大塚みどりのイータイホーダイ

大塚みどりのイータイホーダイ

稽古場・道場・舞台・観客席・現場・工房・事務所・盛り場
などに出没します・・・


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夕べ渋谷でレイトショーをみてきた

1年前に舞台でご一緒した俳優さんが出演している「Tohyo Ending」という映画!

よかったわあ!!!


端的にいうと

「モーメント」と「アクション」の映画かな?

アクションてったていわゆるアクションものじゃないのよ・・・




つまりそれは演技者として使う言葉なんだけど・・・

「役の行動」ね


何をしてるのか!

そしてそれはなぜなのか・・・

だれとやってんのか・・・




そういう「役の行動ライン」が、どの役者さんも凄くはっきりしていて・・

だから演技って感じじゃなくて・・・

その人って感じ


生きてる人だから、凄く面白い




そして絶妙なモーメントが一杯あって・・・

思わず笑った、何回も

しかも上質な笑い




センスいいなあって思った。

本と監督、それに役者もつとめた管さんって人のセンス・・・




映像はモノクロ、音楽も良き時代のロック調でノスタルジック・・・

だけどとっても「いまどき」な人たちの物語のオムニバス





えっと!

印象に残ったのは

「痒い人」(金属アレルギーがどんどん出てくる)

かゆみを我慢してるシーンと

猛然と体じゅうをかきまくるシーンのコントラストがとってもおもしろかった。

私も今度ああいう超はっきりしたアクションしてみよっっと!!!




それから

「遺影」だっけな

友達の死を悼む3人組の怖いお兄さんたちの愛の物語(聞いただけでおかしいでしょ?)

私は、4つのストーリーの中で一番好きだった


あの「愛の告白」のモーメント・・・・

堪らないわ

おかしくて

悲しくて・・・





それから

映画の後。出演者挨拶があったのね

その時にでてきた女優さんが

とっても静かなおとなしそうな繊細な女性らしい丁寧なイメージだったんだけど

映画の中では

超がさつで、乱暴で、だけどなんかかっこいい男っぽい・・・みたいな女で





女優ってこうでなくっちゃ!!!

って思った。


落差が素敵だった

どっちがホントかは知らないが・・・・





ってなわけで

私も女優のはしくれとして

私生活の私自信とは全く違うキャラに、役としてなりきれることを目指そうとおもった




だって

私の芝居で評判がいいのは

たいてい

「みどりらしーーい! おもしろーーい!  あれ地でしょ?」

っていわれちゃう感じで


それだったら

演技じゃないじゃん

女優じゃなくてもできるじゃん





でこれからの課題


■アクションをもっと具体的に鋭角に組み立てる

■モーメントをもっと繊細に紡ぐ

+

■違う人格(キャラ)になりきる


かな!!!!





ますます

面白くなってきちゃった


ありがとう


[Tokyo Ending]






突然書きたくなったのね
これはだれにみせるでもない、自分のための記録なんだ

私自身はおばちゃんキャラとは遠いところにいるのになぜ???
なぜなんだ???
という疑問・・・が
夕べ突然解けた!



私って私生活で「気取る」ってことに対して
大いなる「照れ」があるのね・・・
気取るってことがはずかしーーーーいい!!!


「気取る」って作業がとっても照れくさいもんだから
テンション上がった芝居になってくると
そのテンションをどうも無意識におばちゃん系にもっていっちゃうらしい・・・
そうすると照れずに安心して演れるから・・・


あの演技を見てTAKAさんが「みどりちゃんの照れだな」っておっしゃったのは図星だったてことだ!
言われた時は「えーーー?照れてませんよ。だってわたし、全く照れずにそのテンションやってますもん」っておもったけど・・・ね。
TAKAさん、するどいなあ


そして
もうひとつ大きな原因がある!
それはね
かつてシェイクスピアをやるグループにいたとき
そりゃあもうシェイクスピア然として
シェイクスピアですよ!!!
って感じに位どり高いイメージで・・・
相手役や空気感は全くとらず
自分勝手な芝居で
ただそれらしくやってた恐ろしい初期の私が
戻ってきちゃうことを極度に恐れている

だからね
高貴ですのよわたくし・・・・
って演技をするのが怖いわけです。

だからね
テンションが上がる時は逆手を行っちゃうわけ・・・
勝手な一人芝居
最も私のやりたくない演技
ここに戻りたくないって潜在意識が稼働しちゃって

それで私はおばちゃんになっていくわけです・・・


はっはっは
分かればなんてことないよねえ
単純だよねえ私って・・・

漠然とした恐怖は不安という
けどはっきりとしたら、もう不安ではない

だから

これからは出来る気がするよ
位どりの高い高貴なマクベス夫人も出来る!きがする


ついでに

シンビアン道場に入門したての2年前に書いたブログを下記にコぴっておきます。
これを見たら、この2年で私ずいぶん育てていただいたことが分かる


以下コピーぺ

道場に通ってスパーリングしているとだんだんわかってくることがある
もちろん
格闘技ではない
演技のだ

そこに集まってる皆は
それぞれ全員立ち位置が違う
役者もいればそうでない人もいる
お金をもらって役者を仕事にしているひともいれば
お金をもらわないけど役者をしているひともいる
役者を目指している人もいる
全く違う仕事をしているひともいる
多分
そこに通ってきている目的も一人一人違う

そしてキャリアも様々だ
だから
当然、今現在抱えている課題も各々違うし
指導者から求められるものも違ってくる

そして抱えている課題が何とかできるようになると
必ず次ぎのレベルのことを求められる

右も左もわからないうちは
そのことすらまったく気付くことはできない
ダメだしされると
パニくったり余計自意識の塊になって
どんどん壊れていく
自分だけ一人
人よりすごく劣って感じられて
必要以上に落ち込んだりする



やっと、やっと
私もその域を脱することができたかな

「次のレベルの課題を求められた」
という実感が持てた

これだから
やめられないのよね!!!


トレーニング?
エクササイズ?
スパーリング?
とにかくやってる
格闘技ではない!
『演技』のだ

それも入り口が選べる
「体」から入るか
「内面」から入るか
「テクニック」から入るか

どこから入っても目指すところは同じだ
しかも全部が絡み合って結局のところひとつだ
そのことはやってみて初めて分かる

頭でわかるのは意外に簡単だ
でも俳優は常に頭と体を同時に使えなければ仕事にならない
自分をコントロールできなければ役は演じられない

「ものすごく焦って駆け寄る」
とか
「激怒して怒鳴りつける」
とか
「大興奮して走り回る」
とか
「いらついて切れる」
とか
そういうシーンですら

そういう状態を作ろうとして筋肉を大緊張させて自分を締め付けたのでは、自分で自分の首をしめるだけで、決していい演技はできない。
それは自分の状態を見せようとしているだけの、つまり自分の演技で忙しくて、周りの空気や相手役の振る舞いを無視した演技になってしまうからだ。

それはほんとに退屈で、つまらない・・・
「あーーーーわかったわかった、もういいうよ、そういうふうに見せたいのね、あなた」
って感じに
観客はどんどん離れて行ってしまう・・・

分かってるけどやっちゃうのよね
油断すると・・・

「必要最低限の筋肉の緊張」
「意識は常に頭に置く」
そうすれば、そこにbeingできる

突然ですが
ゴルフの話

ほんとの初心者は別としていいショットが打てるようになった人の話
すごいナイスショット
と
チョロやOBショット
では
結果はもちろん、見た目や気分も大きく大きく違うけれど
その実、ショットの差はほんの少しの、小さな小さな違いしかないってことらしい・・・
つまり
必要以上に落ち込むなって!
さっきのナイスなショットと今のチョロは大差ないってわけ!

演技もそうだって思います。
とっても上手に見えたり
すごく生き生きと芝居が流れたり
そういうときの演技と
もうぎくしゃくで泣きたくなっちゃうような
演出家に怒鳴られまくりみたいな時も

その実ほんのちょっとの、小さな違いが
結果的に大きな大きな差になっているってことに気付いた方がいい!!

まあ
きょうのイータイホーダイはこんな感じで終わります。