始まりは唐突に | 我が息子の闘病記 ~ 小児がんとの戦い ~

我が息子の闘病記 ~ 小児がんとの戦い ~

2020年5月22日、息子が10ヶ月検診にて肝芽腫と診断される。
そのまま病院へ緊急入院し、闘病生活開始。
これから先、何が待っているか分からないが、息子が病気と闘うために頑張った記録を残すため、記録を公開して行くことにした。

 2020年5月22日(木)、息子の令馬(以下、令ちゃん)が、10ヶ月検診で小児がんと診断された。

 

 思えば、先月末頃から既に兆候はあったのだ。

 元気は元気なのだが、大好きだった飛行機ごっこや私の真似をした筋トレごっこ、体操などを、妙に嫌がるようになった。

 今まではケラケラ笑っていたのが、口をムスッと結んで、何かに耐えるような表情を見せるようになっていた。

 時期的にぐずり期だと妻からは聞いていたので、私もそこまで気には止めなかった。

 だが、今思うと、既に腹の中で腫瘍が大きくなっており、圧迫されて不快感があったのは間違いない。

 

 そして、5月に入ってから、いよいよ令ちゃんは動かなくなった。

 今まで積極的に行っていたハイハイ、つかまり立ちをしなくなり、興味津々で追い掛けていたスマートフォンやテレビのリモコンを前に出しても、手が届かなければ諦めるようになった。

 なんともやる気のない行動に、最初は夏バテや脱水を疑ったものの、対策をしてもまるで効果なし。

 夜泣きが酷くなり、昼寝はぐずりながら寝オチ、相変わらずやる気はなく、だんだんと座るのも嫌がるように。

 腹はパンパンのままで、便が詰まっているのかと思ったが……。

 

 そうこうしている内に、10ヶ月検診の前日と当日、ついに盛大にミルクを吐いた。

 今までにない凄まじい嘔吐で、40mlくらいを一気に噴き出したので、これはただ事ではないと思い検診で異常を伝えると、病院の先生から大病院の紹介状を出される。

 紹介先で神経芽腫の疑いありと診断され、軽く眩暈がしたものの、1歳未満であれば98%は治る腫瘍だと聞いて安心したが……。

 

 その後、CTのある病院にて確認したところ、まさかの肝腫瘍で、恐らく肝芽腫。

 100万人に1人の難病で、事例も少なく確かなことが全く言えない病気。

 しかも、腫瘍が大きくなりすぎて切除も不可能な上に、肺にも微小に転移しており、予断を許さない状況だと伝えられた。

 

 他にも、腹のしこりや黄疸など、分かりやすい証拠はいくらでもあった。

 それにも気付かず、仕事の忙しさにかまけて令ちゃんの状態が悪化するまで放置してしまった自分を恨み、呪い、殺してやりたくなった。

 できることなら、自分の臓器を全て引っこ抜いて、令ちゃんと交換してあげたかった。

 

 結局、その日は検診だけで終わったが、AFPが明らかに異常過ぎる数値を示しており、素人目から見ても凄まじく悪い状況だということだけは明白だった。

 翌日、ドクターの話を改めて聞くも、嫌な話しか頭に残らない。

 大き過ぎる腫瘍のサイズ、骨や腎臓への転移の疑い、体力の消耗による衰弱など、嫌な言葉ばかり残ってしまう。

 抗がん剤治療を始めようにも生検手術しなければ不可能なので、今は点滴や輸血、投薬による延命措置のみ。

 その間も、令ちゃんは肺や腎臓が圧迫されるのか、呼吸も荒く力もない。

 いつもなら握り返してくる指を握り締める力もなく、泣いて訴える気力もない……。

 

 結局、投薬と輸血でようやく落ち着いて眠ったが、このまま二度と目を覚まさないのではないか、だんだんと力が抜けて、動かなくなってしまうのではないかと……見ているだけで心配になり、心電図の音と数字だけが、令ちゃんがまだ生きていると教えてくれる、唯一の手段だった。