この日は兄が時間休暇をもらって親父さんを迎えにいくことになり、私は終業後すぐに会社を飛び出て病院へ向かいました。駐車場に入ったところで、親父さんを乗せた兄の車と遭遇したので、時間外診察室へ。


ほどなく看護師と先生、そして耳鼻咽喉科の上の先生だろう方もカーテン後ろに控えていただいての説明開始です。

私自身はこれまでに聞いていたことの繰り返しではありましたが、本人が手術拒否の意向を示していたこともあり、とにかく先生の説明が熱かった。


・治療を選択するには予断を許さない状況であること。
・ステージは4だが手術して悪いとこ全部とってしまえば回復する可能性はあること。
・ただしこれは転移をしていない場合。まだ今ならなんとかなるという状態。転移していた
 ら他の手術には耐えられない。手術という選択自体がなくなる。
・このままの状態を望むならその選択も確かにあるが、遅かれ早かれ声は出なくなる。
 呼吸もできなくなるため、治療のためではなく空気を通すための穴をのどにあける。
・最後は、痛みに苦しまないよう、うとうとする薬を飲んでもらい、時々目覚めながら静かに看取るという形になる。何もしないわけではないし当然年齢からしてもその選択もある。
 

本人と兄はいろいろな質問をぶつけてましたが先生は丁寧に誠意をもって答えてくださいましたよ。サラリーマンな私はついつい
 時間外なのに・・・。

なんて考えて質問するのが申訳ない気になるんですけど、納得するまでなんでも聞いてくれという態度で。先生もなんですが、控えてる看護師さんやカーテンの向こうの偉い人もせかしたりいらだったりなんて全然ないんですらい。

 

本人一番心配していたポイントは、歩けなくなることでしたが、足は悪くないから手術したあと日を置かずに歩いてもらう練習に入ることを聞いてだいぶ安心した様子もありました。

 

兄からは、先生自身が手術した症例やうまくいかなかった方の理由、生存率などを聞いていました。

ま、決して高くはないです。先生自身の患者さんで親父さんと同年代の方の例としては、手術そのものではなく、病院に入ったことで何もかもやってもらえるようになったことから認知症になったケースや別の要因で寝たきりになってしまった方などはいたようですが、それはすべてがん手術そのものの結果ではなかったとのこと。

 

手術が成功したとしても、とりきれないだろうから、その後の放射線治療で体力や気力を失ってしまう人もいるそうで、一つ一つ決して簡単ではない道のりです。

 

だいたい、よくなる確率としては、親父さんの年齢で三割。四割あるかなぁ・・・くらいなのだそうです。


ここにきて、十分話を聞いたからか、ある意味懐疑的だった兄も先生がそこまで言ってくれるのだからと手術に傾きはじめてきました。


「本当は考える時間をたくさんあげたい。でも、もうあまりは待てないんです。
胃カメラの検査をする15日には手術するかどうかの結論がほしいです。手術するのであれば、もう24日に入院、25日には手術です。」

は。はやっ!!
腹はくくりましたが、その夜もいっぱいいっぱい考えて悩みました。
ただ、生来の性格がもうこういう胆力使うことが苦手な方なもんで、そのうち悩みつかれ。


ふと親父さんの友人が
「かわいがっていた後輩が誰にも知らせるなともう葬式まで済んでいたショック」
と言っていたことを思い出しました。


転移してなかったら何か何でも手術をすすめる。

 

ほんでもって、もし、手遅れだったら。手術できないのであれば・・・

 

「もういっそのこと、お世話になった方を全員お呼びして、生前葬で大宴会しよーっと♪」

 

そこにたどり着いて心の旅を終了しました。