焚き火とアメカジのノスタルジー
今日のように天気がいい日に駅のホームに立っていると、都内に向かう上り電車ではなく、田舎に向かう下りの電車に乗ってしまいたくなる。読む人が読んだら「……角満のヤツ、ダイジョブか??」と心配されるかもしれないが、こういうことってよくあると思うのよ。
とくに俺の場合、高崎線の下りの電車に乗ると生まれ故郷の群馬に行けてしまう……というのが大きい気がする。電車に乗らなくても、この線路をひたすら辿っていけば故郷にたどり着けるという事実が、どうしても郷愁を刺激するのかもしれない。さらに、ものの本によると2011年のキーワードは"ノスタルジー"らしいので、それが刷り込まれた脳ミソはどうしても田舎回帰のモードになってしまうのかもしれぬ。なので今回は、少々ノスタルジックなことを書く。
昨年の12月半ば、小学校から高校を卒業するまで何をするにもいっしょにいたYという親友から1通のメールが届いた。ぶっきらぼうなYらしい、非常に簡潔な内容だった。
「おまえ、年末こっちに帰ってくんのか?」
このメールに対し、「おう、たぶんな」とたったの7文字で返す。ヤツとのメールでのやりとりは、いつもこんなものなのだ。すると数分後に、Yからもう1通のメールが。そこにはこんなことが書かれていた。
「この10月にAのヤツが理容師として独立して、店を持ったんだわ。なので何か贈ろうかなと。それに、おまえも乗らん?」
Aというのは、Yと並ぶ俺の幼馴染だ。小中学校時代、俺たち3人はつねに行動をともにし、いいことも悪いことも手を携えていっしょにやっていた間柄である。
しかし多くの人がそうであるように、高校を卒業してそれぞれがまったく違う道に歩み出して以降、共有する時間は目に見えて減っていく。とくに俺は、18歳で群馬を飛び出して以来一度も故郷に腰を落ち着けていないので(YはUターン組)、ずっと群馬にいたAとはここ20年で数えるほどしか(ホントに3、4回ではないだろうか)会ったことがない。Yとは、バイクという共通の趣味があったのでたまにツーリングに行ったりもしたが、それでも昔ほど気安く、「何をするのもいっしょ!」ってわけにはいかない。そもそもこんなことを考えるのも、たまに届くメールを見たときか、実家に帰って噂好きのお袋から同級生連中の近況を聞かされたときくらいのもの。大人になるってことは、少年時代の美しい思い出をつぎつぎと塩漬けにしていくようなものだ……なんて誰も言っていないが(しかも意味不明)、ひーこら言いながら齷齪する日常をどうにか乗り越えている田舎出身のおっさんは、故郷のことや幼馴染のことをそうそう簡単には思い出せないのである。
そんな俺の元に届いたYからのメールは、塩漬けの思い出を引っ張り出すための格好のスイッチとなる。
(そうか……。Aのやつ、念願の独立を果たしたのか)
いがぐり坊主の頭でニカニカと笑う、中学時代のAの顔が脳裏に閃く。床屋さんのせがれであるAは当時から将来が約束されていたようなものだったが、彼の口から「将来は家を継ぎたい」なんて台詞は聞いた覚えがない。なのできっと、理容師になり、独立にこぎつけるまでにはさまざまな紆余曲折があったと思うが、中学卒業以降のAのことを俺はほどんど知らないので、そのカケラすら想像することができない。それはそれで寂しいことではあったが、これもきっと、歳を取って前へ進んできた代償のひとつなのだろう。
Yのメールには、オープンしたばかりのAの店の外観と、店内の写真が添えられていた。外も中もレトロなアメカジ風のデザインに統一された、なかなかオシャレな床屋さんである。
「いかにも、Aの店っぽいだろ(笑)」
とY。俺も、その写真を見て小さく笑った。小学校のときから、ちょっとスカした大人びた趣味をしていたAらしいデザインだと思ったからだ。「歳を食っても、変わらないところは変わらないモンだな」。俺は小さくつぶやいた。
そしてYには、「その話、乗った! しかし何を贈ればいいんだ?」と返事。するとYから速攻で、つぎのようなメールが届いた。
「それも考えてもらおうかと。あと、調達も。なにしろ群馬には、ロクなものがない」
人を小バカにしたようなこいつの言いようも、ガキのころから少しも変わらねえな……(苦笑)。
少年時代と同じようにこいつらと焚き火を囲んで、ゆっくりと酒でも酌み交わしたいものだ。
とくに俺の場合、高崎線の下りの電車に乗ると生まれ故郷の群馬に行けてしまう……というのが大きい気がする。電車に乗らなくても、この線路をひたすら辿っていけば故郷にたどり着けるという事実が、どうしても郷愁を刺激するのかもしれない。さらに、ものの本によると2011年のキーワードは"ノスタルジー"らしいので、それが刷り込まれた脳ミソはどうしても田舎回帰のモードになってしまうのかもしれぬ。なので今回は、少々ノスタルジックなことを書く。
昨年の12月半ば、小学校から高校を卒業するまで何をするにもいっしょにいたYという親友から1通のメールが届いた。ぶっきらぼうなYらしい、非常に簡潔な内容だった。
「おまえ、年末こっちに帰ってくんのか?」
このメールに対し、「おう、たぶんな」とたったの7文字で返す。ヤツとのメールでのやりとりは、いつもこんなものなのだ。すると数分後に、Yからもう1通のメールが。そこにはこんなことが書かれていた。
「この10月にAのヤツが理容師として独立して、店を持ったんだわ。なので何か贈ろうかなと。それに、おまえも乗らん?」
Aというのは、Yと並ぶ俺の幼馴染だ。小中学校時代、俺たち3人はつねに行動をともにし、いいことも悪いことも手を携えていっしょにやっていた間柄である。
しかし多くの人がそうであるように、高校を卒業してそれぞれがまったく違う道に歩み出して以降、共有する時間は目に見えて減っていく。とくに俺は、18歳で群馬を飛び出して以来一度も故郷に腰を落ち着けていないので(YはUターン組)、ずっと群馬にいたAとはここ20年で数えるほどしか(ホントに3、4回ではないだろうか)会ったことがない。Yとは、バイクという共通の趣味があったのでたまにツーリングに行ったりもしたが、それでも昔ほど気安く、「何をするのもいっしょ!」ってわけにはいかない。そもそもこんなことを考えるのも、たまに届くメールを見たときか、実家に帰って噂好きのお袋から同級生連中の近況を聞かされたときくらいのもの。大人になるってことは、少年時代の美しい思い出をつぎつぎと塩漬けにしていくようなものだ……なんて誰も言っていないが(しかも意味不明)、ひーこら言いながら齷齪する日常をどうにか乗り越えている田舎出身のおっさんは、故郷のことや幼馴染のことをそうそう簡単には思い出せないのである。
そんな俺の元に届いたYからのメールは、塩漬けの思い出を引っ張り出すための格好のスイッチとなる。
(そうか……。Aのやつ、念願の独立を果たしたのか)
いがぐり坊主の頭でニカニカと笑う、中学時代のAの顔が脳裏に閃く。床屋さんのせがれであるAは当時から将来が約束されていたようなものだったが、彼の口から「将来は家を継ぎたい」なんて台詞は聞いた覚えがない。なのできっと、理容師になり、独立にこぎつけるまでにはさまざまな紆余曲折があったと思うが、中学卒業以降のAのことを俺はほどんど知らないので、そのカケラすら想像することができない。それはそれで寂しいことではあったが、これもきっと、歳を取って前へ進んできた代償のひとつなのだろう。
Yのメールには、オープンしたばかりのAの店の外観と、店内の写真が添えられていた。外も中もレトロなアメカジ風のデザインに統一された、なかなかオシャレな床屋さんである。
「いかにも、Aの店っぽいだろ(笑)」
とY。俺も、その写真を見て小さく笑った。小学校のときから、ちょっとスカした大人びた趣味をしていたAらしいデザインだと思ったからだ。「歳を食っても、変わらないところは変わらないモンだな」。俺は小さくつぶやいた。
そしてYには、「その話、乗った! しかし何を贈ればいいんだ?」と返事。するとYから速攻で、つぎのようなメールが届いた。
「それも考えてもらおうかと。あと、調達も。なにしろ群馬には、ロクなものがない」
人を小バカにしたようなこいつの言いようも、ガキのころから少しも変わらねえな……(苦笑)。
少年時代と同じようにこいつらと焚き火を囲んで、ゆっくりと酒でも酌み交わしたいものだ。