おはようございますニコニコ

なんとかメンタルクリニックの余波も落ち着き、病院もキャンセルしたところで、




前回の追記になりますが、気付いたところ。



病院の医師と私や娘との感覚の大きな違い


ゴール地点が違う


というところ。





娘がゆっくりと先生に聞きました。


「私は、ピアニストを目指しているのですが、ピアノが逃げ込み場所になっていて、10時間とか練習していたのですが、ちょっとでも練習した後は無感情になってしまってなかなか戻らないので、今はそれが辛くて全く弾けていません。

でも、ピアノ好きで夢も叶えたいし、練習もしたい。

でも視野が狭くなってしまうんです…」


と説明したところ、



「あなたがしたかったらしたらいいんじゃない?

どっちを取るかという問題であってね。」



これからわかるように、

治る

を前提にはおいていないんです。



その症状を薬を飲みながら仲良くつきあっていきましょう


なんです。


そして、YouTubeなどでも複雑性PTSDの話をしている人がたくさんいます。

そのコメント欄を見てみると、病院へ通っている人のコメントで治ったとか、今は問題ないという人がほぼいないということ。



でも、海外出版の翻訳本を読むと

「治る」

と書いてあり、実績もあるのです。



医師が元々「治す」ところを目指していないのに、通って治ることはあるのでしょうか。


ないことはないかもしれません。

ですが、稀、ラッキーなこと、ということにもなりませんか。



私からしたら、ゴール地点がそもそも違うところにも行ってわかり合える訳がないと思うんです。



このメンタルクリニックの医師は、娘が

「昔蹴られたりしたところがあちこち身体が痛む」ということを伝え、その痛みが酷いから、どうしたらいいのかという事を相談したら



「それはね、レントゲンでも出ない類いのものでね。

叩かれたりしたところが痛むんですよ。笑

それもね、お薬飲んで様子見てね。」



いや、なんで笑うの、、、。


それに、わかっていますよ。

ちゃんと伝えていますよ、、

蹴られたりしたところが痛むって。


PTSDの症状だってことはわかっていますよ、

だからどうしたら良くなるかを聞いているのに、薬に全振り。


その薬だって娘の話を聞いて最終的に出た薬ではなく、

「まず飲んでみて。」

と、とりあえず出した薬。


どこも同じ、とは言いませんが、ゴール地点が違う時点でわかり合えないのはハッキリしているので、これ以上通っても無駄な時間を過ごすだけ。


これは日本の病院だからなのか、どこの国でも同じで一定数いる医師なのかはわかりかねますが、

、、、


私、中国でも病院へ何回も行った経験がありますが、メンタルクリニックでなくても日本より親切でしたよ、、凝視


病院へ通う時は(メンタルクリニックでは尚更)

目的とゴール地点が合っていないことあるということを気をつけて見極めましょう昇天



では、今日は金曜日!

いい日になりますようにスター