大相撲とおばあちゃん | 大塚角満オフィシャルブログ「大塚角満のブログ」Powered by Ameba

大相撲とおばあちゃん

 『逆鱗日和』シリーズなどを読んでくれている方は知っているかと思うが、何を隠そう俺は、大相撲の大ファンである。昨今、八百長問題でさかんに相撲関連のニュースが報道されているが、俺にそのへんのことを書くことはできないので、ここでは相撲にまつわるちょっとした思い出を書きたい。

 俺が大相撲を観始めたのは保育園に通っているころ。死んだばあちゃんが相撲中継が大好きだった影響で、いっしょに観るようになったのだ。そう、俺は自他共に認めるばあちゃん子だったのである。

 ばあちゃんは、俺が生まれる前から全盲だった。

 なので中入り後(幕内)の取り組みが始まる時間になるといつも俺がばあちゃんの手を引き、テレビの前まで連れて行った。そして、

「おばあちゃん、わじま(輪島)がうわて(上手)とったよ! ……ああ! やられた! またきたのうみ(北の湖)にやられた!!」

 ってな感じで副音声のように取り組み展開を実況してあげていたのである。少年角満は仁王のような顔をした輪島(横綱)と、群馬のご当地力士だった栃赤城(関脇・故人)という力士が大好きで、そのふたりの取り組みだけはとくに力を入れて実況してあげていたのをよく覚えている。

 そんな、興奮しながら実況する孫の声が聞こえていたのかいないのか、ばあちゃんは基本的にポーカーフェイスで(本物の)実況を聞いていた。でも、目に入る映像がないので取り組みのすべてを理解することが難しいらしく、全取り組みが終わったあとに必ず俺にこう聞いてきたのだ。

「千代の富士は、勝ったんか?」

 と。ばあちゃんは、当時新進気鋭の若手として注目を集めていた千代の富士が大好きだったのである。

 しかし俺は成長するにつれて、家庭内実況をしなくなってしまった。中学生になると部活や勉強が忙しくてリアルタイムで相撲中継を観ることができなくなった……というのも大きいが、やはり思春期の男子はもれなくシャイボーイに成長するものなので、家族に対してそういうことをするのがテレくさくてたまらなくなってしまったのだ。ばあちゃんと話すことも次第に少なくなり、それどころかばあちゃんは歳も歳だったので体調を崩して入退院をくり返すようになってしまったため、共有する時間は目に見えるように減っていった。さらに、俺は高校を卒業してすぐに群馬を離れてしまったので、ばあちゃんに会うのは盆と正月くらい、しかもたいがいが病院で……という状況になる。

 そんな俺が東京に出てから1年ほど経ったころ、ひさしぶりに群馬に帰り、ついでとばかりにばあちゃんが入院している病院にお見舞いにいったことがある。

 病室に入ってベッドに近づき、うつろな表情で寝転がっているばあちゃんに向かって「おばあちゃん」と声をかける。するとばあちゃんはすぐに俺のことを理解したらしく、「英行、来たんか」と言って顔を向けた。最近は記憶もちょっとあいまいで……というようなことをおふくろから聞かされていたので(俺のこともわからないかもな……)と思っていたのだが、ひと言声を聞いただけで孫のことを理解してくれた。それだけで、ちょっと涙が出そうになった。

 とは言っても、ずっと入院しているばあちゃんと話すことはあまりなく、俺はちょっと手持ち無沙汰になって病室をウロウロし始めた。するとふいに、本当にふいに、ばあちゃんが思いがけず元気な声でこんなことを言ったのだ。

「英行、千代の富士は勝ったんか?

 この言葉を聞いた瞬間、俺の脳裏に、ばあちゃんとふたりで相撲中継を観ていたときの風景が鮮明に蘇った。あのころは2ヵ月に一度の大相撲中継が始まるのが本当に楽しみで、ばあちゃんに実況中継してあげることがうれしくてうれしくて仕方がなかったんだよな……。そんなセピア色の情景を思い浮かべながら、俺はばあちゃんにこう応えた。

「うん、今日も勝ったよ。千代の富士は最強だからね」

 それからちょうど1年後くらいに、ばあちゃんはこの世を去った。滅多に群馬に行かない俺が気まぐれを起こして実家に帰ったときに、それを待っていたかのように息を引き取ったのだ。

 これが俺の、大相撲の思い出。