ロマンチストKANEMAが人生の夏休みを綴る日々~365回の思い出話~ -4ページ目

ロマンチストKANEMAが人生の夏休みを綴る日々~365回の思い出話~

大学生活という名の人生の夏休み。青春は1日として待ってくれやしない。今、こうしている間も俺たちは有限の二文字に終われ、焦燥感ともどかしさを感じている。1日1日を思い出深いものにし、一年後には365回の思い出話をしよう。

明日で遂に三科目のスクーリングが終わる。終わるという響きを胸に当てたらやはり寂しいな。

正直面倒くさいなぁという面持ちで開始したものだったからもう少し解放感や達成感があるものかと思ったけれど。いろんな人と出会えて一緒に苦悩して楽しんで、、きっと自分の中でこの経験は濃いものとなるであろうことは現時点で既に察しがついている。








だが今の自分には感傷に浸っている時間などない。終わりあれば始まりもありということで、翌日には科目最終試験が待っているというのだから退屈しない。

全力を出して越えれるか越えられないかの瀬戸際にやっと立てるような壁が次から次へと用意されているもんだから本当に油断がならないんだなぁ。







厳しい壁がそびえたっているようだが進むべき方向は幸いにも見失わずに済んでいるからそんなに不快でない。むしろ生きることへの意義を毎日確認することができて愉快なくらいである。

何もしなかった一日や友人と下らないことばかりをして過ごした日等は、いくらそのときが快楽に満ちていようとも後になって生きることへの焦燥感や、今日という一日の喪失感に苛まれることが多々ある。


今、辛いことを進んでして生きる意義を後に感じるか

今、快楽を追及して生きる意義への疑問を後に感じるか





人生いつだって二者択一なのである。これまでの人生の中で、前者は善、後者は悪であると教育されてきた自分としては、やはり前者のようにして生きることを心がけたいものであるし、実際そちらの方が精神的な観点からみても安定性に優れていると思われるのである。




しかし快楽を追及する心を押さえつける自我の強度には限りがある。それは人間が人間として生まれてきた以上、本能に打ち勝つことなど考えない方がよいというところに起因している。



快楽に負ける日があるというのもまた人間の性であるから、そこに精神的安定性を欠くようなことがあってはならない。そういうものなのだと思って通りすぎる日があってもいいと思うのである。





また頑張ろうと思える、つまり常に前に進んでいけるような精神状態を保持しておくことが重要なのだろうと思う。結果その日が前に進めたか否かは長期的に見ればさほど重要なことでもないのだ。その精神さえ保持できていればいつだって前に進める。



僕らが健康で、明日が必ずくると約束されている以上、精神の起伏に意義を見いだす必要はないのではないだろうか。安定的なそれから常に行動をおこし続けることが、人生における自分自身の成長に役立つのだろうと現時点の自分は考えている。