはカバンのミーティングへ。
担当デザイナーが小さなお子さんを子育て中で在宅勤務をしているという事で、女性デザイナー宅へ向かう。
日本でもこのコロナ禍で在宅勤務が普通になりましたが、この段階ではまだまだ一般的とは言えなかったし、デザインミーティングをインハウスデザイナーの自宅でというのは経験がなかったので興味津々でお邪魔しました。
いや、良い意味で、本当に良い意味ですごくショックで、そしてすごく自由でした。
日本では考えられないけどこんな風に仕事ができたら色々なことが変わるなーと思いました。
でもこういうのはまだまだ先の話なんだろうなと その時は思ったけれど、このコロナで在宅勤務が増えている中、日本も色々な事がどんどん変わっていく可能性はあるな、そうなって欲しいなと思います。
話をしていて一番驚いたのは、彼女が何故カンペールに就職したかという話。
彼女はドイツ人で、スペインにもマヨルカにも何も縁がないのだけど、就職先を探している時に良い会社だと思ってエントリーしたと。
曰く、デザイナーが職を探すときは自国だけではなく、EU圏で探すのが普通らしいのです。
何というか、東の果ての島国で生きている我々とは考え方も価値観も全くスケールが異なり、果てしない気持ちになってしまった。
日本の奈良県と同じくらいの面積のマヨルカの小さな街を高台から見ながら色んな事が頭を駆け巡りました。
夜は子供も一緒にみんなで食事へ。
泣いたり笑ったりする子供を眺め、ピーマンみたいな唐辛子の素揚げを食べ、スペインの美味しいワインに頭がクラクラ。
もっともっと、本当にもっともっと頑張らないと、色々な事に置いてけぼりになってしまうなあ。
そんな事をぼんやりと、そして痛切に感じたマヨルカ初日でした。
つづく